第二十五章「水晶の龍」(5)


「は?」


 僕とヴェンツェル、テレサが六頭立ての超豪華な馬車で帰ってくると、ミスティ先輩が邸内の入り口であんぐりと口を開けて立っていた。

 いつもどこか余裕がある先輩のこんな顔を見るのは初めてだ。


「な、な、なんじゃこりゃああああ!!!!」

「で、でっか!!! でかくないこれ?!」

「はわわわわっ……、こ、怖い……」


 キムとルッ君、ミヤザワくんが腰を抜かしている。


「と、殿!? 一体どこでこんなのを見つけてこられたのだ?! ジェルディクでこんな馬車、見たことがないぞ!?」

「これは……どの馬も素晴らしい。さすが卿の見立てであるな」

「見立てっていうか……、いくらしたのよ、これ……」

「メル、言った通り。イヴァ、普通と違う」

「ふふ、でしょう?」

「か、か、かっけぇぇぇ!!! 地獄の馬車みたいだぞ!!!」

「お馬さんたちに孔雀の羽根とかを付けたら可愛くなるんじゃないかしらん」

「ジョセフィーヌ……絶対やめてよね……」

「あんっ、アリサのいじわるぅー!」


 それぞれが思い思いの言葉を口にしている中、ミスティ先輩が慌てて駆け寄ってきた。


「ちょ、ちょっと! まっちー君!! こんなの完全に予算オーバーでしょ!? ってか、こんなのどこで売ってたの……」

「ふっふっふ。なんと投資額ゼロ。2年間のエサ代もタダです」

「……は?」


 僕は事情をかいつまんで説明した。


「なるほど……、事故馬車の競売で売れ残り……、すごいのに目を付けたわね……」

「お兄様とヴェンツェル様の値切り交渉……他の方にも見てもらいたかったです」

「すごかったの?」


 アリサが聞いた。


「すごいっていうか……、鬼です。ヴェンツェル様も普段はお優しい雰囲気なのに、お兄様と平然とした顔で連携して……。買い手が付かなくて困っていた冒険者ギルドのお姉さんから、まさかタダ同然どころか、タダな上にエサ代まで出させるなんて……」

「わ、私も良心の呵責がなかったわけじゃないんだが……、ベルが……」

「ああ、目に浮かぶようだわ……」

「ま、まぁ、ソフィアさんには何か別の形で恩返しするつもりだから……」


 三人に向かって、僕は必死にフォローした。


「でも、事故馬車って、冒険者の人たちは普通、嫌がるものじゃないの?」


 アリサが尋ねる。


「冒険者は縁起を担ぐからね……。その気持ちは僕にもわかるんだけど、これは別に馬車が事故ったわけじゃないからね。首狩り族に首ちょんぱされただけで」

「首ちょんぱって……」


 アリサとミスティ先輩がげんなりした顔でこっちを見た。


「こっちには『聖女』の君がいるんだから。たたれるもんなら祟ってみやがれってなもんさ」


 僕はそう言って、なんだかんだ楽しそうなアリサにウィンクした。


「うん、大丈夫。悪霊やら死霊やらが取り憑いている気配はないわね。憑いていたら三人共生きて帰ってこれなかったでしょうし」

「だよね、僕もそう思う」

「……キミの肝の太さ……、私も見習いたいわ……」


 ミスティ先輩はドン引きしながらも、馬車の細かい部分をチェックしている。


「でも、素晴らしい目利きよ。これは間違いなく超一級品の掘り出し物だわ」

「やった。先輩からそう言ってもらえたら、僕も安心です」

「それにしても……、よく価格交渉ができたわね……。あなたの手腕を疑うわけじゃないけど、いわくつきの馬車はともかく、この馬たちだけでも相当な額が付きそうなものだけど……」

「気性が荒くて手がつけられなかったんですよ。飼いならそうとして死人も出ています」


 僕がそう言うと、ミスティ先輩は首を傾げた。


「気性が荒い? 死人? こんなおとなしい馬なのに?」

「先輩、馬たちの視線を追ってみてください……」


 僕が小声でミスティ先輩に言った。

 巨躯の黒馬たちは、足を休めながらも、向こう側でゾフィアと談笑しているテレサの方を目で追っている。


「お兄様? 何か御用ですか?」


 僕たちの視線に気付いたテレサが、くるりとこちらを振り向いて微笑んだ。

 その瞬間、馬たちはビクッと身体を起こして、一斉に整列を始める。


「……なるほど、よくわかったわ……」


 ミスティ先輩が言った。

 

