剣の練習

 その日、魔法の授業を終えて教室の移動をしていた私は、けたたましい金属音にふと足を止めた。廊下のあちら側、石造りの高い塀の向こうからしきりにカキン、キンッ、と高い音が聞こえてくるのだ。


「何かしら?」

「ああ。これは多分、剣の訓練よ。休み時間の今やっているってことは、きっと二時間連続なのね」


 不思議に思って高い塀を眺めていると、隣を歩くオリーフィアがそう教えてくれた。

 ある程度学年が上がると、グレール学園の男子学生には剣術の授業がある。私達五回生の男子生徒も剣の練習が始まっているようで、最近クロードは手のひらにマメができて痛いとぼやいていた。


 グレール学園には良家の子息がたくさん通っているが、その全員が爵位や実家の稼業を継げるわけではない。それらの爵位を継げない学生にとって憧れともいえる花形職業に政務官、それに、魔法騎士や近衛騎士がある。

 だから、グレール学園に通う生徒達の中にも騎士を目指している人達がたくさん存在する。それゆえ、皆熱心に取り組むのでちょっとした見ものなのだとオリーフィアは教えてくれた。


「あっちから授業の様子を見学できるのよ。ちょっと見てみる?」


 オリーフィアが前方の塀の一部が階段状になった辺りを指さす。そちらに目を向ければ、石垣の塀がその部分だけ低くなっている。あそこが出入り口のようだ。

 そして、そこにはたくさんの女子学生達が立っているのが見えた。きっと、皆訓練の様子を見学しているのね。


「凄い人なのね」

「きっと、シャルル殿下がいらっしゃるんだわ」

「お兄様が?」

「そうよ」


 先を歩くオリーフィアはトンッと階段を上り、笑顔で後ろを振り返る。風で茶色い髪がふわりと浮き上がり、陽の光を浴びて煌めく。私は慌ててその後ろを追いかけた。


 そう言えば、お兄様は王太子だし、優しい性格だし、とても整った容姿をしているので、多くの女性が憧れる存在なのだ。あまりにも身近な存在だし、ちょっぴり抜けているところも知っているから危うく忘れそうになるけれど。


 既に見学している女子学生の人垣に混じって塀の向こう側を覗くと、そこからは確かに訓練場がよく見渡せた。

 五十メートル四方ほどの地面の土がむき出しになった広場は、四方を石の塀で覆われており殺風景だ。唯一空いている隙間は今私が覗いている、入り口も兼ねた階段部分だ。

 その何もない広場に、ざっと見て数十人の男子学生がいる。その男子学生たちが模擬剣を手に剣術の授業を受けていた。


「わぁ、凄いわ」


 王宮には騎士団がいるのでもちろん訓練場はあるし、騎士団の中で最も優秀な騎士を決める剣術大会も毎年行われている。

 けれど、私が見に行くことはないからこうして剣の訓練を見るのは始めてだ。

 

 剣を習い始めてまだ数年の彼らの素振りや打ち合いなど、王宮にいる騎士団のそれに比べれば子供のお遊びのようなものなのだろう。けれど、それでも十分に迫力があった。


「あ、お兄様だわ」


 周囲と比べてひと際明るく輝く金の髪を見つけ、私は片手を高く上げた。けれど、当のお兄様は余裕がないようで、ちっともこちらに気が付かない。打ち合いの練習に集中しているようだ。


 よくよく見ると、お兄様の相手をしているのはドウル様だった。

 二人は同じ年のはずなのにドウルの方が一回り近く体が大きく、お兄様は受けるのがやっとといったところのようだ。これでは、気付いてもらうのは無理そうだ。


 ぼんやりと隣のペアに視線を移動させ、視線の先の人物に気付きドキリと胸が跳ねる。


 烏の濡れ羽色の髪は太陽の光を浴びて艶やかに煌めいている。鼻梁のすっきりと通った容姿は、遠目にも整っていることがわかる。いつもは顔を隠すように前髪が下ろされているけれど、剣の打ち合いでは流石に邪魔なのか、今日は後ろに流されて顔がしっかりと見えた。


(エド……)


 実力が拮抗しているのだろうか。

 太刀筋を見極めようとする深紅の瞳は真剣そのもので、真っすぐに相手を見つめている。重い音を鳴らして剣を受けるたびに衝撃で体が揺れ、その黒髪もさらりと揺れた。


 前世において、彼は誰よりも優秀な魔法騎士だった。その剣の腕の素晴らしさは、普段殆ど魔法騎士団と関りを持たない私ですら耳にすることが多く、確か魔法騎士団の剣術大会でも優勝したとか。


(剣術大会、見物に行けばよかったわ……)


 もう二度と見ることができないと思うと、そんな後悔が湧いてくる。


 視線の先のエドと相手をしている学生の剣がぶつかり、ガキンと大きな音が鳴った。


 かつて私の護衛騎士をしたエドワール=リヒト=ラブラシュリと今私の視線の先で剣を握るエドは同一人物だけれども、別人だ。この世界のエドはかつての私のことを知らなければ、ましてや私の護衛騎士でもなく、グレール学園の一学生に過ぎない。

 けれど、剣を握って真剣な表情で相手を睨みつけるその姿はかつての彼の姿を彷彿とさせる。  


「あ、そろそろ行かないと次の授業が始まるわ」


 まだ見学を始めて数分も経っていないけれど、隣で見物していたオリーフィアが時計を確認して呟く。名残惜しいけれど、私はその場を後にして廊下を歩き始めた。


「ねえ、フィア。グレール学園では剣術大会はあるの?」

「あるわよ。六回生から八回生までの三学年の学生が参加するの。国立騎士団のお偉いさん達も視察に来るのよ。卒業後の入団をスカウトされることもあるから、物凄い熱気なのよ」


 教室へと向かう道すがらそう尋ねると、オリーフィアは目を輝かせながら説明してくれた。


「へえ……」


 では、エドはその剣術大会でスカウトされて魔法騎士団に入ったのかしら。


「次の剣術大会は見てみたいな」

「うん、そうね。お祭りみたいに、すごく盛り上がるわよ。次の剣術大会のときは私たちも六回生になっているから、クラスで一人くらいは誰か決勝までいけるかしら? 楽しみね」

 

 オリーフィアは昨年の剣術大会を思い出したのか、興奮したように頬を紅潮させる。


「うん、楽しみだわ」


 私は口許に笑みを浮かべ、こくりと頷いた。


 舞うように美しいとされたエドの剣技。

 その姿を、今世ではこの目で見てみたい。


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