第十三章「帝国猟兵」(4)


「ナニ、コレ」


 放課後に訓練場に来た僕は、乾いた声でゾフィアに尋ねた。

 きっと僕の口はぽかんと開いているに違いない。


 訓練場は昨日と打って変わって、黒山の人だかりができていた。

 Cクラスの面々どころか、アリサも、他のクラスの連中も、エタンも、あ、ボイド教官も『天下無双』のロドリゲス教官も……くそ、真ジルベールがにやにや笑ってこっちを見てやがる。


「これか? 私が事前に集めておいた。……名声のある貴殿のことだ、これだけの衆目を集めればわざと負けようなどとは思わぬだろう?」

「だから、本当にボロ負けしたんだってば……」

「ふふふ、まぁよい。貴殿が本物かどうかは、この後すぐに証明されるのだからな」


 さんざんみんなの前で恥をかかされてきたんだ。

 今更ここでボロ負けするのは全然かまわない。


 ただ……。

 ちょっと試してみたいことがある。


 それに……。

 自分の取り巻きたちとこそこそ話している真ジルベールの横顔をちらり、と見る。

 あの野郎の思い通りになるというのだけは、我慢ならない。


 「それでは、両者位置について」


 今回の立ち会いはボイド教官だった。

 僕とゾフィアが所定の位置まで離れてから、ボイド教官が大きく手を振り下ろした。


「両者はじめっ!!」


「すぅっ……」


 僕は深呼吸をしながら、木剣を構え直す……。


 と、見せかけて!


 大きく吸い込んだフリをして、木剣を右手だけで大きく右に振り抜いた。

 ビシィィィ!!!


「あぐぅっ!!!」

(えっ)



 無表情を装っているけど、クリーンヒットしたことに僕自身が驚いてしまった。

 渾身の力を込めた木剣が、いつのまにか右側面に入っていたゾフィアのこめかみに命中したのだ。


「……ほう」


 ボイド教官から声が漏れる。


「くっ……、ふふ、やはり牙を隠しておったではないか……」

 

 すばやく後方回転して飛び下がりながら、ゾフィアが嬉しそうにつぶやいた。

 右側頭部を押さえたゾフィアの手から、血が滴っている。


「うおおおお!! アイツやりやがった!! やりやがったぜ!!!」

「す、すげぇ!!! あれ本当にまつおさんなのか?!」

「う、うそでしょ……」


 訓練場に響き渡る大きな歓声とどよめきに混じって、キムやルッ君、ユキの興奮した声が聞こえてくる。


 だけど……。

 さすがはジェルディク帝国で実践を積んだ帝国猟兵エリートの中のエリート。

 あんなにクリーンヒットして大丈夫か心配になったのに、戦意はまったく衰えた様子がない。

 というより、手負いの虎というやつだろうか、ますます戦意が高まっているようにも見える。


 さて、まぐれ当たりが1個終わった。

 ここで負けても少しは格好がつくかもだけど……、できることなら真ジルベールあの野郎をもっと悔しがらせたい。


 メルが言う通り、ゾフィアが優れた聴覚で判断しているのだとしたら、僕から攻めるのは賢明じゃない。

 花瓶が倒れる音で反応するほどの相手なのだ。

 メルのような、音速に匹敵するほどの剣さばきでもあれば別かもしれないけど、素人同然の僕の振りかぶった木剣など、振った音ですべてかわされてしまうだろう。

 

 となると、取れる手段は限られる。


 僕は右手の剣を下ろしたままゾフィアに笑いかけて、左手で手招きした。


「どうしたんだ? もう終わりなのか? 僕を本気にさせたかったんじゃないのか?」


 僕の挑発に、会場の歓声がさらに盛り上がる。


「……皇帝陛下と、父上、母上に感謝を。この学校に留学できて、本当によかった……」


 黒豹のようにしなやかな身体を怒りに震わせながら、ゾフィアがつぶやいた。

 

 ルッ君やユキのような華麗なステップワークを彼女は一切しない。

 足音が一切立たないすり足で、僕に必殺の一撃を繰り出すために身を低くしながら、じりじりと距離を詰めてくる。


「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」


 呼吸のリズムを悟られないように、浅く息を吐きながら、僕はゾフィアを待ち構える。

 緊張と疲労で、額から汗がぽたぽたと訓練場の床に落ちる。

 ……頼むから、目に入らないでくれよ。


 ゾフィアの次の手で、おそらく僕は負けるだろう。

 でも……。

 こんなに腰を落とした低い体勢からできることは限られるはずだ。

 突き。

 必殺の突き一発で、この勝敗を決するつもりなのだろう。

 そして、その突きが出てからだと、僕では絶対に避けきれない。

 かといって、僕がそれを阻止するために先に手を出したら、ゾフィアはその音から瞬時に判断して僕の攻撃を紙一重でかわし、やはり不可避の突きを繰り出してくるだろう。


 一瞬。

 突きを繰り出すほんの一瞬だけ隙を作ることができれば……。


「この技を私に使わせたのは、貴殿で3人目だ……」


 無音のすり足でじりじり距離を詰めながら、ゾフィアがつぶやく。


「1人めは我が皇帝陛下マイン・カイザー、2人目は我が父。3人目になるのは、我が夫になる者だと思っていたが……」


 話し終わるのを思わず待とうとしてしまって、はっと気付いた。

 メルのおかげで、僕も『音』を意識していたからだろう。

 無音だったゾフィアのすり足から、「キュッ」と床をすべる音が聞こえた。


 無拍子ノーモーションで来るっ!!!!


