第二十五章「水晶の龍」(1)


 水晶の龍がいた。

 無色透明の鱗は陽光を虹色に反射し、光が結晶を通して副屈曲しているせいか、その内側にあるはずの臓物や骨を確認することはできない。

 あるいは、それら自体も水晶でできているからだろうか。

 ドラゴンといっても翼を持たず、東方王国セリカで語り継がれるりゅうのような形状をしたその頭部には、大きな鹿のような角が生えていて、圧電体である水晶の特性そのままに帯電した先端からジリジリという音を立て、青白い電流が走っている。


『何用だ、人の子よ』


 水晶の龍は、うやうやしく跪礼きれいする青年に向かって思念を発した。

 龍に問われ、青白く輝く魔法金属の鎧を身に着けた青年は顔を上げる。

 緑柱石アクアマリンのように澄んだ瞳には、龍に対するおそれと同時に、強い意志の炎が宿っていた。


「偉大なる神龍よ、私は魔王を倒し、アヴァロニア全土に平和をもたらすため、あなたから世界を統べる力を持つという龍玉ドラゴンオーブを授かりに参りました」


 青年の問いに水晶の龍は答えず、無色透明の瞳で青年をじっと見つめた。


「身の程をわきまえぬ申し出であることは重々承知しております。ですが、先代勇者の消息がようとして知れぬ今、誰かが代わりに立たねばならぬのです」

『魔王をほふって、何とする』

「は?」


 問いの意味がわからず、青年は首をかしげた。


『人の子や亜人たち、それぞれの文化や利をことにする国々が互いに手をたずさえておるのは、魔族という共通の脅威が存在するからであろう』

「それは、そうですが……」

『魔族はたしかに人の子にとっては脅威であろう。だが、天敵を失った人の子はやがておごり、人の子同士で争うことになるのではないか』

「……ですが神龍よ、魔族により罪なき人々が殺され、奪われていくのを、勇者の名代として私はこれ以上見てはいられないのです」

『阿呆が……』

「今、なんと……」

『いや、そなたに説いても詮無きこと。だが、龍玉を授けることは叶わぬ』

「……」


 水晶の龍がそう答えた瞬間、青年の目に危険な光が宿る。

 

「……ならば、力づくで奪うまで!!!」

『であるから、貴様は阿呆だというのだ』


 問答無用とばかりに、青年は地を蹴り、一瞬で水晶の龍と距離を詰めると、光り輝く両手剣グレートソードを龍の喉元めがけて振り下ろした。

 だが、龍は身じろぎ一つせずにそれを受け止めると、青白い光を放っていた両手剣グレートソードは粉々に砕け散った。


「ば、馬鹿な……、せ、聖剣が……」

『ふん、聖剣だと? 剣は殺すためのもの。それに『聖』などと付けることの厚顔無恥こうがんむちを、人の子はいつ学ぶのであろうな』

「ひ、ひ……、ひぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


 勇者の証である聖剣を失った青年は、狼狽しながら後ずさり、そのまま背中を向けて脱兎のごとく駆け出し、足をつまずかせ、水晶の龍の住処である霊峰の谷へと真っ逆さまに落ちていった。


『ふぅ……』


 ふたたび静寂が訪れた霊峰で、水晶の龍はひとりごちた。


「まじであったまわるいわね、嫌になっちゃう」


 水晶の龍はいつしか人間の言葉を話していた。

 青年と話していた時とは打って変わった雰囲気だが、霊峰のいただきにそれを咎める者はどこにもいない。


「今のアヴァロニア大陸から魔族がいなくなったら、1年以内に各国で紛争が始まって、やがて血で血を洗う世界戦争になるに決まってるじゃない。そうなったら、『犠牲になる罪なき人々』とやらの数は、魔族の犠牲者の比じゃなくなるって、なんでわかんないのかしら」


