転移の魔法陣 2

「もしかして、わたくしが知らないだけでわたくしの部屋にもあるの?」

「ベルの部屋にはないかな。私と父上と母上の寝室のみだ」

「どうして?」


 首を傾げる私を見つめ、お兄様は困ったような顔をする。


「敵に命を狙われるから。父上と王太子であるわたしはもちろん、子を宿している可能性がある母上も万が一の際は狙われる」


 落ち着いた声で答えるお兄様の言葉に、さっと顔が強張るのを感じた。


 ナジール国では、王位に就けるのは男性のみだ。だから、戦争になれば敵は王族の男性を狙う。敗戦すれば男の王族はまず助かることはない。王になれる血を持つ者を下手に助命すれば、後々の禍根かこんとなるからだ。

 一方、王妃を除いた女性の王族は助かることが多い。むしろ、殺されることは少ない。

 なぜなら、勝利した国の王が無理やりにでもその王女を妻にすれば、王座は自動的にその夫に与えられる。それに、子を産ませてそれが男であれば、誰も反論のしようがなく、その子が正当な血筋を持つ次代の王だからだ。


 つまり、王女を手に入れれば国をものにできるのだ。


 そのとき、ふと疑問が湧いた。

 なぜ、既に私との結婚が決まっていたサンルータ国王のダニエルは私を投獄してニーグレン国の王女を新王妃に据えようとしたのだろうか? お父様やお兄様がいないのであれば、サンルータ王国は私と結婚式さえ挙げれば正当にナジール国の王となったことを主張できたのに。

 たとえニーグレン国の王女と恋仲であったとしても、数ヶ月我慢して私を毒殺するなど、方法はいくらでもあったはずだ。


 それは、酷くおかしな選択に思えた。


 最初からナジール国を手に入れることが目的だった場合は勿論の事、そうでなかったとしても私を妻にすればナジール国との同盟が確かなものになる。サンルータ王国にとって、ナジール国の王女である私を王妃に迎えるメリットは非常に大きいのだ。

 それなのに、投獄して殺してしまうなんて……。もしもナジール国の国民がこのことを知ればその後の統制も難しくなる。


 考え込んでいると、目の前に片手が差し出された。顔を上げると、お兄様が「行こう」と笑いかけてくる。おずおずと足を踏み入れて一緒に円陣の上に立つと、お兄様が転移の呪文を唱えた。


『開通空門』


 視界が眩く輝き、周囲がぐにゃりと歪むのを感じて咄嗟に目をきつく閉じる。ふわりと体が浮くような感覚がして、次の瞬間には足の裏に固い感触を感じた。


「よし、着いたよ。今は……──始業五分前。ギリギリだ」


 得意げなお兄様の声がして恐る恐る目を開けると、そこは見慣れたグレール学園の魔法実験室だった。薬草の独特の臭い、乱雑に置かれたビーカー類、本棚に押し込まれた古い魔術書……週に何度も訪れては魔力開放の練習をしているので見間違うはずはない。


「え? 凄い!」


 思わず驚きの声を上げた。

 転移魔法は数ある魔術の中でも最も高難易度とされており、使える魔術師は殆どいない。それをさほど魔術を使えない人間にも使用できるようにしたものが、転移魔法の魔法陣だ。

 ただ、術式は非常に複雑で、そこかしこあるものでもない。私は王族でありながら、これまで一度も使ったことがなかった。 


「こんな便利ものがあるのに、なぜいつも馬車を使っているの?」

「普段使いしてしまうと、転移の魔法陣が王宮の中にあると知らしめるようなものだろう? 非常時だけだ。馬車はあとでこっそり来るから大丈夫」


 確かに、毎日馬車がないのに忽然と学園に現れては不審に思われるわ。でも、それを言うなら──。


「非常時? ただの遅刻よ?」

「十分に非常時だよ」


 お兄様はハハッと笑うと、廊下へと繋がるドアを開ける。

 ちょうど廊下を通りかかったクラスメイトがこちらに気づき、「ごきげんよう」と声をかけられた。私も「ごきげんよう」と返事を返す。

 誰も私達がここにいることに疑問を持っていなそうだ。


(これ、すごいわ)


 胸の内で感嘆の声を漏らす。

 牢の中で漏れ聞こえた情報によると、前世においてお兄様やお父様達はサンルータ王国に攻め込まれたにも関わらず、忽然と姿を眩ませた。もしかして、この魔法陣を使って逃げたのではなかろうか。


 教室へと向かって歩きながら、ふとそんなことを思った。



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