昔話
窓際にいた私は後ろを振り返る。
ちょうど、エドがドアを開けて入ってきたところだった。
「あら。早かったのね?」
今出て行ったばかりなのに、数分もしないうちにエドは戻ってきた。手にもティーセットを持っていないので、廊下の途中で侍女でも見つけて言付けてきたといったところだろうか。
「外はどんな様子?」
「何人もの近衛騎士が部屋の前に立っています」
「うん。窓の外にもいるのが見えるわ」
私は窓の外、眼下を見下ろす。窓からの侵入を防止するため、建物に沿うように数メートル置きに騎士が立っているのが見えた。
「キャリーナはよく眠っているわ」
「そうですか」
ふとソファーのほうを見ると、トールも座ったままうたた寝をしていた。
本当はまだ仮眠をとる時間だったのに私がエドにティーセットを頼んだせいで起こされたので、相当眠かったのかもしれない。
エドはこちらに近付いてくると、キャリーナの寝顔をじっと見つめる。そして、今度は私のほうに近付いてきた。
──パキン。
耳の近くで何かが割れるような音がして、私は自分の髪に触れる。
髪の毛を留めるために付けたエドから貰った髪飾りが手に当たった。それを恐る恐る外すと、赤い魔法石に亀裂が入っていた。
(割れている?)
さっき、ベッドサイドに置かれていたものを付けたばかりだ。そのときは、異常なかったのに。
「
エドに微笑みかけられた瞬間、背中にぞくりとしたものが走るのを感じた。
目の前に立ち微笑みを浮かべるエドは、完全にエドワール=リヒト=ラプラシュリその人にしか見えない。
言っていることも、先ほどと同じく〝休んだほうがいい〟と私を気遣うものだ。
けれど、決定的に違うことがあった。
──エドは私を、『アナベル様』とは呼ばない。
私は咄嗟にベッドのほうに駆け寄ると、眠っているキャリーナを庇うように前に立つ。
(この人は、エドではないわ)
『特殊防御・垂壁』
自分が使える中で最も高度な防御魔法を唱えると、私とエドの間にぼんやりとしたシールドが現れた。
「アナベル様? どうかされましたか?」
エドは困ったような、怪訝な表情を浮かべる。
私はキャリーナを隠すように両手を広げると、エドをキッと睨み付けた。
「あなたはエドじゃない!」
エドはスッとその顔から表情を消す。そして、凍てつくような目で私を見つめてきた。
鈍い光が発せられ、周囲に魔法の粒子が舞う。
それに合わせ、エドだった人物は私の知る、エレナの姿へと変わった。
「なんでわかったのかしら? それに、魔法もかかっていないみたいだし、不思議だわ」
黒髪に黒い瞳の少女は、少し首を傾げると口元に片手を沿わせて目を眇める。
(エド、まだなの?)
胸が早鐘を打つ。
エレナと私では、魔力量はさほど変わらないにしても圧倒的に魔法の技術力に差があった。
助けを呼ばないと、まずいことになる。
「エレナ、なんでこんなことを? 私から恩赦の願い入れをするわ。今なら間に合うから──」
私はエレナの説得をすることにした。
普通に考えれば、エレナのしでかしたことは死刑は免れられないことだ。けれど、本人が悔い改めてくれれば、私からニーグレン国王に恩赦の願い入れをすることもできる。
「その名前で呼ばないでよっ!」
耳を劈くような怒鳴り声に、私はびくりと肩を振るわせた。
「その女、なんて言ったと思う? 私に『名前を付けてあげる』って恩着せがましく言ってきたの。あんたもそう。恩赦の願い入れをする? 王族っていうのはみんな傲慢で偉そうで、自分のことしか考えていない!」
興奮したように、エレナは捲し立てる。
それで、初めて知った。『エレナ』という名前は本名ではなく、突然変異の魔法使いとしてニーグレン国の王宮に連れてこられたこの子にキャリーナが付けてあげた名前なのだ。
きっと、心を閉ざしたこの子は自分の名前を言わなかったのだろう。
言うなれば、南部の山岳地帯に住んでいたこの子は、まさに『南の魔女』なのだ。
「だからって、こんな酷いことを──」
震える声で紡いだ私の言葉を、エレナはふんと鼻で笑う。
「酷いこと? 先に酷いことをしたのはどっちかしらね?」
両手を天に向けたエレナは、ふと遠くを見るような目をした。
「面白いこと教えてあげる。十三歳のとき、魔法を使えるようになっていた私の元に、突然ニーグレン国の役人達がやってきた。私を国に渡せって言ってね。村長や両親は断ったわ。だって、この国の人が私の村のためにしてくれたことなんて、何もない」
私は何も言えず、エレナを見つめる。
ずっと昔、まだグレール学園に通っていた頃、ニーグレン国の山岳地帯の村で突然変異の魔法使いが見つかり、揉めているという話をクロードから聞いたことがある。
そのときのことを言っているのだろうと予想がついた。
たしか、クロードの話では突然変異の魔法使いが見つかった村は国境近くの辺境地で、国の支援が十分に行き渡らないような自給自足の地だったはずだ。だからこそ、これほどまでに才能のある突然変異の魔法使いがいたのにも拘わらず、発見が遅れた。
「そうしたらあいつら、どうしたと思う?」
エレナは挑発するような目で、私の顔を覗き込む。
「全員、連れて行かれた。国家の方針に歯向かうのは、重罪なんですって。そして今日に至るまで、二度と誰とも会っていない」
私はヒュッと息を呑む。
そのときに起こったことを理解して、そしてエレナの心境を理解して、胸の内に絶望感が広がるのを感じた。
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