 水晶の龍がうんざりしたようにぼやいた。


「ああいう正義感の強い阿呆あほうが一番有害なのよ。悪人のほうがまだマシ。人間は悪いことをしたら良心の呵責ってやつがあるけど、自分が正しいと思っている人間にはそれがないから、いくらでもひどいことができちゃうのよね」


 水晶の龍は周囲に誰もいないことを確認してから、天に向かって大きく咆哮した。

 空気が割れるような振動と共に、霊峰の頂上に広がる雲海を覆い尽くすほどの大きさであった龍の身体が、みるみる小さくなっていく。


「そもそも、申し訳ないんだけど、龍玉なんてもうこの世に存在しないのよね」


 水晶の龍の姿はやがて黒衣をまとった少女の姿に変わっていく。


「私が、まちがえて神龍を殺しちゃったから……。てへっ」


 本来の姿になった黒衣の少女は、悪びれもせずにひとりごちた。

 

「というわけで、私の代わりに聖剣も龍玉ドラゴンオーブもナシで魔王と戦ってね、新勇者さん。あなたが苦戦すればするだけ、世界の平和は続くのだから」


 

 は、寂しげに笑った。

 誰よりも聡明であるが故に、英雄としての栄誉も、正義の代弁者という道化を演じることも放棄し、世界平和のために世界を平和にしなかった一人の少女。


 後に「混沌と破壊の魔女アウローラ」と呼ばれる少女の、それが始まりでもあったのだった……。






「ア、アホか!!!!」


 僕は夢から覚めるなり、思わず自分の夢にツッコんだ。


(何が「誰よりも聡明であるが故に」だ。めちゃくちゃじゃないか! 僕はこんなのでだまされないぞ。そもそも誰のナレーションなんだ!)


「な、なんですって!!! 人がずっと看病してあげてたっていうのに!!」

「わ、ち、違う!! ユキのことじゃない!! ぐ、ぐるぢいっ!!」


 寝起き早々、ユキに首をしめられて、僕はじたばたともがいた。

 なんだろう……、左手がなんだかあたたい。

 僕が振り向くと、エルフのエレインが手を握ってくれていた。 


「気付いた。良かった。心配してた」

「ああ、エレイン、ありがと」


 エレインは魔法伝達テレパシーの方が話しやすいかなと思ったけど、魔力が枯渇しているのか、使おうとするだけで頭がくらくらするのでやめた。

 ひどい夢だったけど、目覚めた時に、銀色のさらさらした髪で褐色の肌がとてもきれいなエルフ女子が枕元で優しい眼差しを送ってくれているというのは、ユキに首を締められていてもすごい幸福感だった。


「……あのね、「ありがと」じゃないわよ!」


 ユキがビシィ、と僕を指差した。

 ずっと寝てたから、ユキの妙に高いテンションで頭がキンキンする。

 ……きっと、ものすごく心配してくれていたんだろうな。


「あんた、どのくらい寝込んでたかわかってる?」

「うーん、3時間ぐらい……?」

「3日よ! まだ寝ぼけているからわかんないだろうけど、ここはゾフィアん家よ!」

「3日も……」

「あんた、危なかったんだからね! エレインに話を聞いてビックリしたんだから!」

「そ、そっか……」


 そりゃ、ファイアーボールすらまともに撃てない僕が隕石群召喚魔法メテオストームなんてぶっ放しちゃったら、魔力は枯渇するどころか、マイナスになってもおかしくない。


(撃ちたくて撃ったわけじゃないんだけどな……)