「私ね……、この馬車、好きかも」


 ミスティ先輩が荷台の確認に向かうと、アリサが手を後ろ手に組みながら僕の側に来て、さりげない仕草で肩にとん、と頭を寄せた。


「あの時二人で乗った馬車に、ちょっと似てるよね」

「そう。それで決めたんだよ」

「そっか。ちょっと嬉しいかも」


 よく考えてみたら、馬車には二人じゃなくて棺桶に入っていたユリーシャ王女殿下もいたんだけど、それは言わぬが花ってやつだろう。


「客室の内装もすごいわね……、何人ぐらい収容できるのかしら?」

「荷物を乗せて10人乗っても余裕があります」


 戻ってきたミスティ先輩に、僕は答えた。


「じゅ、10人……」


 ルッ君がうめいた。


「エレインのことじろじろ見たら、ルッ君は御者台に乗せるからね」

「ああ、まつおさん、それは大丈夫だ。今までみんなに迷惑をかけてすまない」


 ルッ君は僕の顔を見て、キッパリと言った。


「ルッ君……?」


 僕は少し感動して、ルッ君を見上げる。


「元帥閣下に稽古をつけてもらって、俺、わかったんだ。イメージの大切さに」

「イメージ?」

「まつおさんも若獅子祭の時にやってるだろ? メルになりきって剣技を振るったり、ゾフィアの動きを思い出したり」

「ああ、そうだね」


 たしかに、僕はあの時、自分の中にあるメルやゾフィアをイメージしていた。


「イメージの力は偉大なんだ。だから、オレはもう大丈夫」

「……ごめん、言ってることがぜんぜんわかんない……」


 ルッ君は空を見上げながら言った。


「俺はさ、まつおさん」

「うん?」

「俺は、現実世界の女性はきっぱりあきらめたんだ。これからは、空想の世界の女性を愛するんだ」

「……」

「ほら、その方がお金もかからないだろ? 空想の世界は自由だし、みんな優しくしてくれるし、オシャレに気を使わなくていいし……」


(こ、こいつは……、もうだめかもしれない……)


 思春期をこじらせてしまった男子の一つの結末を見てしまったような気がして、僕は3秒ぐらい目をつむって黙祷した。


「……ルッ君はモテると思うんだけどね、モテようとしなければ」

「それ、前にもまつおさんに言われてさ、俺なりに一生懸命考えたんだ」

「うん」

「モテようとしなければモテるとするじゃん? でも、そこでモテたらどうすればいいの? モテたくないからモテてるんだとしたら、そこでモテても何もできないじゃん。モテたからラッキーって思ったらまたモテなくなるわけじゃん?」

「……そ、それはモテてから考えればいいんじゃないかな」

「まぁ、オレはもう少し空想の世界で頑張ってみるよ」


(それは頑張ってるといえるのだろうか……)


「たしかに、この馬たちなら10人乗っても十分な速度が出そうね」


 ルッ君の話など何も聞こえなかったことにして、ミスティ先輩が言った。


「ええ、御者台に三人乗れば、護衛の馬二体に誰かが交代で乗れば、移動の問題は全て解決です」

「今後、クランを運営する上でも、この馬車の存在は大きいわね……」

「クラン? ミスティ先輩、今クランって言いました?!」


 ユキがミスティ先輩の言葉に反応した。


「ええ。その話は馬車の中でゆっくりしましょ? ユキちゃん」


 ミスティ先輩がにっこり笑う。

 ……もう僕のクラン結成は、ミスティ先輩の中で確定事項のようだ。


「っていうか……、すごい、みんな荷造り終わってるじゃん! わ、僕のぶんまで!」

「ミヤザワを荷造り隊長にしたお前の人選が良かったんだよ」


 キムが言った。


「鬼だぞ、鬼! ミヤザワくん、整理整頓になると人が変わるんだぞ!」

「や、やだなぁ、大げさだよー、ルッ君」


 にこにこ笑うミヤザワくんに、花京院とゾフィアがささっと後ずさった。

 ……どうやら本当らしい。


「食料は問題ない? キムは欲張りすぎなかった? 花京院はちゃんと計算できた?」

「……アンタ、それをわかってて人選してるんじゃないわよ! キムは欲張りすぎたし、花京院は全部カゴに入れちゃうし! もう大変だったんだから!」

「い、いや、ユキがいるなら安心かなって」

「だってさ……、腹減ってたんだもんよ……」

「オレはちゃんと計算してたぜ!! 間違えただけだ!!」

「でも、水の輸送は助かったわ。二人がいなければ何往復もしていたと思うから……」


 やっぱり、食料部隊はユキたち三人に任せてよかった。


「エレインもみんなの手伝いをしてくれたんだね、ありがと」

「ん。薬草の買い出し、早く終わった。アンナリーザ、詳しい」


 エレインがにっこり笑った。

 みんなと話す機会が増えてきたからか、魔法伝達テレパシーなしでも、ずいぶん表情が豊かになってきた気がする。


「エレインの方がすごいわよ。私は回復薬関係だけだもの。いろんな野草の効能を知ってて、びっくりしちゃった」


 アリサがエレインの肩を抱きながら言った。

 この二人も、いつの間にか仲良くなっとる。


「ゾフィア、こんなに食器や調理器具をお借りしちゃって大丈夫なの?」

「ああ、問題ない。本当は、父上は殿が冒険に出られると聞いて、馬車や食料などもご用意くださるつもりだったのだ。それを全てご自身で確保されたから、しきりに感心しておいでだった」

