からくり箱 1

 手に持つと、ずしっとした重さを感じる。

 少しだけ自力でいじくくってみたけれど全く歯が立たず、説明書を見ながら試行錯誤するとカチッと音がしてパチンと蓋が開く。その精巧な仕掛けにほうっとため息が漏れた。


「凄いわ……」


 蓋に幾何学模様の彫刻が施されたこの箱は、一見するとただの飾り箱にしか見えない。けれど、実はこれはからくり箱で、三十段階にも及ぶ工程を経ないと開けることができないのだ。

 サンルータ王国の伝統的な工芸品で、珍しいのでエドにお土産にと買ったものだ。


「アナベル様、そろそろ荷物をお詰めしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、お願い。ありがとう」


 エリーに声を掛けられて、私は持っていた箱をしまおうと、トランクの一つを開いた。そのとき、トランクの中に入れられていた白色の小箱をがふと目に留まる。私はそのからくり箱をしまい、代わりにその小箱を手に取った。


 蓋にはエドに買ったからくり箱と似た幾何学模様が描かれており、これはサンルータ王国のとある地域で伝統的な模様なのだという。

 蓋を開けると中には小さなポプリが入っており、華やかな香りが漂う。

 ポプリの袋を取り出して空の箱を見つめていると、昨日のことが脳裏に蘇った。




 ダニエルから二人で話をしないかと誘われたのは、昨日の昼過ぎのことだ。


「アナベル姫。帰国前に、二人でお茶でも?」


 いつものように前触れなく部屋を訪問してきたダニエルにそう言われたとき、私は正直戸惑った。かつての世界でも私はこうやって誘われて、ダニエルと親しくなったからだ。


「構いませんが、キャリーナ様はお誘いしなくてよろしいのですか?」


 既に来てしまっているのだから無下にするわけにもいかず、とりあえず私はキャリーナもそのお茶会に同席することを提案してみた。

 今回、ダニエルの戴冠式に招待されていた結婚適齢期に近い王女は私とキャリーナの二人だ。戴冠式前日の晩餐会の際にダニエルは私をエスコートしたから、ここでまたキャリーナを軽んじるようなことをすれば『ダニエル殿下とアナベル姫は憎からず思い合う仲だ』とあらぬ憶測を呼びかねない。

 それを聞いたダニエルは少し困ったように小首を傾げた。


「キャリーナ姫とは、先ほど二人で散歩をしたんだ。今度はアナベル姫と是非、と思ってね」

「キャリーナ様とは散歩に行かれた?」


 意外な回答に少しだけ驚いた。


 つまり、キャリーナとは人目に付く場所を二人で歩いたということだ。

 これで晩餐会のエスコート役の一件ですっかり私にご執心だと思い込んでいた面々は、やっぱりダニエルの本命はキャリーナだったのかと戸惑うはず。少なくとも、権力に擦り寄ろうと画策する貴族達へは大きな牽制となったはずだ。

 二人を別々に誘ったと言うことは、それぞれの人となりを彼なりに見極めようとしているのかもしれない。


(この人、実はかなりの切れ者なのよね……)


 先日の魔術研究所でのお兄様との一件でも思ったが、ダニエルはとても頭の回転が早い。常に即座に周囲を見渡して最善の判断を下そうとしているのがよくわかった。


 ひとまずテーブルにご案内してお茶をお出しすると、ダニエルは慣れた様子で用意した紅茶を一口飲んだ。そして、口元を綻ばせた。


「ああ、これはディンブルティーだね」

「はい。わたくし、この紅茶が好きなのです」

「お土産に多めに用意させるとしよう」


 ダニエルはそう言うと、またカップに口を付ける。


 かつてダニエルの婚約者としてまだ大切にされていたとき、私と彼はよくこうやってお茶を楽しんだ。ふとそのときのことを懐かしく感じ、目を伏せるダニエルをじっと見つめてしまう。


「サンルータ王国の滞在はどうだったかな?」

「楽しめましたわ」

「町へは行けた?」

「少しだけ」


 町には昨日、お兄様と少しだけ行った。からくり箱の工房に行って、エドへのお土産も買った。

 目の前で職人が一個一個を手作りで作成しており、とても興味深かったわ。


 ダニエルは終始にこにこしながら私の話に耳を傾けている。


「あとは、異国にお友達ができました」

「お友達?」

「キャリーナ様です」


 ああ、とダニエルは会得したように呟く。そして、顎に手を当てて考えるように視線を宙にさまよわせた。 


「ところで、アナベル姫はキャリーナ姫をどう思う?」

「どうと言われましても……。気さくで可愛らしい方だと思いますわ。お優しいですし」

「そうだな、俺もそう思う。彼女は表裏がない。そうは思わない?」

「ええ、そうですわね」


 私は素直に頷く。

 けれど、内心では正直、この人は一体何が聞きたいのだろうと思った。


 ナジール国の王女である私に対し、ニーグレン国王女のキャリーナが『気さくで可愛らしく、お優しい。かつ、裏表がない』ということに同意を求めてくるなんて。 

 つまり、自分はキャリーナを気に入っているということを暗に知らせている?

 

「殿下はキャリーナ様にご執心なのですか?」

「まあ、気にはなるね」


 そこでダニエルは言葉を止めると、今度は私をアイスブルーの瞳で見つめ、にこりと笑う。


「きみのことも気になっている」


 その瞬間、眉を顰めるという淑女らしからぬ表情をしてしまったのは許してほしい。

 だって、こんなのって──。


「わたくし、気の多い男性は苦手ですわ。愛していると言いながら他の女が現れた途端に態度を豹変されては困りますもの」


 それは今のダニエルに対しての嫌みであり、かつてのダニエルに対しての恨みつらみだ。

 ダニエルはすぐに自分が嫌みを言われたのだと気が付いたようで大きく目を見開く。そして、ぷっと噴き出し、けらけらと笑い出した。


「これはこれは。手厳しいことを言われてしまった。では、口説くときは全力でこれが本気であるということを知らしめよう」

「ええ。是非お相手の方のためにもそうして下さいませ」


 ついでに言うと、その相手は私以外でお願いします。

 そんな心の声は聞こえたのか聞こえないのか、ダニエルは益々愉快そうに肩を揺らして笑ったのだった。

  

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