初登校 2

「ベル、準備はできた?」

「ええ。どうかな?」


 私は制服のスカートをドレスでするようにつまみ上げると、お辞儀をして見せる。そして、体を起こすとクルリと一回転してお兄様を見つめた。


「うん。可愛い! さすがはわたしの妹だ」


 お兄様はそう言って満面に笑みを浮かべたのに、すぐに何かに気づいたように真顔に戻った。二度、三度、目をまたたくと、顎に手を当てて上から下まで視線を走らせる。


「似合っているけど──」

「? どこかおかしい?」

「おかしくはないけど……。うーん、大丈夫かなぁ……」

「お兄様? はっきり言って」


 お兄様はこちらを見つめ、腕を組んで困ったような顔をする。どこもおかしくないように念入りにチェックしたのに、どこがおかしいのかしら? リボン? 髪形? 着丈?

 因みに、話し方はここ二週間ほどで大人っぽくなりすぎないように必死で矯正した。『わたくし』はそのままだけど。


「これは、しっかりとナイトを付けておかないと危ないな」

「ナイト? 学園の警備兵がいるでしょ? 学園ってそんなに危険なの?」


 急激な不安に襲われて眉を寄せると、こちらを見下ろすお兄様はにんまりと口角を上げた。


「うん。獲物を狙う獣がたくさんいるから危ないんだ。ベルなんて格好の獲物だな」

「え!?」


 思わず後退ってしまい、ぶつかった椅子がカシャンと音を立てる。お兄様は顔色をなくした私を試すように見つめた。


「ベル。今からでも遅くないよ。危ないから学園に通うのはやめた方がいいんじゃないか?」


 私は呆然とお兄様を見つめた。

 学園とは、そんなにも危険が伴う場所なのかしら? なんて、恐ろしい場所なの!? 

 かつて、のほほんと王宮の一室で家庭教師の授業を受けていた私は、どれだけ恵まれていたのだろうか。そんなこと、全く知らなかったわ。


 ──じゃあ、やめようかしら?


 喉元まで出かかった言葉を、私はぐっと押しとどめて口を噤んだ。テーブルに置いてあったコップの水が目に入ったので、それを一気にゴクリと飲み干す。これだけすれば、弱気な言葉ももう出てこまい。


「いいえ。行くわ」


 いつになく頑固な私の様子に、お兄様は目を見開く。


 アナベルという人間は、これまでの人生で自分の我を押し通したことなど殆どなかった。けれど、今は引けないと思った。ここで引けば、目の前の愛する人達の破滅を知りながら、傍観することになるかもしれない。それは絶対にできないわ。


「わたくし、学園に行きます!」


 私はもう一度、大きな声ではっきりとそう言い切った。お兄様は降参したように軽く両手を挙げる。


「わかった、わかった。ベルの意思は固いみたいだね。では、私はそれを応援するまでだよ」

「ありがとう、お兄様!」


 私は嬉しくなってお兄様に抱き着く。お兄様は笑顔で私を抱きとめると「ベル。マントは?」と聞いてきた。


「あるわ」 


 私がソファーを指すと、お兄様はそちらをちらりと見た。マントはソファーの背もたれに無造作に掛けてある。お兄様はそれを手に取ると、私に被せた。


「お兄様、学園へは馬車で?」

「そうだね。馬車にしようか?」

「今日は?」


 首を傾げる私に、お兄様はにこりと笑って空いている手を差し出す。どうやら、エスコートしてくれるようだ。私はおずおずとそこに自分の手を重ねた。


 王宮の車寄せまでは、お父様とお母様が見送りに来てくれていた。


「シャル。ベルを頼むぞ」

「ベル、お兄様の言うことをよく聞くのよ」


 お父様は心配そうに眉を寄せ、お母様はハンカチを握りしめている。


「お任せ下さい。ベルは必ず守り抜きます」


 お兄様はバシンと自分の胸を叩き、力強く頷く。


 ちょっと大袈裟ではないかしら?

 学園に勉強をしに行くだけなのよ?

 夕方には帰ってくるのに。


 苦笑する私は、両親を心配させないように「行って参ります」と元気に挨拶をしてから馬車に乗り込んだ。


 王宮からグレール学園までは、馬車で十五分ほどの距離だ。途中、城下の街並みが見えて、私は窓ガラスの縁に手を置くとぴったりと顔を寄せた。

 実は、前の十八年間も含めて私は殆ど町に出たことがない。王女である私が外に出るには護衛を付ける必要があり、それだけで大事おおごとになる。それが迷惑になるかもしれないと思って遠慮してしまい、ずっと行きたいと言い出せなかったのだ。


「お兄様、あそこを見て。あんなに大きなハムがぶら下げられているわ」

「そうだね」

「あら、あそこはパン屋さんかしら? あんなにたくさん」

「本当だね」

「お兄様──」


 肉やの軒先にぶら下げられている大きなブロックハムも、焼きたての商品を並べるパン屋も、町で切り花を売る花売りも、全てが物珍しい。見るもの見るものが新鮮で、ついついお兄様に声を掛けてしまう。


「ベル。そんなに大はしゃぎしなくても、町は逃げないよ」


 お兄様が呆れたようにくすくすと笑う。


「あら、ごめんなさい」


 私は慌てて馬車のソファーにきっちりと座り直す。見た目は十二歳とは言え、中身は十八歳。それなのに、十三歳のお兄様に窘められてしまったことに、なんとなく気恥ずかしさを感じる。


「いや。ベルが楽しそうでよかった」と、お兄様はにっこりと微笑んだ。

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