ニーグレンの王宮にて2
食事会の後、私からは少し離れた席に座っていたダニエルはすぐに立ち上がり、笑顔でこちらに歩み寄ってきた。上質な薄茶色のフロックコートがとても似合っている。
「アナベル姫、息災だったかな?」
「はい、この通りです」
「それはなによりだ。しばらく見ない間に、ますます美しくなられた。滞在中にデートにお誘いしても?」
「相変わらず、お上手ですね。殿下がお元気そうでなによりです」
軽口には軽口で返す。
ダニエルは私の軽く流すような態度に、心外だと言いたげに肩を竦めた。
「冗談ではないのだが」
「でも、きっとキャリーナ様にも同じこと言っているのではなくて?」
私は片眉を上げてると少し意地の悪い笑みを浮かべる。ダニエルはなにも言わず苦笑した。どうやら、図星だったようだ。しかし、すぐに笑顔を消すと、真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。
「それはそうと、少し話がしたい」
周囲を確認するようにダニエルが視線を走らせて小声で囁いたので、人がいるこの場では話しにくいことなのだとすぐに悟った。ただ、時間が時間だけにこれから庭園に行くのは無理があるし、どちらかの部屋にいくのも憚られた。
「では、明日の午前中はいかがですか?」
「午前中は、外務大臣との懇談がある。午後はどうだ?」
「午後はわたくしが、懇談なのです。では、夕方の舞踏会の前は? 恐らく、午後の軽食をいただく時間には終わると思いますので」
「わかった」
ダニエルはこちらに真剣な眼差しを向け、頷く。
(なんとなく大事な話をしたさそうに見えるけれど、なんの話かしら?)
なにか我が国との外交に関わる話だろうか。それであればクロードにも同席してもらおうか、などと考えていると、背後から「アナベル姫」と声をかけられた。振り返ると、食事中に色々とお喋りをさせていただいたアロルド殿下がいた。
「少しだけ、いいかな?」
「もちろんでございます」
私は笑顔で頷く。ダニエルは、アロルド殿下を立てて身を引くと、「私はこれで失礼致します」と軽く会釈をして一歩下がり、晩餐室を退室する。その後ろ姿を見送ってから、アロルド殿下はこちらを見つめた。
「先ほどの話だが、正式にお願いできないだろうか?」
「先ほど、と言われますと?」
「エレナの件だ」
アロルド殿下から出た名前に、私は笑顔を消して表情を引き締めた。
「病気を治癒してほしいという件ですわね」
「ああ、そうだ」
アロルド殿下はグリーンの瞳で真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「アナベル姫もキャリーナに聞いたことがあるかもしれないが、エレナは突然変異の魔法使いでね。東の山岳地帯で誰にも魔力の強さを気付かれないまま、十歳過ぎまで過ごした。当初王宮に受け入れた際は警戒心が強くて、誰にも心を開かずに大変だった。近づこうとすれば魔法で威嚇し、容赦なく相手を傷つける。手を焼いてほとほと困り果てていたときに、キャリーナが『歳の近い自分が後見人になる』と言い出して、今に至る」
「とても気にかけていらっしゃるのですね?」
「ああ、とても。殆ど表情を変えずに人形のようなあの子に、辛抱強く声をかけ続けていた。今も、自ら命じてエレナを自分の部屋に移動させ、自分が見ているときにしか医者に診せないという過保護ぶりだ。ただこれは、いくら心配しているにしても少し過保護すぎると思うがね」
アロルド殿下は両手のひらを天井に向けると、肩を竦めてみせる。
「自分の部屋に……」
それは確かに異様な光景だ。いくら気にかけているとは言え、自室に連れてきて文字通り付きっきりで看病しているですって?
「体調不良がよくならないことに苛立っているのか、疲れからなのか、最近のキャリーナは人が変わったようになった。アナベル姫も見ただろう?」
同意を求められ、私はあいまいに表情を濁した。確かに、先ほどの声を荒らげたキャリーナの様子は私が知る彼女とは随分印象が違った。
「キャリーナ様は、我が国の者が治癒に当たることを認めてくださるでしょうか?」
「十中八九反対するが、それでも診てほしい。エレナは我が国では希少な、有能な魔法使いだ。ナジール国に訪問したあとには、覚えてきたと言って、なにもないところから物を作り出す魔法を見せてくれたよ。あんなことができるのは、エレナだけだ」
「なにもないところから、物を……ですか?」
私は違和感を覚えて聞き返した。
「ああ。手のひらを上にかざしたら、なにもなかった筈のそこに小石があった」
アロルド殿下は片手を広げ、そこにもう片方の手の指を乗せる。
実際の現場を見ていないのでなんとも言えないが、いまのアロルド殿下の話から判断するとエレナが使った魔法は『物質転移』もしくは『物質組成』の魔法だ。
物質転移魔法には自分の手にある物をどこかに送るのと、どこかにある物を自分の元に引き寄せるのの二種類があるが、後者の方が格段に難しい。物質組成は言わずもがななので、これはどちらもとても高度な魔法なのだ。
ナジール国でもこの魔法を使える人間は限られており、私もうまくできる自信がない。そんな高度の魔法を、あの短期間で覚えたですって?
「話は戻るが、エレナが健康を取り戻すことは国益にも適う。自分で面倒を見たいというキャリーナの気持ちもわかるが、アナベル姫には是非協力してほしい」
私の思考を切るように、アロルド殿下は先ほどと同じことを繰り返した。
私はその場でじっと考え込んだ。
今日のキャリーナの様子を見ると、私からその提案をしたところで到底受け入れてくれるとは思えなかった。アロルド殿下が説得しようと試みても、きっと納得しないだろう。
けれど、アロルド殿下はニーグレン国の貴重な魔法人材を失わないために協力してほしいという。
前世においてキャリーナとダニエルが政略結婚してナジール国に攻め込むのは、今から約二年後。だいぶ歴史が変わってきているとはいえ、同じことが起こらないとは言いきれない。
私はあの悲劇を引き起こさないために、できる限りニーグレン国と良好な関係を築いておきたかった。つまり、未来のニーグレン国王であるアロルド殿下には恩を売っておきたいのだ。
「わかりました。ひとまず、明日の午前中にエレナ様のお見舞いに伺います。そのときに我が国の魔術師を連れて行きます。きっと、珍しい魔法を見ればエレナ様もお喜びになると伝えれば、キャリーナ様もご納得なさるのではないかと思うのです」
「それはいい考えだ。確かに、キャリーナもエレナに見せたいから魔術師を連れてきてほしいと手紙を書いたと言っていた」
アロルド殿下は名案だと言いたげに相好を崩す。
キャリーナが、エレナに見せたいからと魔術師の同伴依頼を手紙にしたためた?
思い返してみれば、確かにそうだった気がする。私がエド達を同伴させたのは、キャリーナからの手紙に是非魔術師を連れてきてほしいと書いてあったからだ。
「では、そのように取り計らいます」
私はにこりと微笑むと、後ろに控えるクロードに目配せする。クロードは心得たとばかりに軽く会釈した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます