違和感の重なり3
アロルド殿下とダンスを終えた後も次々とニーグレン国の外交関係及び高位貴族の方々に声をかけられ、穏やかな雰囲気のまま舞踏会は進む。
私は会場の大時計を仰ぎ見る。事前にアナウンスされているニーグレン国王の登場時間まであと五分を切っていた。
(キャリーナ、まだかしら?)
私は会場を見渡した。キャリーナの姿はまだない。
「アナベル姫」
きょろきょろと辺りを見渡している私に声を掛けてきたのは、ダニエルだった。濃紺の生地に金糸で精緻な装飾が施された、一国の王太子にふわさしいフロックコートを着ている。
「ダニエル殿下」
目が合った私が微笑むと、ダニエルはこちらに歩み寄ってきた。ダニエルの周囲を取り囲んでいたご令嬢達が残念そうに眉尻を下げる。
「皆様、まだダニエル殿下とお話ししたそうでしたのに」
「あいにく、私はアナベル姫と話したい気分だったのでね」
ダニエルはにこりと微笑むと私の手を取り、そこに唇を押し当てる。周囲から嫉妬の念が一気に集まるのを感じて、私は肩を竦めた。
国王陛下が登場したのに合わせ、演奏が止まる。
高い位置に設えられた玉座の前に立つニーグレン国王がナジール国、サンルータ王国との友好と参加者への労いの言葉を述べる。
それが終わると、再び美しい音楽の調べが聞こえてきた。
「アナベル姫。よかったら、ダンス──」
「ダニエル様!」
言いかけたダニエルの言葉は最後まで発せられることなく、遮られる。
声のほうを見ると、いつの間に会場入りしたのか、美しく着飾ったキャリーナが立っていた。
赤い髪がよく映える黄色のドレスは、随所に花が飾られた美しいものだ。首元や耳元には、キラキラとダイヤモンドが輝いていた。
「キャリーナ姫! 遅いから、どうしているかと心配していたんだ」
ダニエルは突然登場したキャリーナの無作法に少し驚いたようだったが、すぐに口元に笑みを乗せる。
「準備に少し手間取ってしまいましたの。お待たせいたしました」
キャリーナはそんなダニエルの表情の変化に気付く様子もなく、ドレスの裾を摘まむとゆったりとした動作で、ダニエルを見つめ返す。
ダニエルが私を気にかけるようにチラリとこちらを見たので、私は小さく頷いて一歩後ろに下がって見せた。
「キャリーナ姫。ダンスを申し込んでも?」
「もちろんですわ。喜んで」
キャリーナはにこりと微笑むと、一瞬だけ私に視線を投げた。そこに、勝ち誇ったような不遜さを見付けた気がして、なんとも言えない気分になる。
(キャリーナって、ダニエル様のことが好きなのかしら?)
思い返せば、ニーグレン国からサンルータ王国へダニエルとキャリーナの政略結婚を打診したのも、キャリーナの強い希望だったと聞いた気がする。
私は会場の中央に進むダニエルとキャリーナの後ろ姿を見つめる。
──アナベル姫。昨日会ったキャリーナ姫は、本当に俺達が知るキャリーナ姫だろうか?
日中にダニエルに言われた言葉が脳裏に甦る。さっきのキャリーナの表情は、まるで前世の彼女を彷彿とさせた。
(本当に、なんで急にこんなに変わっちゃったのかしら……)
きっかけはなんだったろうと思い返す。
前回、ナジール国に来てくれたときはいつもの彼女だった。
その後、手紙で様子がおかしくなって……。
ということは、ここ数ヶ月。やっぱりエレナが体調と崩した時期と被るので、それが原因なのだろうか。
(エレナさん、治癒できたかしら?)
エレナが回復すれば、キャリーナも元の通り快活で明るい彼女に戻ってくれるかもしれない。
キャリーナ達に視線を向けると、既にダンスを終えて国王陛下への挨拶のための列に並んでいた。私はミニバックからメモを取り出し、進捗を尋ねる手紙をエドへと飛ばす。
『想像以上に頑丈で、まだかかります』
短い文面からは、苦戦している様子が覗える。
(誰がなんのために、エレナさんに魔術をかけたりしたのかしら?)
優秀な王宮魔術師であるエドが〝魔法がかかっている〟というならば、きっと本当にエレナにはなんらかの魔法がかけられているのだろう。けれど、理由がわからない。
(もしかして、エレナ本人が狙いじゃなくて、キャリーナになんらかの影響を与えたかったとか……?)
考え込んでいると、「アナベル姫」と声をかけられて私はハッとした。
「ぼんやりとしているが、大丈夫か? 体調が悪いなら部屋に──」
いつの間にか、私の前にはダニエルがいて心配そうに覗き込んでいた。
「ダニエル殿下。……キャリーナ様は?」
「ああ、こういう場はあまり好きではないから部屋に戻ると──」
「えっ!」
アロルド殿下からキャリーナはすぐに戻ってしまう可能性があると聞いてはいたけれど、本当にこんなに早く戻ってしまうなんて!
今戻ってしまわれては、エレナの様子を見にいっているエドと鉢合わせしてしまう可能性がある。
咄嗟に出口の方へ目を向けると、ちょうどキャリーナと思しき後ろ姿が見えた。私は慌ててエドに『すぐに部屋から戻るように』と手紙を飛ばすと、小さくなったキャリーナを追いかける。
「キャリーナ様!」
廊下で呼び掛けると、私の声に気付いたキャリーナがこちらを振り返る。
「……アナベル様? いかがされました?」
「これを、キャリーナに渡そうと思っていたの」
私は渡そうと思ってミニバックに入れておいた、小箱を取り出す。中には、キャリーナのためにお土産に持ってきた、魔法石の髪飾りが入っている。
「これは?」
「お土産よ。前にナジール国にいらしたときに購入したものが壊れてしまったと落ち込んでいたでしょう?
キャリーナはその場でリボンを緩めると、箱を開ける。
中身を見て、表情を綻ばせた。
「ああ、この
その瞬間、私は驚きのあまり、大きく目を見開いた。
キャリーナがあのとき選んだのは魔法石のネックレスだった。それが壊れたと言ってたので、今回
「大切にするわね。では、ごきげんよう」
「……ええ。ごきげんよう」
私は背を向けて部屋へと戻るキャリーナを呆然と見送る。
「あれは……誰?」
小さく漏らした言葉は広い廊下の中で掻き消える。
記憶に混乱をきたしているようにも見えない。あれではまるで──。
──からくり箱の中身は外からはわからない。故に対処が難しい。南の魔女には気を付けよ。
ダニエルの言葉が頭に反響する。
南の魔女は姿を変える?
そんなこと、あり得るはずがない。あれは世界中でエドしか使えない魔術のはずなのだ。
けれど、底知れない恐怖心が全身を覆い尽くすのを止めることができなかった。
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