お見舞い
クロードはまだ経験こそ浅いももの、とても優秀な外交官だ。昨晩指示したとおり、翌日の午前中にはキャリーナと会う約束を取り付けてくれた。予想通り、エレナのお見舞いに行きたい、魔法を見せてあげたいと告げると、キャリーナも嫌な顔はしなかったようだ。
私は手持ちの衣装の中では一番落ち着いた、胸元と腰にリボンが飾られたクリーム色のワンピースを着ると、トランクから白いリボンがかけられた水色の小さな箱を取り出した。
この中には、魔法石の髪飾りが入っている。キャリーナからの手紙に割れて壊れてしまったと書いてあったので、その代わりのものだ。魔法石には、またエドに防御術の加護を授けてもらった。
用意が終わったところで部屋をノックする音が聞こえた。エリーが対応し、ドアの隙間からサンルータ王国の文官や護衛のヘンドリック、それに、ナジール国から連れてきた二人の魔術師が立っているのが見えた。そのうち一人はエドで、もう一人はトールという名だ。
「そろそろ行きましょう。お花は?」
「アロルド殿下にご用意していただきました」
エリーは抜かりないと、今来た文官が持ってきた花瓶を見せる。
その花瓶には、ラベンダー色を基調にした可愛らしい花が生けられていた。ちょうどエリーが両手で持つのにちょうどいいサイズで、華美すぎずちょうどいい。さすがはアロルド殿下だ。
「そう。では、いきましょう」
私はすっくと椅子から立ち上がると、アロルド殿下の部下である文官に案内されてキャリーナの部屋に向かったのだった。
◇ ◇ ◇
うまく言えないけれど、嫌な感じがする。
キャリーナの部屋に入ったとき、まず感じたのはそんな印象だった。
なにが嫌なのかと説明を求められると難しいのだけれど、部屋に入った途端に空気が重くなるような感覚。澱んだ魔力がそこにたまっているような……。
斜め後ろをちらりと見ると、エドは部屋を見渡して考え込むように眉根を寄せていた。きっと、私と同じような感覚を覚えたのだろう。
「突然の訪問をお許しいただきありがとうございます」
私がスカートの端を摘まんでお辞儀をすると、出迎えたキャリーナが小さく頷く。そして、背後を振り返る。私はキャリーナの動きに合わせるように、視線を窓際へと向けた。
その姿を見たとき、少なからず驚いた。
窓際に設えられたテーブルとソファーのセット。そこに膝を折って抱えるように座っていたエレナは、まるで今にも消えそうな儚さがあった。
頬はこけて目は虚ろ。薄ピンクの楽なワンピースを着て、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「エレナ、お客様よ」
キャリーナが声を掛ける。すると、ようやく私達の存在に気付いたようでエレナはこちらに視線を向ける。そして、次の瞬間に大きく目を見開いた。
「お久しぶりですね、エレナさん。ナジール国の第一王女、アナベルですわ。お加減が悪いとお聞きして、お見舞いに参りました」
私は腰を折って挨拶をする。
エレナはしばらく呆然とこちらを見つめていたが、その、まるで人生の全てを諦めたかのように虚ろだった漆黒の瞳の奥に光が宿るのを見た気がした。こちらを凝視していたエレナの目に、じんわりと涙が浮かぶ。
「エレナさん?」
私は突然のエレナの涙に戸惑って、どうしたのかと呼び掛ける。
けれど、エレナはなにも言わずにポロポロと涙を流すだけだ。なにかを言いたげにはくはくと口を動かすけれど、その口からはなにも言葉が紡がれることはなかった。
「きっと、王女殿下が直々に会いに来て下さったものだから、感動してしまったのね。大丈夫よ」
キャリーナが仕方がない子ね、と言いたげにエレナの肩を抱き、笑みを浮かべる。エレナは不安げな様子でキャリーナを見上げた。
(? なにかしら?)
