ある日の放課後
その日の放課後、私はお兄様を待つ間、魔法実験室に行った。
この数ヶ月でわかったのだけど、魔法実験室を貸切予約しているのはエドを始めとするグレール学園の特に魔術に秀でた数人の生徒達だった。ほぼ毎日、彼らのうちの誰かしらが貸切っており、更に彼らは皆、グレール学園の高学年だ。
だから、誰が借りていようと、私が放課後すぐに魔法実験室を使用してお兄様の授業が終わるのを待つのは、邪魔にはならないのだ。
魔力を放出させる練習は、どこでやっても問題はない。
けれど、私は前世でサンルータ王国の王宮を派手に破壊した記憶があるので、万が一を考えて魔法実験室で練習することにしていた。だって、もしもまたあんな風に魔力が急激に膨張して放出されて、グレール学園の校舎が破壊されたら大変だもの。それこそ、生徒が怪我でもしたら一大事だわ。
ビーカー、フラスコ、ポーション用の薬草にランプ──。
広い実験室には様々な実験器具が置かれていた。さらにその奥には、魔法陣の実験をするための広い何もない空間が広がっている。空間は三メートル四方ほどに仕切られており、その一つひとつが魔法陣を敷くための場所なのだろう。
私は実験器具が並んだ机の一つに向かって椅子に座ると手のひらに意識を集中させた。目を閉じて、体の中心にある魔力の流れを感じ取るように。
どれだけそうしていただろう。カタンという音がして私は振り返った。
「ああ。今日もいらしていたのですか」
開いたドアから入ってきたのは、顔の上半分が黒髪で隠れた、男の子。けれど、見えている鼻先から顎にかけてだけでも見目が整っていることは予想が付く。こちらを向くエドの口許は穏やかに微笑んだ。
「エドワール様? あっ、もうそんな時間なのね」
壁に掛けられた時計を見ると、時刻は三時半を指していた。お兄様達の授業が終わる時間だ。私はさっと椅子から立ち上がる。
「ごめんなさい、貸し切りしていたのに。もっと早く出るつもりだったの」
「いいえ、構いません。……調子はいかがですか?」
丁寧な口調でそう尋ねるエドを、私は見返す。
エドは相変わらず、私と一定の距離を保って『友人である王太子の妹の王女殿下』として接してくる。ただ、最初よりはだいぶ気安く話しかけてくれるようになった。
あの後、私はそれとなくサンルータ王国の話題を振るなどしてエドの腹の内を探ろうとした。けれど、特に変わった反応はなかった。だから私は、今のエドに私の護衛騎士であったかつてのエドの記憶はないと断定した。
エドの言う『調子』とは、『魔力放出の訓練の調子』を聞いているのだろう。以前、エドに魔法実験室で何をしているのかと聞かれたので、魔力を放出させる練習をしていると教えたのだ。
「駄目なのよ。教科書通りに頑張っているのだけど、何がいけないのかしら?」
私は肩を竦めて見せた。本当に、何がいけないのかさっぱりわからない。
エドは顎に手を当てて、考え込むように顔を少し俯かせる。
「一般的に、魔力の開放は歳を取ればとるほど難しくなると言われています」
「ええ、そうね」
私は、むうっと口を尖らせる。
一般的に、魔力の開放は十歳程度までに大半の人が自然にできるようになり、一度できれば二度目は容易い。
ただ、最初のそれは歳を取れば取るほど難しくなると言われている。私はまだ十二歳とはいえ、殆どの人が十歳までにできるようになっていることを考えると十分遅い。このまま時間が経てば、一生できなくなる可能性がますます高まるのだ。
「自然に魔力の解放ができなかった人間が後に魔力を解放できたきっかけには、いくつかパターンがあります。多いのが、命の危険に晒されたときの自己防衛」
エドは考えるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あとは、激しい怒り、大きな悲しみ、自分を見失うほどの動揺、叫びだしたくなるほどの喜び──。……つまり、感情が大きく揺さぶられたときです」
「感情が大きく……」
私はじっと考え込む。
確かに、サンルータ王国の牢獄で魔力を暴走させたとき、私は最後まで守っていてくれた唯一の味方だったエドを失ったと思い、激しい怒りと悲しみに包まれた。
あれと同じ感情を味わえば、魔力の放出ができるということかしら?