「この子がわざわざジェルディクまで運んでくれたのよ。後でちゃんとお礼しときなさいよ!」


 誰よこの子、いつの間に仲良くなったのよ、ぐらい言われるかと思ったけど、ちゃんとエレインのことも考えてあげるあたり、ユキは優しいな。


「お祖母様に診せる、最良と思った」

「そっか、お祖母様が診てくれたの?」

「うん。もう帰った。数日休めば問題ないって」

「そっか。改めてご挨拶にいかないとね」

「このスケベ」

「いでっ!?」


 ユキにほっぺを思いっきりつねられた。

 ……前言撤回。


「殿ォォォッ!!!」

「「ごはぁっ!!!」


 暴れイノシシワイルドボアーのようにベッドに突進してきたゾフィアの体当たりを食らってユキが吹っ飛び、僕はお腹の上にゾフィアの膝が入って悲鳴をあげた。


「お兄様! 起きたのですね!」

「がうっ!」

「「ごふぅっ!!」」


 そんな姉の背中からダイブしたテレサとイスカンダルのボディプレスで、僕とゾフィアが悲鳴をあげた。


「……」


(げっ……、元帥閣下――ッ!!!)


 その直後にヌッと部屋に入ってきた元帥閣下を見て、僕は凍りついた。

 居候いそうろうの様子を見に来たら、自分の娘が二人ともベッドの上で抱きついて、飼い犬……じゃなかった、飼い狼が顔をぺろぺろ舐めている光景を、元帥閣下はどう思うのだろうか……。


