失くしもの 1

 その日はとても暑かった。


 店内から大通りへ出ると、容赦のない日差しが降り注いできた。立っているだけで汗が噴き出るような灼熱に、ポケットからハンカチを取り出して額を拭う。


 すぐ近くでは、近所に住む子供達がごみ拾いをしていた。前に小路にいるのを見かけたことがある。この暑い中、ご苦労なことだ。そして少し離れた場所では若い男性達が何人かで座りこんでお喋りに興じているのが見えた。


「暑いわ」


 ハンカチを片手にぼやく私に、「ほんとね」とオリーフィアも同意するように呟く。

 オルセーが私達を日陰に入れるように日傘を差し出してくれた。  


「どこかで冷たい飲み物でも飲んで、休憩しましょう」

「やったあ」


 オルセーの提案に、私達は同時に歓声を上げる。通り沿いのカフェでクッキーと搾りたてのオレンジジュースを頂いて、楽しいひとときを過ごしたのだった。


    ◇ ◇ ◇


 異変に気付いたのはその日の夕方、王宮に戻ってからだった。自室でグレール学園の制服を脱ごうとした私は、いつものようにポケットに手を入れて青ざめた。


「え? うそ」


 慌ててポケットを完全に引き出して裏返しにする。けれど、そこには何も入っていなかった。部屋の中の絨毯を見回しても、赤いものは見当たらない。


「…………。もしかして、落とした? 馬車かしら?」


 すぐに探しに行こうと部屋を出ると、途中で近衛騎士と立ち話をしていたお兄様と偶然会った。


「ベル、どこかいくのかい? もう暫くしたら、夕食だよ」


 お兄様は制服姿のまま部屋から出てきた私に、怪訝な表情をする。


「馬車に忘れ物をしたの。すぐ戻るわ」

「案内の護衛を」

「もう小さな子供ではないのだから大丈夫よ。宮殿内だし、すぐ戻るから」

「そうか。それは悪かったね」


 呆れたようにそう言った私に、お兄様は柔らかく目じりを下げる。


 お兄様と別れた私は、足早に馬車乗り場へと向かった。先ほど私が乗って帰ってきた馬車はちょうど清掃が終わった後のようで、御者は馬を外そうとしていた。


「ねえ、中に赤い珠が落ちていなかったかしら?」

「赤い珠? 見かけませんでしたが?」


 バケツの水で雑巾を濯いでいた御者は、それを置くと首を振る。

 その呑気な口調と緩慢な動作とは対照的に、私はサーっと血の気が引くのを感じた。馬車の中にないとすれば、いつ、どこで落としたのだろう。


 私には事あるごとにポケットに手を入れてエドのくれた魔法珠を触る癖がある。今日の街歩きの途中で触れた際には間違いなくあった。ということは、その後に落としてしまったということだ。


「どうしよう……」


 なくすなんて、あり得ない。

 あれは、前世で最後まで守ってくれたエドが命に代えて私に託した、大切なものだ。今でもその加護が残っており、私のお守りでもある。


「探さないとっ! お願い。すぐに城下へ出て!」


 冷静に考えれば、私はすぐに部屋に戻り、近衛騎士達に事情を伝えて心当たりを彼らに捜索させるべきだった。けれど、このときは酷く気が動転してしまい、私は完全に平常心を失っていた。


 御者は突然変わった私の血相に目を丸くした。

 外出時は必ず付ける近衛騎士が一人もいないことを訝しむように周囲を見回したので、私は首を振る。


「必要ないわ。急いでいるの」

「しかし……」

「大丈夫だから」


 城下街にはグレール学園に通い始めてからというもの何回も訪問したし、毎日馬車で通っていて様子も知っている。一度も危険な目にあったことなんてないのだから大丈夫。それよりも、なくした魔法珠を探す方が先決だ。


 愚かにも、そんな安易な考えを持ってしまったのだ。


 御者は王女である私に歯向かうこともできないので、おずおずと馬に鞭を入れ発進させる。一〇分もかからずに、馬車は見慣れた町の馬車停車場に到着した。


「少しここで待っていて」

「かしこまりました。しかし、殿下はどちらへ?」


 心配そうに御者がこちらを見つめる。私は首を横に振って見せた。


「すぐに戻るわ」


 私は馬車を降りると、今日行った道のりを足早に進む。早歩きしながらも辺りをきょろきょろと見まわしたけれど、探している赤い魔法珠は見当たらない。

 すでに日は沈みかけており、地面や建物の壁をを茜色に染めていた。人通りも昼間に比べると少なくなっている。


 日が暮れてしまえば、今日中に探し出すことは完全に不可能になるだろう。私は益々焦って周囲を見渡した。


「ないわ……」


 今日歩いた道も、訪れた店も、全て回った。けれど、探し物はどこにもなかった。

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