囚われた王女は二度、幸せな夢を見る

三沢ケイ

プロローグ

 1

 その言葉を聞いたとき、今まで信じてきたものが足元から崩れ落ちるのを感じた。

 目の前の王座に足を組んで座る男──サンルータ国王のダニエル=バーレクは冷酷とも言えるアイスブルーの瞳でこちらを見下ろしている。

 その表情は、かつて私を幸せにすると微笑み、屈託のない笑顔を向けてくれた人とはまるで別人のように見えた。


「恐れながら陛下。わたくしと陛下の婚約は国と国との約束ごとでして──」

「その国がなくなったと、先ほど言っただろう? 聞こえなかったのか?」


 冷然とした言い方は冗談を言っているようには見えない。私はカラカラに渇いた口で言葉を紡ごうとしたけれど、出てきたのはヒューヒューという乾いた音だけだった。


 国がなくなった? 私の祖国、ナジールが?


 すぐには理解できなかった。

 いいえ、理解したくなかっただけかもしれない。


 悪戯にしてはたちが悪すぎるわ。ちっとも面白くない。

 だって、つい数ヶ月前に国民の皆が手を振って私を送り出してくれたのよ。サンルータ王国とナジール国の末永い友好を信じて、盛大に祝いながら。


「よって、お前との婚約は白紙だ。これより、敗戦国の王女として牢獄に入ってもらう」

「なっ!」


 目を見開いて絶句する私の後ろに控えていたサンルータ王国の近衛騎士達が、有無を言わせずに拘束する。


「陛下! わたくしの祖国に攻め入ったのですか!」

「連れて行け」

「陛下!」


 悲痛の叫びが虚しく大広間に木霊する。

 愚かな私は、このときまだ心のどこかで期待を捨てていなかった。

 きっと、これは悪い夢で、目が覚めればまた昔と変わらぬ日常が始まるのだと……。




 ─

 ───

 ───────



 ピチョン、ピチョンと床に滴が落ちる音が薄暗い牢に響く。

 天井から染みだした水は規則正しくときの流れを刻んでゆく。


 もう何日、何週間、この暗く冷たい場所で過ごしたのだろう。

 途中から数えていないから、それすらもわからない。

 最高級のベッドで眠り、きらびやかなドレスを身にまとい、多くの人々にかしずかれる。そんな生活は儚く消えた。


 どこで何を間違えたのだろうかと考えたけれど、答えはわからなかった。


 水の落ちる音以外は自分の呼吸の音しか聞こえないような静寂。

 それを破るように、荒々しい足音が聞こえてきた。


 ハッとして、そっと通路側の壁に寄り添うと、扉に付いた鉄格子の僅かな隙間から外を窺った。衛兵とおぼしき武骨な男たちに両脇を抱えられて引きずられるように連れてこられたのは、漆黒の髪を持つ満身創痍の男だった。


「エド……」


 傷付いてボロ雑巾のようになった男──エドワール=リヒト=ラブラシュリは私の護衛騎士だ。あの日、私を助けようとして何十人ものサンルータ国の近衛騎士達に取り囲まれても戦ってくれた。そして、最後は先に拘束された私を盾に降伏を迫られ、捕らえられた。


 僅かに見えた彼の顔は紫色に腫れ上がり、口元は血がべっとりと付いている。首に嵌った魔法行使を防止するための黒い拘束首輪は血に濡れているのか、松明の光を反射しててらてらと光っていた。


「なんてことを」


 私は漏れそうになる嗚咽を抑えるために、両手で口を覆った。

 もはや彼の端整な顔立ちの面影は、ほとんどなかった。


「しぶとい男だな。さっさと吐けばいいものを」


 衛兵は乱暴にエドを独房へと突っ込むと、忌々しげに扉を閉めた。エドは立つ元気もないようで、ドサリと倒れたような音が聞こえる。外から南京錠をかける、ガチャンという音が辺りに反響した。

 扉の隙間から僅かに見える衛兵は無表情に倒れたエドを見下ろしていたが、思い出したようににやにやしながらこう言った。


「そうだ、いいことを教えてやろう。お前が忠誠を誓ったナジール国はもうないが、最後の姫様も、もうすぐ死ぬ。ああ、もう元姫様だったか。新しく王妃様になるお方が『余興もできぬなら、食べ物を与えなければよい』と。お前のせいだな。せいぜい自分の罪深さを悔いながら、敬愛する女が衰弱する様を見るがいい」

「ははっ、その前にこの男が死ぬんじゃないか?」

「それもそうだ」


 せせら笑うように吐き捨てた衛兵達が去っていくのを見送りなから、私は体が震え出すのを止めるためにぎゅっと自分を抱きしめた。


 泣くな、震えるな。私は誇り高きナジール国の第一王女。


 そう、あの衛兵が言う『姫様』とは、私のことだ。


 私、アナベル=ナリア=ゴーテンハイムは、ナジール国の第一王女であり、ここサンルータ王国の若き国王──ダニエル=バーレクの婚約者だった。


 三つ歳上の夫となるサンルータ国王、ダニエルとは政略結婚のために十六歳で婚約した。

 今となっては信じられないことだけど、出会ってから婚約に至った後も、ダニエルはとても優しく紳士的だった。穏やかに微笑み、静かに私の話に耳をかたむけ、祖国を離れることを不安に思う私を優しく抱きしめた。そして、必ず幸せにすると耳元で囁いた。


 だから、私は彼となら幸せな未来が築けると信じ、十八歳となった今年、ほとんどお供も連れずにこの国に嫁いで来たのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る