「……」


 元帥閣下は、娘二人とダイアウルフ一匹がダイブしているベッドの上に、ボフッ、と何かを投げた。

 東方王国セリカに群生している竹を割って作られた、剣を模したようなもの……。

 よく見ると、元帥閣下も同じものを持っている。


「し、竹刀しない?! ち、父上? 殿はまだ病み上がりで……」

「……」


 元帥閣下はゾフィアの問いには答えず、じっと僕を見た。


「ゾフィア、これは竹刀っていうの?」

「ああ。刀を模して作られていたもので、古来、サムライたちはこれで打ち合って稽古をしていたのだそうだ」

「へぇ……。まぁ、これなら打ち合っても死なないもんね」

「父上が本気でやったら死ぬと思うがな……」

「君のお父さんが本気出したら割り箸でしばいても人を殺せるでしょ……」


 僕は竹刀を眺めた。


「この、片側についているつるのようなものはなぁに?」

「この弦が張ってある側が峰だということだ。反対側に刃があると考えて使う」

「なるほどねぇ……」


 僕は元帥閣下を見上げた。

 もう、目を見れば、この方が伝えたいことはわかる。


「支度をしてすぐに向かいます。お手合わせよろしくお願いします。元帥閣下」

「……」


 元帥閣下は満足げな目を向けると、部屋を出ていった。




 ゾフィアとテレサに案内されて、キルヒシュラーガー邸の本宅にある武道場に、僕は竹刀を持参して訪れた。


「……なんでルッ君がたたみに刺さってるの?」


 畳はジェルディク帝国ほどセリカとの交流がないヴァイリスでもけっこう人気がある。

 そんな畳に頭からめりこんで、ルッ君の身体がぴくぴくと動いている。


「ああ、殿がルクスを鍛え直したいとおっしゃっていたのでな。殿が特別講習を受けている間、父上が竹刀で稽古を付けてくださっていたのだ」

「そ、そっか……」


 す、すまん、ルッ君。

 しかし、竹刀で何をどうやったら、こんな風に畳に頭がめりこむんだ……。

 武道場を見渡すと、他のみんなも集まっていて、キムが軽く手を挙げ、メルとアリサが駆け寄ってきた。


「無事でよかった」

「……倒れた時の話を聞いた時は、意味がわからなくて3回聞き返したわよ……」

「はは、久しぶり。みんな元気そうで良かった」


 僕はそう言ってみんなの方に近づいた。


「おいおい、大丈夫なのか? さっき起きたばっかりなんだろ?」

「たしかに、ローソクみてぇな顔色してるぞ」

「はは、たしかにまだちょっとフラフラするけど、若獅子祭前にやった宴会翌日の二日酔いよりはマシかな……」

「ああ、あれはオレもキツかった……」

「キムは肉のガッツ食いし過ぎなんだよ」


 僕がいつもの調子でそう返すと、キムと花京院が笑った。


「まぁ、あの元帥殿が体調を考慮されぬとは思えぬ。きっとけいのためになると判断したのであろう」

「お、閣下、すっごいオシャレなカフス付けてるじゃん。もしかして、アデールのプレゼント?」


 僕はジルベールのシャツの袖口の、玉虫色に光る、銀縁のキレイなカフスを指差した。


「フッ、卿はさすがにめざといな。先日会った時に貰ったものだ」

「アデールはセンスいいんだなぁ。僕が必死こいて特別講習受けた時にイチャイチャしてたのか」


 僕がそう言って小突くと、ジルベールは何も言わずに口ひげを触った。

 ちょっと照れているらしい。


「まつおちゃんってば、魔法学院でもずいぶんオイタしてきたんですって?」

「ジョセフィーヌ、ジェルディクでマッチョなイケメンは見つかった?」

「それが聞いてよ! ジェルディクの男ってノンケばっかりなの!!」

「……話を振った僕も悪いけど、武道場で『ノンケばっかりなの!!』とか叫ばないでくれる?」


 ミヤザワくんとヴェンツェルはまだ魔法学院で特別講習を受けているらしい。

 僕は後で連絡が来るそうだ。


「あ、エレインも来てくれたんだ」


 武道場にひょこ、と顔を出したエレインに声を掛ける。


「見てもいい?」

「もちろん! みんなのことはもう知ってるのかな?」

「うん。ユキと仲良くなった。みんな紹介してくれた」


 ユキのそういうところ、ほんと好きだなぁ。


「……その、ルッ君は大丈夫だった?」


 僕は小声でメルとユキ、アリサの3人に尋ねた。

 森の住民であるエルフの本来の姿に近いというエラスタの軽装は、思春期を色々こじらせてしまっているルッ君にはきっと刺激が強すぎる。

 10秒に1回ぐらいチラ見してエラスタに迷惑をかけているんじゃないかと不安だった。

 

「私とユキ、アリサで完全防御したから大丈夫」


 メルが銀縁シルバーフレームの眼鏡をくい、と押し上げながら、得意げに言った。


「おとなしい女子は私たちが守るのよ!」

「エラスタはたぶん強い子だと思うけど、ヴァイリス語が苦手だから、男子からのアプローチを上手く断りづらいと思うのよね」


 ユキとアリサが言った。

 全然交流がなかったはずなのに、みんなちゃんと考えてくれている。


「でもね、ベル。ルッ君、最近、ちょっと変わった気がする」

「え?!」


 メルの言葉に、僕は目を丸くした。


「『もうオレはモテなくてもいいんだ』って。『かわいい女の子が楽しそうにしているだけで、幸せなんだ』って言ってた」

「それ……余計ひどくなってない?」


 僕たちは畳に埋まったままのルッ君を見た。

 

「でもね、前みたいにルッ君から変な視線を感じたり、話しながらチラチラ瞳の奥を覗き込んできたり、ユキのおっぱいを口をぽかんと開けて見たりしなくなったの」

「……今までどんだけだったんだ……ルッ君」

「元帥閣下に毎日心と身体を鍛えられているおかげで、彼も成長したのかも」

「あなたも元帥閣下に鍛えてもらって、その女癖を叩き直してもらったら?」


 アリサがそう言って、悪戯っぽく笑って僕を見るけど、目が笑ってない。


「お、女癖って……」

「エレインがアンタを連れて帰ってきた時に、メルとアリサ、テレーゼが同時に言った言葉、教えてあげようか?」

「な、何?」

「『……また増えた』よ」


 ユキの言葉に、メルとアリサが腕を組んで、ジトッとした目で僕を見た。


「殿、父上が来られたぞ……」


 ものすごく絶妙なタイミングでゾフィアが声を掛けてくれて、僕は後ろを振り向いた。


「……」


 静謐せいひつ

 いつの間にそこにいたのか、いわおのように微動だにしないベルンハルト帝国元帥閣下が、中央で竹刀をまっすぐに構えて、僕と対峙するのを待ち構えていた。

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