初めての街歩き
パンを焼くいい匂いも、通りに出て花を売る少女も、笑顔で果物を差し出す男性も、全てが珍しい。この日、約束通りオリーフィアと町に買い物に出かけた私は、見るもの全てに目を奪われた。
「ねえ、見て。果物があんなにたくさん」
「あれは果物屋さんですよ。果物を売る専門店です」
「ねえ、あの井戸の前ではなにをしているの? 泡だらけよ」
「あれは洗濯屋さんです。洗濯を代行するサービスですよ」
「面白いわ」
護衛兼案内役のアングラート公爵家の従者であるオルセー(もちろん、私の護衛騎士も遠巻きに見守っているわ。けれど、あくまで遠巻きに、なの。だって、こんな小娘に厳つい男が何人も付き従っていたら明らかにおかしいでしょう?)が、私とオリーフィアの質問に笑顔で答えてゆく。
私は言わずもがなで初めての街歩きだけれども、誘ってくれたオリーフィアもまだ数えるほどしか街歩きはしたことがないと言っていた。だから、私達は見るもの全てが物珍しいのだ。
井戸の前では大きな
「可愛いお嬢様、これなんてどうだい? その綺麗な金色の髪によく似合うよ」
のんびりと辺りを見渡しながら歩いていると、道端の露天商のおじさんが声を掛けてきた。笑顔で赤いリボンの髪飾りを差し出している。
「まあ、素敵ね」
私は立ち止まった。
グレール学園の制服を着ているおかげで、私達が裕福な家庭の子供か貴族令嬢であることは認識できても、誰も王女がいるだなんて、気付きもしない。こんなに次々と声を掛けられることなんてこれまで一度もなかったから、無性に楽しくなる。
「ねえ、フィア。ちょっと見てもいい?」
「え? いいけど、ベルはもっとちゃんとしたものをたくさん持っているのではなくて?」
「うん。でも、見てみたいの。可愛いわ」
「本当ね。わたくしも見てみようかしら」
私とオリーフィアは二人並んで商品を眺める。
商売上手のおじさんがすかさず目の前に差し出した髪飾りを手に取ると、それをしげしげと眺めた。それは近くで見るとあまり高価でないことは一目瞭然だけれども、赤いリボンがピンに付けられており、とても可愛らしい。
「街歩きの記念に、ひとつ頂こうかな」
「じゃあ、わたくしもそうしようかしら。お揃いで買えば、一緒にお出かけした記念になるわ」
オリーフィアは私が手にしたものと同じデザインの、黄色いリボンの髪飾りを手に取った。オリーフィアの髪は茶色がかった金髪なので、それを添えるととても可愛らしく見える。
うん、すごく似合っているわ。
結局、私達はその露店でひとつずつ髪飾りを購入した。
街歩きをしていると、大通りからはたくさんの小路が伸びていることに気付いた。目を向けると、人通りはまばらだけれどその細い通り沿いにもお店の看板がちらほらとかかっているのが見える。一番手前に見える木彫りの看板には靴が彫られているから、靴屋さんかしら。もしくは、靴の修理屋さんかもしれない。
「ここの通りには、何があるの?」
「細い小路には住宅や、小さなお店があります。ただ、殿下とお嬢様は行ってはなりません」
「行ってはならない? なぜ?」
オルセーの言葉に、私は首を傾げる。
「路地裏には
「ふうん」
私はもう一度その細い通りを眺めた。
遠くで自分と同じかもっと小さい位の年頃の子供が遊んでいるのが見える。あの子達は元々ここに住んでいるから大丈夫ってことなのかしら?
興味がないと言えば嘘になるけれど、行くなと言われたのだから行かない方がいいわよね。
「それより」
オルセーが私達の背中を押し、よそに行こうと促す。
「そろそろお腹が空きませんか? 休憩にしましょう」
そう誘われて、私はお腹に手をあてる。確かに、夢中で歩き回っていたからお腹がペコペコだわ。
「休憩って、お店に入ってもいいってこと?」
「もちろんですよ」
「「やったぁ!」」
オリーフィアとほぼ同時に歓声を上げる。まさか、おやつまでここで頂けるとは思っていなかったからとても嬉しい。
私達はちょうど目に入った一軒のお店に入った。念願の『カフェ』よ。いつも通学の馬車から見える、赤いひさしが可愛らしいお店だ。
店の奥ではなくて通りがよく見える道沿いの席を用意してもらって、絞りたてのオレンジジュースを頂く。本当は毎朝のように皆が飲んでいるのを見ている『コーヒー』が飲みたかったのだけれど、残念ながらそれはオルセーに止められてしまった。私達には『まだ早い』そうよ。
デザートに頼んだケーキは王宮で食べるものと違ってボソボソしているのでフォークで上手く切ることが難しく、仕方がないのでこっそりと手で摑んで噛り付いた。こんなはしたない真似をして大丈夫かとオルセーや自分の護衛騎士達をチラリと見ると、皆見て見ぬふりをしてくれている。
オリーフィアを窺い見ると、彼女も私と同じことを考えていたのか、お互いに手にケーキを持ったままバッチリと目が合った。見つめ合ったままくすくすと笑い合い、なんだかとても愉快になって最後は声を上げて笑った。
何もかもがとても楽しい。
ケーキは乾燥していて固かったけれど、ジュースと一緒に頂けばとても美味しく感じた。
そして、私はふと気付く。
これは、かつての私が牢獄で一度でもしてみたかったと願った、『楽しいときは大声を出して笑って、町で買い物して、好きなものを大口開けて食べる』ではないだろうか?
──今からでもできますよ。
仄暗い牢獄でそう言って、壁越しに私の手を握ってくれた護衛騎士の姿がまた脳裏に浮かんだ。誰よりも強く、誠実で、最期まで私を支えてくれた優しい人。
ポケットに手を入れるとコロンとした感触が手に触れる。
きっと、今を生きている私の時間は、彼からの贈り物なのだろう。
(大丈夫。私は、きっと頑張れるわ)
明日からまた魔力解放の練習をしよう。そして、この世界では必ず幸せになってみせる。
私はそう胸に誓うと、ポケットからそっと手を抜いた。
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