『側室なら考えるよ』

「なっ?!」


 聴覚に全神経を集中していたゾフィアが、突然頭の中に響いた僕の魔法伝達テレパシーに驚き、その突きの姿勢がわずかに崩れたその瞬間!!


(もらったー!!!! う、うわっ?!)


 ゾフィアの頭頂部をめがけて振り下ろそうとして大きく前にステップした僕は、訓練場の床にぽたぽたと落としていた自分の汗で大きく滑って右足を取られ、宙に舞って大きく右側に転倒する。


「なん……だと?!」


 その瞬間、ゾフィアの必殺の突きが、凄まじい勢いで僕が喜色満面で振り下ろそうとしていた場所に繰り出された。


 (うわー!!!死んでた!!! 僕、あのまま振り下ろしてたら死んでた!!!)


 死の恐怖で思わず右手を振り回すと、バランスを崩して転倒しようとしていた僕の全体重が乗った一撃が、ゾフィアの左膝に命中した。


 バシュッ!!!!!


「ッッッ〜〜!!!!」


 渾身の突きで伸び切っていたゾフィアの左膝が砕けるような嫌な感触が右手に伝わってくる。

 

 (やったかっ?!)


「な、なんだ今の剣技は!!!」


 剣技教官の叫び声が聞こえる。

 

「人間の目は横に広く、縦に短い形をしている。上段から一気に下段に入るあの斬撃を肉眼で捉えるのは難しい。熟練者でも回避は難しいだろうな」


 僕のまぐれアタックを斧技のロドリゲス教官が冷静に分析している。


 その場で体勢を大きく崩したゾフィアに訓練場全体が大きくどよめき、その後大歓声が沸き起こった。


「ふふ……ふふふ……潰した……私の技を。陛下でも、父上でも受けるだけだったこの技を、潰してみせるか……」


 まともに動かなくなった左足をそのままに、ゾフィアは木剣を杖代わりにして立ち上がると、片足立ちになりながら木剣を僕の方に向けた。


 (や、やばい)

 捨て身の覚悟だ。


「も、もういいでしょ。終わりにしよ?!」


 僕は必死になってゾフィアに叫んだ。


「ふふ、そうだな。私ではおそらく、貴殿にはかなわないのだろう。だが、これは私の帝国軍人としての矜持プライドだ。この一撃を以て、我が最後の攻撃とする」


 いや、そうじゃない。

 

 (そうじゃないんだよおおおおお!!!)


 初手はメルのおかげで助かった。

 魔法伝達テレパシーのセコい裏技ももう使った。

 その後も滑って転んだせいでラッキーに決まった。


 (もう、僕には、僕には何もないんじゃああああ!!!!)


 完全にネタ切れ状態なんだ。

 すごく買いかぶってくれて本当に申し訳ないんだけど、っていうか勝手にハードルを上げたのは真ジルベールのボケナスなんだけど、もう僕の引き出しには何一つ残ってないんだ。


「もうやめてくれ! 終わりにしてくれ!」


 僕は悲痛な表情でゾフィアに叫んだ。


「ふふ……、優しいな貴殿は。嫌がる貴殿に無理やり刃を向けた相手に、そんな顔を向けるとは」


(だから違うだよおおお!!! 君の全力攻撃を受けたら、僕は本当に死んじゃうんだって! アリサの回復魔法ヒールが追いつかない勢いで死んじゃうんだよおおお!!)


 ゾフィアが決死の覚悟を決めた微笑を浮かべながら、木剣を右上段に構える。

 防御など度外視した、完全に捨て身の構えだ。


(決死の覚悟をしている君は実は余裕で生存できて、僕はほぼ死亡確定なんだけど……)

 

 腕を組んで「ふむ……」とか言ってないで、ボイド教官もいい加減止めろよ!

 僕はだんだん腹が立ってきた。


「やめろって言ってるだろ!」

「もはや問答は無用!! 覚悟ッッ!!」


 ゾフィアの全体重のこもった木剣が、すさまじい風切り音と共に飛来する。


 ……よく考えたら、なんで僕がこんな目に合わなくちゃいけないんだ。

 いきなり転校してきた女の子に、なんで撲殺されなくちゃならないんだ。

 

 もう、いいかげんにしてくれ!!


『ひざまずけッッッ!!!!』 


「ッ!!!!??」


 声だったのか、それとも、魔法伝達テレパシーだったのかは、よくわからない。

 僕が無意識に発した言葉に自分自身が驚いた瞬間、木剣がコトリ、と床に落ちる音がした。


 ゾフィアが、ひざまずいていた。

 最初は左膝が痛んで体勢が崩れたのかと思ったが、そうではなかった。


 姿勢を正し、右膝を立てて、驚いた表情ながら真っ直ぐにこちらを見上げている。

 まるで、主君に臣従する部下のように……。

(これはもしかして、前のキムの時の……)


「バ、バカなっ……」


 静まり返った訓練場に、真ジルベールの声が響いた。


 そうだ。

 なぜ静まり返っているのだろう。


 決着が付いたのだから、キムやルッ君、ユキや花京院、ジョセフィーヌといったあたりが

大騒ぎしてもおかしくないんだけど……。


 そう思ってC組の方を見て、僕は思わずうめいた。


 「んな……アホな……」


 それは、異様な光景だった。

 訓練場の静まりかえっている理由は、僕がまぐれでゾフィアに勝ったからでも、ゾフィアがひざまずいたからでもなかった。


 キム、ルッ君、ユキ、メル、花京院、ジョセフィーヌ、偽ジルベール、それにアリサまで……。


 僕の方を向いて、まるで臣下の礼を尽くすかのようにひざまずいていたのだった。

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