ニーグレンの王宮にて1

 私達はその日の夕方、予定通りにニーグレン国の王宮に到着した。


 王宮は、海岸から少し離れた丘の頂上に建っていた。到着後にすぐに外交官から案内された客室のテラスからは、眼下に広がる城下町と大海原が一望できた。国土の大部分が海に接しているこの国らしい景色だ。


「夕方になると、海ってオレンジ色になるのね」


 夕焼けに染まるよう大空と同じく、海面は斜陽を浴びて茜色に染まっていた。そこに帆船が浮いているのが所々に見える。めったに見ることのない美しい光景に、うっとりとしてしまう。


「ところで、ニーグレン国は大国なのに王宮の背は低いのね」


 ニーグレン国の王宮は三階建てとナジール国やサンルータ王国に比べると低層構造になっており、私はそれを少し意外に思った。ニーグレン国はナジール国より国土が広いので、王宮は縦にも横にも大きいのだと想像していたから。


「海風が吹き付けるから、わざと低い造りにしているんですよ」


 私の何気ない言葉に、今後のスケジュールなどを連絡に来たクロードが教えてくれた。クロードは今回の外遊に外交官として同行してくれているのだ。


「今晩は歓迎の晩餐です。滞在中に国内貴族を招いた夜会、宰相閣下との会談、外交大臣との懇談、城内及び城下のご案内──」


 クロードは手元のメモを確認しながら、今回の旅程を説明してゆく。

 観光地に行くようなふわふわとした気分が引き締められる。予定はびっしりと詰まっているようでそんなにゆっくりはできなさそうだ。それに、二年後に起こるあの事件を考えると、今回の外遊で不穏の芽は取り除きたい。

 でも──。


「じゃあ、この後の晩餐でキャリーナ様にお会いできるわね?」

「はい、その予定です。事前に聞いていたとおり、サンルータ王国のダニエル王太子も昨日からいらしているようです」

「ダニエルも? 楽しみね」


 私は笑みをこぼす。二人に会えるのは、やはり嬉しかった。

 その後も説明を続けたクロードが部屋を退室すると、私はエリーにお願いして着替えることにした。一国の王女として歓迎の晩餐に招かれたのだから、それに相応しい格好をするべきだと思ったのだ。


 選んだのは淡いグリーンのドレスだ。シルク地のドレープが何重にも重なった豪華なドレスで、袖口は肘からレースが広がっている。胸元にもレースと黄色の花が縫い付けれれており、華やかさを強調している。


「アナベル様、こちらを」


 エリーが差し出したのは、イエローダイヤモンドの宝石だった。私は前世のエドから貰った魔法珠を外して宝石箱にしまうと、代わりにイエローダイヤモンドを身につける。髪にも金細工の飾りが付けられ、最後にいつも付けているエドから貰った赤い石が添えられた。



 

 歓迎の晩餐会はニーグレン国の王室とサンルータ王国から来たダニエル達一行、それにナジール国から来た私達だけのこぢんまりとしたものだ。大きな長テーブルが置かれたその部屋に入ったとき、私は懐かしい人をみとめて表情を綻ばせた。


「キャリーナ様、お久しぶりね。ご招待いただき、ありがとう。とても素敵なところね」

「アナベル様、お久しぶりでございます」


 目を輝かせてそちらに駆け寄った私に対し、キャリーナは立ち上がると笑顔で一言だけ告げる。その他人行儀な挨拶に、私は戸惑った。もっと、再会を喜んでくれると思っていたのに。


 晩餐会では魚介を中心とした料理が出てきた。ニーグレン国は海と共にある国なので、肉よりも魚介を取ることが多いというのは以前にキャリーナから貰った手紙で知っていた。


「そう言えば、ナジール国では魔法が盛んだね。今回は王宮魔術師も連れてきてくれたとか」


 その魚介を中心とした料理に舌鼓を打っていると、突然話を振られて驚いた。正面を見ると、ニーグレン国の王太子──アロルド殿下が笑顔でこちらを見つめている。

 アロルド殿下はキャリーナのお兄様で、確か年齢は二十代半ば。キャリーナと同じ赤い髪にグリーンの瞳をした優しそうな男性だ。国内の公爵令嬢とご結婚されており、その王太子妃は現在妊娠中のはずだ。この場にいないところを見ると、そろそろ臨月が近いのかもしれない。


「はい。今回は王宮魔術師の中でも特に腕の立つ数名を同行させました」

「キャリーナがナジール国から帰ってきた後、興奮気味に話していたよ。なんでも、姿を変える魔法を見せてもらったとか。その魔術師も来ているのかい?」

「はい、連れて参りました」


 私が頷くと、アロルド殿下は「では、是非後で見せてほしいものだ」と朗らかに笑った。


「キャリーナはあの後暫くして急に自分も魔法の研究をすると言い出して、最近人が変わったように没頭しているんだ」


 話を振られたキャリーナは特に返事をすることもなく、困ったように首を傾げる。酒を片手に持ったアロルド殿下は上機嫌な様子で話を続けた。


「エレナが体調を崩しているのが残念だ。今回せっかくナジール国の王宮魔術師が来ているなら、彼女も見たいだろうに」

「エレナ……」


 その名前に聞き覚えがあった。ナジール国にも来ていた、ニーグレン国一の魔法使いだ。


「エレナさんは体調を崩されているのですか?」

「ああ。もう二ヶ月……いや、三ヶ月近い。医師に診せても原因がよくわからず心配している」


 アロルド殿下は杯を置くと、眉を寄せる。

 私はそれを聞いて、ふといいことを思いついた。


「あの、王宮魔術師は治癒魔法も使えますから診て差し上げましょうか? 通常の医師とはまた違った治療ができると思うのです」

 

 その瞬間、ガタンと椅子が鳴った。


「必要ないわ! エレナは私が適切な医師を呼んで診ている!」 

  

 突然立ち上がって強い調子でそう叫んだキャリーナに、晩餐会会場がシーンと静まりかえる。全員が呆気にとられてキャリーナに注目した。


「あ……、あの、わたくし体調が優れないのでここで失礼します」


 自分の失態に気付いたキャリーナは顔色を青くすると、そう言って、落ち着かない様子で席を立った。晩餐室の背後に控えていた侍女が心配そうに付き添っている。

 その後ろ姿を見つめ、アロルド殿下ははあっと嘆息した。


「悪かったね。キャリーナはエレナに付きっきりだったから、少し気が立っているのかもしれない」

「いえ、大丈夫ですわ。わたくしが出過ぎた真似を致しました」


 私はいたたまれなくなって俯いた。

 少しでも力になれればと思ったのだけれど、他国のことに口を挟むべきではなかったのだ。

 三ヶ月前というと、キャリーナが返事をくれなくなった時期と重なる。もしかすると、キャリーナはこのことに気持ちを痛めて返事どころではなかったのかもしれない。


「いや」


 アロルド殿下は首を振る。


「キャリーナは必要ないと言うが、アナベル姫が言うとおり、王宮魔術師に診てもらえるならそれがありがたい。なにせ、原因すらわからないんだ。滞在中にキャリーナがいないときにでも案内するから、是非診てやってくれるか?」

「はい、かしこまりました。我が国にできることならば、お力になります」

「ありがとう。ところでアナベル姫、滞在中に行ってみたい場所はあるかい?」


 その後、アロルド殿下は一旦冷えた雰囲気を変えるために明るく話題を変えたが、このことはキャリーナとの再会や初のニーグレン国への来訪に高揚していた気持ちを落ち込ませるには十分な出来事だった。

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