初登校 1
制服、というものに初めて袖を通した私は、少し緊張の面持ちで姿見に見入った。
グレール学園の女子用制服はくるぶしまで隠れる紺色のロング丈ワンピースだ。白い飾り襟が着いており、胸元には制服の生地より明るい水色の大きなリボンが付いている。
「ねえ、エリー。わたくし、おかしくない?」
くるりと体を翻し、今度は後ろを振り返るような格好で丸い鏡に見入る。体を回転させた弾みに、スカートの裾がふわりと揺れた。
「とても可愛らしいですわ。しばらくの間、男子学生は授業に身が入らないのではと国王陛下が大層心配しておりましたわ」
「なぜ、男子学生はしばらく授業に身に入らないの?」
不思議に思って私が首を傾げると、エリーはくすくすと楽しそうに笑う。
「アナベル様には秘密ですわ」
「教えてくれないの?」
「アナベル様のそんなところが、わたくしはとても好きですわ」
質問をしたら、なぜか「好きだ」と返されてしまった。それでは質問の答えになっていないわ。
けれど、そう言われて素直に嬉しかったから、私は口をつぐんだ。ちょっぴりお口が尖ってしまったのはご愛嬌として許してほしい。
お父様にグレール学園に行きたいと直訴して早一ヶ月。私は、年度途中だけれども、今日からグレール学園に編入学できることになった。
国語、社会、魔法など、グレール学園で学ぶことの大抵は家庭教師からでも学べることばかりだ。だから、お父様やお母様は、わざわざ学園に行かなくてもいいのでは? と当初は訝しがっていた。
「でも、お兄様は学園に通われているわ」
やんわりと断られた私は、納得いかずにお父様に詰め寄る。
「シャルは将来の国王だから。交遊関係をしっかりと築くのも一つの義務なのだよ」
お父様は穏やかにそう告げた。交遊関係を築くことは王太子であるお兄様の義務。
──では、私は?
聞かなくてもわかった。いつかは他国、もしくは国内の有力貴族の元に政略結婚で嫁ぐ身なのだから、別に無理に交遊関係を築く必要はない。お父様はそう考えているのだろう。
以前のアナベルならば、ここで引き下がった。というより、そもそも「学園に行きたい」とすら言わなかっただろう。
けれど、今回は絶対に引き下がるわけにはいかない。なぜならば、ここで引き下がればまた破滅ルートへと駒が進んでしまうのだ。
「あら、わたくしが交遊関係を築くのも王女としての義務の一つですわ。ナジール国の王女は非常に広い人脈を持っているともなれば、政略結婚での市場で、価値も高まりましょう」
つんと澄ましてそう言った私を見て、お父様とお母様は顔を見合わせ、お兄様はびっくりしたようにこちらを見つめる。
「なんだか、今日のベルは……いつもと違うね。お姉さんみたいな喋り方だし、言うこともいつもと違うし」
「そ、そう?」
「うん。そもそも、いつも自分のこと『わたくし』って言っていたっけ?」
「…………」
しまったわ。十八年生きた前回の人生の方が自分の中で印象が強すぎて、つい口調もそうなってしまった。確かに、この位の年頃のときはまだ『わたし』と言っていた気がするわ。いつから『わたくし』になったのかしら?
あぁ、もう! 思い出せないわ。多分、今くらいの時期だと思うのだけど。
「……大人っぽくっていいかと思ったのよ。もう十二歳ですもの。お兄様の友人だって、『わたくし』って言うでしょう」
「ふうん? それはそうなんだけど、なんか……変」
「へ、変!?」
いつも通りにしていたつもりが『変』と言われてしまうなんて! 驚いて唖然とする私を見つめ、お兄様はプッと噴き出した。
「ベル。凄い顔だ。目がまんまる」
「! お兄様のせいですわ!」
恥ずかしさから顔を赤くし、むきになって言い返す私の様子に、お兄様はとうとうケラケラと笑いだした。
「ごめん、ごめん。大人っぽいよ」
「もう! もういいですわ」
この様子は、絶対にそう思っていないわ。不貞腐れてプイッとそっぽを向くと、壁に飾られた家族の肖像画が目に入った。
お母様が赤ん坊(つまり、この赤ん坊が私ってことね)を抱き、そこに小さな男の子──お兄様が寄り掛かっている。そして、お母様の肩を抱くようにお父様が後ろに立っている。
かつて、私の生活はこんなにも幸せと笑顔が溢れていたのだ。
絶対にこの幸せを壊させはしない。
無性に泣きたい気分になり、涙を隠すようにそっと目を閉じた。
◇ ◇ ◇
トン、トン、トンっと部屋のドアをノックする音にハッとする。
いけない、ついつい感傷に浸ってしまったわ。この姿になってからというもの、ふとした拍子に以前の世界に思いを馳せてしまう。
制服姿を確認していた私はドアの方を振り返った。対応に出たエリーが扉を開けると、その隙間からお兄様が顔を出す。
お兄様は男子生徒用の制服を着ており、黒い上下のセットアップ姿だ。襟元には赤枠の中にデイジーを模した金属製の記章がついており、この記章はグレール学園の校章だという。枠の色が学年を表しているらしい。お兄様が歩くのに合わせ、体を覆うように羽織っている学園指定のマントが揺れた。
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