迷い
グレール学園では卒業式を前に、社交界デビューへの最後の予行練習を兼ねた舞踏会が開催される。その直前になると、誰と誰がパートナーになるのかとか、どんなドレスを着るのかとか、女子生徒はその話題で持ちきりになる。
「ねえ、ベルはもうドレスは決めた?」
授業の合間、音楽室から普段の教室へと移動している途中、オリーフィアにそう聞かれて私は首を縦に振った。
「ええ、決まっているわ。ローラ・アダムスの工房で今仕立てているところ」
「ローラ・アダムス! 素敵ね! 見るのが楽しみだわ」
オリーフィアは口許に手を当てて、踊るようにくるりと回る。
ローラ・アダムスとはここ二十年くらい、ずっとナジール国一と名高い有名な服飾デザイナーだ。とても人気で、王族である私は特別に枠が設けられているので問題なかったが、通常であれば有力貴族でもドレスを作ってもらうのは半年以上待つらしい。
「フィアは? もう決めたの?」
「ええっと、わたくしはね、ローラ・アダムスではないのだけど、キャスティン・ルーラーのなの。実はわたくしが選んだのではなくて……」
なんとも歯切れの悪い言い方と、ほんのりと色づいた頬ですぐにわかった。これは、もしかして──。
「もしかして、クロードからプレゼントされるのかしら?」
「え!?」
なんでわかったの? と言いたげに目をまん丸にするオリーフィアを見て、思わず笑みが零れる。
オリーフィアのパートナーをクロードが務めることは既に聞いていたし、前世でも卒業と同時にオリーフィアとクラークは婚約していたわ。
キャスティン・ルーラーはローラ・アダムスと同じく、ナジール国では有名な服飾デザイナーだ。キャスティン・ルーラーの方がリボンなどを多く使い、よりフェミニンな印象だ。オリーフィアにとってもよく似合いそうね。
ちなみに、王女である私のパートナーは近衛騎士団長の次男が一学年下にいるので、その方にお願いすることになった。対外的に説明がしやすく、私の降嫁先なのではと言うあらぬ憶測も起こりにくいからだ。
「あのね、ベルにはまだ話していなかったのだけど、実はお父様とジュディオン侯爵が今話を進めていて──」
ごにょごにょと言っていたオリーフィアはそこで言葉を濁すと、意を決するように顔を上げる。
「私達、婚約するの!」
オリーフィアの肌は首までピンク色に染まる。
そんな様子に、なんて可愛らしいのかしらとこちらまで表情が綻ぶ。オリーフィアが本格的に社交界デビューする前に婚約者の座を得ることができたクロードはとても果報者ね。
「まあ、そうなのね。おめでとう! とてもお似合いの二人だわ」
「うん、ありがとう」
オリーフィアははにかみながら頷き、花が綻ぶような満面の笑みを浮かべた。
「ベルは、今度の成人祝賀会がドキドキね? いろんな国の王子様や王女様がいらっしゃるってクラークが言っていたわ。多分、そこがベルの婚約者選びも兼ねているだろうって──」
明るい口調でそう語るオリーフィアの横で、私はさっと表情を強ばらせた。
クロードは外交トップのジュディオン侯爵家の嫡男で、卒業後は外交官の道を進む。既に、父であるジュティオン侯爵の手伝いを始めていて、今度の成人祝賀会の準備にも関わっているのだろう。
前世、私はその成人祝賀会でサンルータ王国の王太子であるダニエルと出会った。そして、あれよあれよという間に婚約が決まった。
私自身は特に何も知らされてはいないけれど、今回も裏で何かしらの手が回っている可能性はある。つまり、私が何も行動を起こさなければ、またダニエルと婚約関係になってしまう可能性は高い。
(なんとかしないと……)
でも、どうやって?
私は曲がりなりにも一国の王女だ。自分の意思で結婚相手を決めることなどできない。そして、今現在のエドでは私の降嫁を望んだところで、それが叶えられる可能性はゼロだ。
それに、もしもダニエルへと嫁がなかったとしても、別の国の王子に嫁がされる可能性は大いにあり得る。そうすれば、エドと結ばれることはない。
その気になれば触れ合えるほどの距離にいながら、私達は果てしなく遠い。
廊下の窓からふと見上げた空には、鳥のつがいが飛んでいるのが見えた。
(わたくしとエドも、あんな風に何もかも捨ててどこかに飛んで行ければいいのに)
そうできたら、どんなに楽だろう。
あんな悲惨な未来も、何もかもを捨て去ってどこかの片田舎で平民として暮らせたら。
そこで私はゆるゆると首を振る。
私が変えようとしている未来は、私だけの未来ではない。
ナジール国を守る未来でもあるのだ。
だから、こんなところで逃げ出すわけにはいかないのだ。
(せめて、誰か味方がいればよかったのだけど)
エドに話せば一緒に方法を考えてくれるだろうか。
でも、やっぱり駄目だわ。
あんな未来、話せるわけがないし、信じて貰えないだろう。
何もせずとも、ときは刻々と過ぎてゆく。
前世で運命を分けた私の成人祝賀会まで、後数ヶ月に迫っていた。
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