初登校 3
暫くすると、馬車がカタンと音を立てて止まった。馭者がドアを開けたのでおずおずと地面に足をおろすと、街道の石畳の固さが靴越しに伝わってくる。
私が馬車から降りたらざわっと辺りがさざめいたように感じたのは、この馬車がナジール国の王室の紋章を掲げていたからだろう。
顔を上げれば、ちょっとした大貴族の屋敷のような豪奢な両開きの門があった。門柱の上には門を通る人々を見下ろすガーゴイルの彫刻がある。黒塗りの鉄柵製の門は高さ三メートル近くあるだろうか。両扉とも開放され、学園に通う多くのご子息、ご令嬢が通り抜けていた。
「さあ、ベル。行こうか」
続いて馬車を降り立ったお兄様が私に手を差し出す。私はその手に自分の片手を重ね、周囲を見渡した。
校舎へと向かう生徒のうちの何人かはこちらを振り返ったので視線が絡み合った。皆、呆けたような顔をしており、私と目が合うと慌てて目を反らし、そそくさと校舎の方へ消えて行く。
「お兄様。皆がこちらを見ているわ」
「いつものことだよ。それに、今日はベルがいるからね。滅多に人前に出てこない深窓の姫君を見ようと、興味津々なのだよ。皆、ベルの可憐さに驚いているに違いない」
私の手を引き歩き出したお兄様は、楽しそうに笑う。相変わらず、お兄様の妹バカぶりは健在だ。常に王宮にいたから何も感じなかったけれど、なんだか見世物小屋の動物になった気分だわ。
私は正面に見える建物に目を向けた。
校舎は三階建ての大きな建物で、黄褐色の石造りになっていた。正面から見ると中央に大きな入り口があり、左右対称に建物が広がっている。ここからでは見えないが、奥にも校舎があるのだとお兄様は教えてくれた。壁には等間隔に四角い窓がいくつも並んでおり、既に到着している生徒だろうか、中に人がいるのがカーテン越しに見えた。
「ベルは五回生だから、二階だよ。ほら、あの辺り」
校舎を見上げていると、それに気付いたお兄様が右斜め上の辺りを指さす。その教室にも、既に人がいる気配がした。
「お兄様は?」
「わたしは六回生だから、同じ校舎の三階。あそこだよ」
お兄様は先ほど指さした場所の斜め上の辺りを指さす。開いた窓越しに、カーテンが少し揺れているのが見えた。
グレール学園には、八歳児から十五歳児までの紳士淑女の卵達が通っている。八歳児が一回生、九歳児が二回生という風に学年が上がり、十三歳のお兄様は六回生だ。現在十二歳の私は五回生に編入することになる。
教室の前でお兄様と別れてドアを開けると、予想通り空気がざわっと変わるのを感じた。お兄様が仰った通り、私は周囲から『滅多に人前に出てこない、深窓の姫君』ということになっているらしい。そんな風に思われていただなんて、自分ではちっとも気が付かなかったわ。
どこに座ればいいのかと戸惑っていると、「ベル」と鈴を転がすような可愛らしい呼び声が聞こえた。そちらに目を向けると少し茶色がかった髪を靡かせて一人の可愛らしい少女がこちらに走り寄って来た。
「まあ、フィア!」
「ベル、本当に転入してきたのね。びっくりしたけど嬉しいわ」
目の前の少女──名前はオリーフィア=ユーリ=アングラートという──は嬉しそうに表情を綻ばせると、私の手を握ってきた。
オリーフィアはアングラート公爵家のご令嬢で私の従姉妹にあたる。オリーフィアの父が、元・王子で私の叔父なのだ。まだ爵位を賜って十五年と、ナジール国では最も歴史が浅い公爵家だけれども、逆に言えば最も王家と血が近い公爵家でもある。
だから、以前の人生でもオリーフィアは私のよき友人だった。サンルータ王国に嫁ぐ前も、私を抱きしめて「幸せになってね」と涙ぐんでくれたのを覚えている。
そういえば、オリーフィアはきっと、あのときも王都にある屋敷にいたはず。突然のサンルータからの奇襲で、彼女はどうなったのだろうか? もうそれを知る術もないのだけれど、急激に気持ちが落ち込むのを感じる。
「ベル? どうしたの?」
呼びかけにはっとして意識を浮上させると、オリーフィアが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「わからないことがあったら、わたくしに何でも聞いてね! お父様に、ベルをしっかりサポートするようにって言われたの」
胸を張り、どんと片手をそこに当てたオリーフィアは、私が新しく入るこのグレール学園に不安を覚えているのだと勘違いしたようだ。優しい心遣いに、胸がほっこりと温かくなる。
「ええ、お願いするわ。フィアがいてくれて、よかった」
笑顔でお礼を言うと、オリーフィアはエメラルドのように美しい緑色の目を細め、少しだけ照れたようにはにかんだ。そして、誰かを探すように辺りを見渡す。
「えーっと、クロードはまだかしら」
「クロードもいるの?」
「そうよ」
オリーフィアはにこっと笑う。
クロードとはオリーフィアの幼なじみで、私も何回か会ったことがあることは事前に日記を読んで確認済みだ。古くから我が国の外交で重要な地位を占めているジュディオン侯爵家の嫡男で、フルネームをクロード=フロラン=ジュディオンという。
他愛もない話をしていると、オリーフィアが不意に何かに気づいたように表情を明るくした。
「クロード! こっち!」
振り向くと、どこか見覚えのある少年がいた。実りの大地を思わせる黄色の髪に茶色い瞳。下がり気味の目尻も相まって、優しい印象を受ける。
彼を見た瞬間、とても懐かしい気持ちが沸き起こった。
クロードに最後に会ったのは、私がダニエルに嫁ぐためにナジール国を去る日だった。当時、既に外交官として働き始めていた彼は、国境線まで私を見送りに来てくれたのだ。
クロードはオリーフィアに呼ばれ、きょとんとした顔をした。
「あれ? アナベル殿下って今日から?」
「今日からだよ! もう、昨日言ったじゃない!」
「あー、そういえばそうだった」
気の抜けた様子のクロードに、オリーフィアが頬を膨らませる。でも、言い合う二人の姿は傍から見ると仲良くじゃれ合っているようにしか見えないわ。
実は、かつての世界でオリーフィアはクロードと婚約していた。私は隣国の王族であるダニエルと婚約していたので、夜会に婚約者と参加するという経験を殆どしたことがない。だから、いつも一緒に夜会に参加しては仲睦まじい様子を見せる二人が、内心とても羨ましかった。こんな幼いときから仲がよかったのね。
「アナベル殿下、よろしくお願いします」
「うん、よろしく。同級生なのだから、どうか気軽に『ベル』と呼んでね」
クロードは驚いたように目をみはり、オリーフィアの方をチラリと見やる。無言のアイコンタクトだけでどんな意思の疎通を図ったのかはわからないけれど、どうやらオリーフィアの許可はすぐに下りたようだ。
「わかったよ、ベル」
クロードがこちらを向いてにこりと微笑む。笑うとふにゃりと表情が崩れ、とても可愛らしい印象を受けた。
登校早々に素敵な友人に恵まれ、とても楽しい学園生活になりそうな予感がした。
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