からくり箱 4

 やった課題の間違ったところをエドに教えてもらい、今日の授業はおしまいにしようとしたちょうどよいタイミングで、お湯を取りに行っていたエリーがティーセットを持って戻ってきた。


「お待たせしてしまいましたか?」


 部屋の入り口でドアを閉めたエリーは、私の前に置かれた教科書とノートが閉じられているのを見て、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「ううん、今ちょうど終わったところなの」

「あら、それはようございました。お疲れ様でございます。さあ、お茶になさいませ」

「ええ、ありがとう」


 エリーはホッとしたように息を吐き、お茶とお菓子を給仕する準備を始める。

 目の前でティーカップに注がれる紅茶からは、ふわりと香ばしい匂いがした。これは──。


「ディンブルティーかしら?」

「さようでございます。たくさん頂きましたから」


 エリーは手を休めずに、口元だけ口角を上げる。

 ディンブルティーはサンルータ王国で私が気に入っていた紅茶だ。帰国前日にダニエルが部屋を訪問してきた際にこれが好きだと告げたら、たくさんお土産に持たせてくれたのだ。

 サンルータ王室御用達の茶葉農園のものを戴いただけあって、一口飲めばすっきりとした上品な味わいが広がり、華やかな香りが鼻孔をくすぐる。


「これはね、サンルータ王国のディンブル地方でとれる紅茶だから、ディンブルティーというのよ。とても美味しいから、わたくしのお気に入りなの」


 私は用意されたクッキーを摘まみながら、エドにそう教えてあげた。


「へえ……」


 エドはカップに顔を近づけて香りを楽しんだ後、それに口を付ける。そして、美味しいですね、と微笑んだ。そのとき、ふと何かに気が付いたように視線を私の後方に投げる。


「あれも、お土産に買っていらしたのですか?」

「あれ?」


 私はエドの視線を追うように、後ろを振り返った。

 壁際にあるサイドボードの上には、白い箱が置かれていた。


「ああ、これはダニエル殿下に戴いたのよ。サンルータ王国に来た記念にと」


 私は立ち上がってその箱を手に取ると、エドの前にそれを置いた。箱の上部には、幾何学模様が彫られている。


「俺が先ほど戴いたものに似ていますね。これもからくり箱なのですか?」

「ううん、違うと思うわ。だって、開くもの」


 私はその箱の模様が入っている上部を持ち上げる。蓋はなんの力もいらず、すんなりと開く。中にはポプリが入っているので、開けた途端にふわりと優しい香りが漂った。


「見てみても?」

「もちろんよ。どうぞ」


 私は開けていた蓋を閉めると、その小箱をエドに手渡した。エドは観察するようにその箱を眺めていたけれど、ふと思い付いたようにそれを弄り始めた。


「あ、ここが動きますよ。やっぱりこれもからくり箱ですね」

「え、本当に?」


 驚いて聞き返す私の目の前で、エドは器用に箱の一部をずらし始める。そして、さほど時間もかからずにカチャリと音がした。


「開きました。中身は……手紙かな?」


 エドが言うとおり、箱の脇に僅かな隙間があいていた。ポプリが入っていた箱の中は実は二重床になっていたようだ。そこには、小さく折り畳まれた紙切れが入っていた。


「どうぞ」


 エドは中を見ることなく、折り畳まれた紙切れを私に手渡す。

 これがからくり箱だなんて思ってもみなかった私は驚いた。こんな場所に手紙が入っているなんて、これを仕込んだのは間違いなくダニエルだろう。

 恐る恐るそれを受け取ると、開いて中を確認した。紙切れには文字が書かれていた。見覚えがあるので間違いない、ダニエルの直筆だ。


『からくり箱の中身は外からはわからない。故に対処が難しい。南の魔女には気を付けよ。きみとの再会を心待ちにしている』


「南の魔女?」


 手紙に視線を走らせた私は困惑した。何を言いたいのか、その意図がさっぱり読めない。

 じっとこちらを見つめていたエドは私の様子がおかしいことにすぐに気がつき、横から手紙を覗き込んできた。


「まるで謎解きのような手紙ですね。『からくり箱の中身は外からはわからない。故に対処が難しい』か。物事は外から見ても本当のところは中々わからないから、気をつけろと言っているのかな? 『南の魔女』とはなんのことですか?」

「わからないわ」


 私は左右に首を振る。


 南の魔女?

 そんな称号を得た魔女がいるという話は聞いたことがない。

 本当に、何が言いたいのかがさっぱりわからなかった。 


 手紙を見つめたまま黙り込む私のすぐ横で、ほっと息を吐く気配がした。


「なんにせよ、熱烈な恋文ではなさそうで安心しました」

「え?」

 

 見上げると、エドは少し肩を竦めたような仕草をして、こちらを見つめる。


「再会を心待ちにしているの下りは少し気になりますが、儀礼上のものとも読み取れますし」

 

 私はその言葉を聞き、口の端を上げる。 


「もしも恋文だったら、どうしたの?」

「それは困りますね。心変わりされないように、姫様には魅了の魔法でもかけてしまいましょうか」

「魅了の魔法? そんなものはないでしょう?」


 私は耐えきれずにくすくすと笑い出す。魔法の力は万能ではない。人の心に作用するような魔法はないはずだ。

 エドはそんな私を優しく見つめると、少し体を前に傾けて私のおでこに口づけた。触れられた額から一気に熱が広がり、ほんのりと頬が熱くなる。


(ああ、まちがえたわ)


 魅了の魔法はきっとあるのだ。エドがずっと私にかけ続けているもの。

 だって、ほら。

 彼のほんの些細な行動一つで、私はこんなにも幸せになるのだから。

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