その様子を見ていて、ふと違和感を覚えた。
表面上は一介の魔術師に寄り添う王女殿下の優しさを垣間見る美しい光景。けれど、キャリーナの表情に一瞬だけ威圧感のようなものが見えた気がしたのは気のせいだろうか。
けれど、こちらに顔を向けたときにはキャリーナはいつものような穏やかな笑みを浮かべており、その痕跡を見つけることはできなかった。
「今日は、エレナにナジール国の魔術師の方々が魔法を見せてくれるんですって。楽しみね」
キャリーナが少し屈み、エレナの手を握る。エレナはキョトンとした表情を見せたが、次いで嬉しそうに表情を綻ばせた。
トールが、最初の魔法を見せる。
手に持っていたペンを手の上で浮かせる、簡単な浮遊魔法だ。グレール学園でも習う、ナジール国では子供でもできるような魔法だった。
エレナは驚いたように目を見開き、おずおずと手を伸ばして魔術師の手とペンの間に自分の手を差し込む。確かに浮いていると確認して、ぱぁっと表情を明るくした。
「すごいわ」
初めて発せられた声は、年相応の少女らしい明るさを帯びていた。
「エレナさんなら、お元気なときはこの程度の魔法をよくお使いになられていたでしょう?」
転移魔法、もしくは物質組成魔法を使う位なのだから浮遊魔法が使えないはずがない。
そんなに目新しくもないだろうと私そう尋ねると、エレナはまた先ほどのような仕草を見せた。
なにかを言いたげに口を動かすけれど、なにも喋らずに口を噤むのだ。
その後、トールとエドは交互に、段々と難しい魔法を披露して見せた。エドが空中に炎を熾しそれが不死鳥の形へと姿を変えたころには、エレナの表情は満面の笑顔だった。次はどんな魔法を見せてもらえるのかと、期待に満ちた眼差しでトールとエドを見守っている。
思った以上に喜んでもらえたことに、ホッとした。
(以前にお会いしたときより、表情が豊かになったかな?)
ナジール国でキャリーナに連れられていたエレナは、無表情で無愛想、ちょっと取っつきにくい印象の少女だった。ほとんど言葉を発しないのは同じだけれど、今のエレナはそのときに比べると随分と印象が違う。
「ねえ。またナジール国に行ったときみたいに、新しい魔法を見たいわ」
キャリーナがそう言いだしたのは、一時間ほど経ったころだった。
「エレナは魔術師だから、勉強にもなると思うの」
私はエドとトールに目配せする。二人は相談すると、エドのほうが前に出た。
「先日お見せした幻術はいかがでしょうか?」
「あれはもう見たからいいわ。他はないの?」
すると、エドは困ったように眉尻を下げた。まさか、却下されるとは思ってもいなかったようだ。
「新しい魔法は一朝一夕に完成するものではありません。それに、今我々が行っているのは外から見るとわかりにくい研究なのです」
「わかりにくい研究というと?」
キャリーナは興味を惹かれたように聞き返す。エドが考えあぐねるように言葉を詰まらせると、今度はトールがそれに答えた。
「エドワールは魔力を解放せずに魔法を発動する魔方陣を、私は一時的に記憶を混乱させる魔法を研究しています。広く言えば幻術の一種ですね」
「記憶を混乱……。それが面白そう!」
キャリーナは決めたと言いたげに、両手のひらを顔の前で合わせる。
一方、エレナはサーッと表情を青ざめさせた。
「だ、だめっ!」
突然大きな声を上げ、エレナが取り乱したように立ち上がる。顔は心配になるほど真っ青で、今にも倒れるのではないかと思ったほどだ。
「大変、エレナさんの様子がっ!」
私は慌てて、エドを振り返る。エドは私の意図に気付いたようですぐに治癒魔法を使おうとエレナの体に手を触れる。そして、その表情を強ばらせた。
「ごめんなさい、今日はこれ以上、無理みたい。また今度お願いするわ」
キャリーナがエドからひったくるように、エレナの体を引き寄せる。そして、その姿を背後に隠すように前に立った。
「そうね、これ以上の長居はエレナさんの負担になるわ。戻りましょう」
私達はそれ以上長居することは無理だと感じ、ひとまずキャリーナの部屋を後にしたのだった。
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