「それは、ミスティ先輩が必要なものを全部教えてくれたおかげだね」

「いいえ。あれだけの食料や資材、馬車を、適切な分担で割り振って、この短時間で必要なものを全て揃えて荷造りまで終えるとは思わなかったわ。さすが君主ロードの采配っていうところかしら」

「おおお、殿の真価をご理解されるとは……さすがミスティ殿!!」


 僕たちはヴァイリスの士官候補生。

 つまり、皆が冒険者志望だ。

 だからこそ、伝わってくる。

 みんなのワクワクが。

 これから始まる冒険に胸を躍らせ、その準備すら楽しくてウキウキしている感覚が。


「あとは、そろそろ到着するはずなんだけど……、あ、来た来た!」


 僕はキルヒシュラーガー邸にやってきた三頭の馬を引き連れた商人に手を振って、こちらに手招きした。


「この度は格別のお引き立てをいただき、誠にありがとうございます、ベルゲングリューン伯様」

「とんでもない。こちらこそ、わざわざここまで連れてきてくれてありがとう。ギュンターさん」


 僕は若旦那、といった雰囲気の、口ひげに片眼鏡の商人と握手を交わし、金貨の入った袋を手渡した。


「聞けば、伯は開拓中のご自身の市街をお持ちだとか」

「え、すごいね。なんで知っているの」

(まだ市街とは名ばかりの荒野なんだけどね)


「商人連中から教わりました。帝国元帥閣下と親交の深い、ヴァイリスの若き伯爵様が新しい市街を興すのだと、市中で噂になっております」

「あの……市街ってナニ? まっちー君って、いつの間にかそんなとこまで手を広げていたの?」

「いや、まぁ、色々ありまして……」


 目を丸くするミスティ先輩に、僕は苦笑した。


「もしよろしければ、日を改めまして、他の商人たちと伯爵様のご領地にご挨拶させていただければと思うのですが……」

「ああ、それは僕としても願ってもない話だよ。ギュンターさんとこが取り扱っている馬も鍛造品も、素晴らしい品質だったし……、あとそうそう、実はウチの領地で稲作を始められないかなって考えているんだけど……」

「ほう、それは……実に面白いですな。ヴァイリスには米料理があまり普及しておりませんし」


 ギュンターさんの片眼鏡ごしの瞳が、商人の目になった。


「そうなんだよね。またそういうお話もできれば……」

「かしこまりました。楽しみにさせていただきます」


 ギュンターさんが馬を置いて帰っていくと、僕はメル、ゾフィア、ジルベールの三人を呼んだ。


「どうしたの、ベル?」

「この白銀の馬は、今日からメルの馬です!」

「えっ」


 驚いて目を丸くするメルに、僕は美しい白銀の馬の手綱を渡した。


「こっちの真っ白な馬は、ゾフィアの馬!」

「と、殿っ?!」


 いかにも駿馬しゅんめといった純白の馬の手綱を唖然とするゾフィアに。


「この強そうな黒鹿毛くろかげの馬は、閣下の馬!」

「け、けいよ……」

 

 黒味がかかった赤褐色の隆々とした馬の手綱を、めずらしく感激した様子のジルベールに渡した。


「馬車を買うお金が浮いたので、みんなの中で特に馬の扱いが上手い三人のための馬を用意したんだ」


 呆然とした三人の様子に微笑みながら、僕は言った。


「僕が勝手にそれぞれに合うと思ったのを選んだから、気に入ってもらえるかはわからないけど……」

「……絶対、大事にする」

「殿……、私は……私は今……猛烈に感動している……ッ! この身に余る光栄、その感謝の気持ちをどう表せばよいのか……」

「う、うわっ、な、泣くなよ……」


 ゾフィアがぼろぼろと号泣して、メルがそれにつられて落涙した。


「卿よ……、私も同じ想いだ……」


 震える手で、ジルベールが黒鹿毛の馬に手を伸ばす。


「気に入らぬはずがなかろう……。突破力を重視した私の馬。機動力と突破力を兼ね備えたメル女史の馬。機動力を重視したゾフィア殿の馬……。どれもそれぞれの特性を考えて見立ててある。……私は、この感動を終生忘れることはないであろう……」


 三人とも気に入ってくれたみたいでよかった。

 それぞれがそれぞれの馬を可愛がっている様子を少し離れたところから眺めて、僕は満足していた。


「ちょっと、ニクいことするじゃない……。ホント、生意気な後輩なんだから」


 腕を組んだミスティ先輩が、立ったまま肘で僕に体当たりをする。

 ミスティ先輩の目が、ちょっとうるんでいた。

 いつもクールな感じだけど、意外と情に厚いというか、こういうのに弱い人みたいだ。


「あなたがクランを作ったら、私、移籍しちゃおっかな……」


 先輩がポツリと、とんでもないことを口にした。


「そ、そんなことしたら、僕のクラン、めっちゃ恨まれそうですけど……」

「ふふ、そうかも」


 ミスティ先輩が悪戯っぽく笑って、こっちを見た。


「……でもその時は、きっとあなたがなんとかしてくれるでしょう?」

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