でも、あれ程の衝撃を日常生活で味わうなんて、どう考えても無理だわ。
「ありがとう。考えてみるわ」
「困っている際は、いつでもご相談ください」
エドはそう言って微笑むと、肩に掛けていた鞄を近くの机に置いた。ドシン、と大きな音がして、中に重いものが入っていることを窺わせた。
「エドワール様はいつもここで何を?」
「魔法の研究ですよ。新しい魔法を作れないかと思って」
「──すごいのね」
「そうでもありません。かの有名な大魔術師ロングギールが最初の魔法陣を完成させたとき、彼はまだ二十一歳の若者でした」
「エドワール様はまだ十三歳だから、可能性はあるのでは?」
大魔術師ロングギールとは今から一〇〇年程前に実在した大魔術師だ。類まれなる魔術の天才で、その七〇年の生涯で数多くの魔術を編み出した。
さらにそれだけではなく、世界最初の魔法陣を作り出した。魔法陣の発明により優れた魔術師でなくても高度の魔法を使用できるようになり、彼は死ぬまで魔法の普及に尽力した。
我がナジール国が魔法に秀でた国であるのも、ロングギールの多くの功績の恩恵が大きい。
その功績が認められ、伯爵家の次男で爵位が継げなかったロングギールは、特に優れた魔術師に与えられる『魔法伯』の爵位を賜った。この魔法伯は侯爵位と伯爵位の中間に位置するほどの高位爵位であり、彼はのちに第三王女を娶ったことでも有名だ。
私の記憶ではロングギール以降、『魔法伯』の爵位を賜った者はいない。
そして、彼には子供がおらず、養子もいなかったので、今現在『魔法伯』を名乗る貴族はナジール国に存在しない。
エドはこちらを一瞥するとふっと表情を和らげ、鞄から魔術書を取り出す。
分厚くて、見るからに難しそうな専門書だ。著者名に『ロングギール』とあるので、彼の魔術をおさらいしているのかもしれない。
「エドワール様は剣もお強いのに、魔法も得意で凄いわね」
「剣?」
エドの声色が怪訝なものへと変わる。
「ええ。エドワール様は魔術もとても優れているけれど、剣の腕前もすごいでしょう?」
「いえ……、俺は剣の腕はそれほどでも」
「そうなの? なら、これから伸びるわ。楽しみね」
そう言うと、エドは顔に掛かった髪の合間から見える赤い目を、不思議そうに
「どうしてそう思われるのですか?」
「だって、わかるもの」
「わかる?」
「うん、そうよ」
私は意味ありげにふふっと笑う。
かつて私の護衛騎士を務めたエドは『魔法騎士』と呼ばれ、魔術師であると同時に優れた剣の使い手でもあった。
その動きはしなやかで美しく、まるで水面を舞う水鳥のように華麗であると例えられていた。
今世ではまだエドの剣の舞を見たことはない。今は得意でないと言うなら、これからぐんぐん伸びてゆくはずよ。
そのとき、壁際の時計の針がいつの間にか四時を指しているのに気が付いた。
大変だわ! お兄様が心配しているかもしれない。
「もう行かないと。きっと、お兄様が心配しているわ」
「ああ、本当だ。馬車乗り場までお送りしましょうか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
「お気をつけて」
エドはまた柔らかく微笑む。
久しぶりにエドとたくさん話し、ついつい時間を忘れてしまったわ。
私はにこりと笑って片手を振ると、馬車乗り場へと向かって足を急がせた。
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