エドとの再会 1

  グレール学園の授業で習う内容は、お父様とお母様が言ったとおり、家庭教師が教えてくれる内容と大差ないものだった。

 私は天才でも秀才でもないけれど、前世(時間逆行しているから、正確には前世じゃないかもしれないけれど、もうよくわからないからこう呼ぶことにするわ)の記憶があるせいで、それは酷く簡単に感じてしまう。


(これで、本当に未来が変わるのかしら?)


 初日にしてそんな不安が胸を突く。

 けれど、私は絶対に変えなければならないのだ。


 お兄様達六回生は、五回生よりも授業時間が一時間長い。登校初日であるこの日の放課後、その待ち時間を利用してオリーフィアとクロードは学園内を案内してくれた。

 体育館、大ホール、図書館……それらは王宮にも似たようなものがあるけれど、どれも子供だけのために作られたとは思えないほど立派だった。そして、最後に案内されたのは魔法実験室だった。


 魔法実験室とは、その名の通り魔法の実験や研究をするための施設だ。魔法の失敗による巻き込み事故を防止するために、周囲と隔離する特別な防護壁が張り巡らされている。


「施設はどれも、放課後などは好きに利用することができるのよ。貸し切りにすることもできて、その際は利用予約表に名前を記入するの。今日は空いているかしら?」


 魔法実験室の入り口の横には、黒い魔法ボードが置かれていた。オリーフィアがそのボードを指先でなぞると、文字盤の文字がふわふわと移動し、今日の日付と利用状況が表示される。


「あー、予約済みだわ。せっかくだから中も見せたかったけど……」


『貸し切り予約済み』と表示されたのを見て、フィアは残念そうに眉尻を下げる。と、そのとき、背後から誰かが近づいてくる気配がした。


「どうかしたの?」


 ちょうど今声変わりを迎えているような、掠れた男の子の声。


「あ、なんでもありません」


 慌てて振り返ると、黒髪の男の子がいた。体を覆うように身に着けた学校指定マントには、赤枠の紀章が付いている。赤ということはお兄様と同じ、六回生だろう。


「あ、エドワール様」


 横にいたクロードが一歩前に出る。


(エドワール? エドワールですって?)


 その名を聞いた瞬間、胸の鼓動がはねた。

 改めて目の前の少年を見ると、目を隠すほど長く伸びた髪は烏の濡羽色、その黒髪の合間から僅かに見えるのは血のように赤い瞳だった。殆ど見えないけれど、それでもよく見ると、切れ長で涼しげな印象は面影がある。

 少しふっくらとした顔つきはまだ幼さを残しているが、そこにいたのは、間違いなく私の護衛騎士を務めた、エドワール=リヒト=ラブラシュリだった。

 思わぬ再会にエドを見つめたまま動けずにいる私の横で、クロードは説明を始めた。


「今日からアナベル殿下が学園に通われるから、案内をしていたんです。もしかして、魔法実験室を予約していたのはエドワール様ですか?」


 クロードは魔法ボードの『貸し切り予約済み』の文字を指さす。エドは「アナベル殿下が?」と小さく呟くと、こちらを見る。前髪が長いのでほんの少ししか見えないけれど、その赤い瞳は少し驚いたように見開かれたように見えた。しかし、その表情はすぐにすまし顔に変わった。


 一方、私はエドから目を逸らすことができなかった。

 少し冷たい印象を与える釣り気味の切れ長な真っ赤な瞳、真っ直ぐに通った鼻筋、男性にしては色白な肌。魔法騎士として活躍していた頃に比べればとても幼いけれど、間違いなくエドだった。


「エド? エドね?」


 やっと会えたという思いで、感激のあまり口を覆う。


 後から思い返せば、このときのエドの様子には違和感があった。

 けれど、私は時間逆行という摩訶不思議な現象を唯一共有できる人物の登場にすっかりと舞い上がってしまっていた。


「エド! わたくし、何もかもがわからなくって。何がどうなっているのかと、本当に驚いたのよ。だって、こんな──」


 とにかく、夢中で喋った。エドは困惑しつつも静かに耳を傾け、時折私に相槌を打つと口許だけ微笑んだ。


「そうですか。それは大変でしたね。今日から通学されたのでは、不安があっても無理もありません。きっと、すぐに慣れます」

「え……?」


 私は驚きで目を見開く。


「グレール学園にようこそ、アナベル殿下。ずっと前に、シャルル殿下にご紹介されて一度だけお会いしましたね。覚えていただけていたようで、光栄です。改めて、俺はラブラシュリ公爵家のエドワール=リヒト=ラブラシュリです。困ったことがあれば、なんなりとご相談下さい」


 教科書通りの美しい挨拶。

 その一連の所作を見ながら、私は表情を凍り付かせた。なぜって、その様子があまりにも他人行儀だったのだ。まるで、殆ど関わることがない王女殿下に接するかのように。


「アナベル殿下?」


 何も答えない私を不審に思ったのか、エドの声に困惑の色が乗る。なんとか言葉を絞り出そうとしたけれど、それ以上は出てこなかった。


 だって、こんなことって……。


「エドワール様がここにいらっしゃるってことは、六回生はもう授業が終わったのね。シャルル殿下はまだ教室かしら?」


 クロードとは私を挟んで反対側にいたオリーフィアがエドに尋ねる。


「アナベル殿下を迎えに行くと言っていたから、行き違いになったかもな」

「え? 大変だ」


 それを聞いたクロードは慌てた様子だ。王太子であるお兄様を待ちぼうけにさせるのはさすがにまずいと思ったようだ。焦って呼びに行こうとしていたけれど、それを止めたのはエドだった。


「待て、クロード。アナベル殿下に魔法実験室を見せたかったんだろう? 見ていくといい。シャルル殿下には伝言を出しておくよ」


 エドはクロードにそう言うと、胸元から一枚の紙きれを取り出した。それにさらさらと走り書きすると何かをぶつぶつと唱える。

 その途端、手元の紙切れば忽然と消えた。きっと、お兄様に届けられたのだろう。


「アナベル殿下。中をご覧になって行かれますか?」


 こちらを振り向いてドアを片手で指したエドは、相変わらず顔の上半分が髪で隠れているので表情がよく読めない。ただ、エドの口調はクロードやオリーフィアに話しかけるときとは明らかに異なっていた。二人に対しては気安い関係の後輩、私に対してはあくまでも王女殿下。


 私はまだ信じることができず、まじまじとエドを見つめた。実は、私をからかって遊んでいるのではないかという、淡い期待を胸に秘めて。

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