違和感の重なり1

 キャリーナの部屋を後にした私は、廊下を歩きながら手元を見つめてはあっとため息を吐いた。


「これ、渡しそびれちゃったわ……」


 私が手に持っていたのは、お土産に持参した魔法石の髪飾りが入った小箱だ。


「まだ滞在期間は残っております。後ほどお渡しになられては?」

「ええ、そうね。そうするわ」


 隣を歩くクロードに慰められて、私も気を取り直す。今夜は舞踏会があるから確実にキャリーナとも会える。だから、そのときにでも渡せばいいだろう。


「部屋に戻ったら、もう一度今日の舞踏会に参加する方達の説明を聞いてもいい?」


 私の依頼に、クロードは心得たとしっかりと頷く。

 この舞踏会は外遊に訪れた私とダニエルの歓迎のために開催されるもので、ニーグレン国の要職に就かれている方々が参加するので、失礼があってはならない。

 事前にもう一度、参加者のバックグラウンドや名前などを確認しておこうと思ったのだ。


「それはそうと──」


 私は後ろを振り返り、少し後ろを歩くエドとトールに目を向ける。


「エレナさんの病状について、何かわかったかしら?」


 本日キャリーナとエレナの元にまでわざわざ魔法を披露しにいったのは、アロルド殿下から『エレナの病気の治癒に力を貸してほしい』と請われたからだ。

 一時間ほどだったけれど近くで会話したのだから、少しくらい何かわかっただろうか。


 私の期待を込めた眼差しに、エドはなぜか険しい表情を見せた。


「それについて、気になることがあるのです」

「気になること?」

「エレナ嬢ですが、魔法がかかっています。しかも、かなり強力な」

「魔法?」


 思わぬ情報に、私は眉を寄せた。


「エレナ嬢が取り乱したとき、咄嗟に俺は彼女の体に手を触れました。そのとき、確かに膨大な魔力が覆っているのを感じたのです」


 エドは言葉を選ぶように、今日感じたことを説明してゆく。


「つまり、それはエレナさんに呪いの類いがかけられているってこと?」


 私は声を潜め、エドに問い返す。

 本人が原因不明の病にかかり、しかもその体を覆うような魔力を感じる。そう聞いてすぐに思いついたのは、魔法による呪いだった。呪いは、敵対する人物などを病にしたりする魔法の一種だ。


「一瞬のことで、そこまでは確信が持てません。ただ、呪いとは少し違うようにも感じました。とにかく、膨大な魔力で覆われていたことは確かです。俺もあれほどの魔術を誰かにかけられるかと言われると、正直自信がないほどです」

「そんなに?」


 私は驚いて目を見開いた。

 

 エドは魔術が世界で最も発達した我が国でも特に優秀な魔術師だけがなれる『王宮魔術師』だ。そのエドですら難しいと感じるほどの魔術を、何者かがエレナにかけたですって?

 

「でも、エレナさんはニーグレン国で一番の魔術の使い手なのよ? 一体その彼女に、誰が?」

「それは……、わかりません。ただ、あの魔術の掛かり方は、定期的に魔術が解けないようにかけ直しているように見えました。だから、かなり身近な人間の筈です」

「身近な人間……」


 キャリーナとの手紙のやり取りで、エレナの他に魔法の使い手について書かれていたことがあっただろうか? 思い返してみたけれど、記憶にない。


「あのとき、なぜエレナさんはあんなに取り乱したのかしら?」


 ふと、先ほどのエレナの様子が気になった。

 トールが新しく開発中の魔術を見せようとした途端、激しく取り乱してそれを止めさせようとしていた。


「それもわかりません。いずれにせよ、もう一度エレナ嬢と過ごす時間がほしいです。できれば、キャリーナ殿下は抜きで──」


 エドが言いたいことを悟り、私は頷く。エドが治癒に当たろうとすれば、キャリーナはきっとそれを良しとしないだろう。


「アロルド殿下に、なんとか時間を確保できないか相談してみましょう」


 クロードに目配せすると、クロードはすぐに頷く。


 美しく整えられた廊下を歩く。


(なにかしら……)


 今までのキャリーナとの何気ない会話を反芻する。

 なにかがおかしい。

 自分の中で何かが引っかかるような気がしたのだけれど、それがなんなのかがとうとうわからなかった。


 

    ◇ ◇ ◇



 その日の夕方、私は庭園のガゼボへと出かけた。

 ニーグレン国の庭園にはナジール国にはない南国特有の植物がたくさん植えられており、だいぶ趣が違う。


 その庭園の向こう側、眼下には城下町と雄大な海が見えた。

 傾いた太陽の光を浴び、打ち寄せる水面は煌めきが無数に消えてはまた現れている。


「アナベル姫、お待たせしたかな?」


 ぼんやりとその景色を眺めていると、ふいに声をかけられる。

 振り返ると、楽なシャツ姿で首元を緩めたダニエルが、こちらに近付いてくるところだった。


「いいえ、今来たところですわ」

 

 私はダニエルがガゼボにやってきて自分の向かいに座るのを見守りながら、笑みを深める。


「そうか」


 ダニエルはホッとしたように表情を緩めると、私の背後に控える護衛のヘンドリックに視線を移し、また私へと視線を向けた。


「今日は、いつも連れているあいつはいないのか?」

「あいつ?」

「ほら、黒髪の──」

「ああ、エドワールですか? 彼は王宮魔術師なので、いつも連れているわけではありません」

「王宮魔術師? 護衛騎士ではないのか?」

「いいえ、違います」


 私はきっぱりと否定する。今の私の護衛騎士はヘンドリックであり、エドは違う。

 ダニエルは少し困惑したような表情を浮かべた。


「わたくし、もしかして以前にエドワールのことを近衛騎士と紹介しましたでしょうか?」

「いや。俺が勝手にそう思い込んでいた」


 ダニエルは小さく手を振ると、ガゼボのソファーの背もたれに背を預ける。そして、両手を上げて大きく伸びをする。


「午前中の外務大臣、午後は建設局の局長と懇談だった。ニーグレン国にきて初めてこのようにゆっくりするが、暖かくて良いところだな」

「そうですね。お疲れさまでございます」


 言われてみれば、私も午前中はキャリーナのところに行き、午後は外務大臣との懇談だった。ダニエルの言うとおり、ニーグレン国は暖かくて過ごしやすく、美しい国だ。


「外務大臣とはなんの話を?」

「魔法技術の輸出と、魔術師の派遣ですわ。ダニエル様は?」

「新たに開発した建築技術のことがメインだったが、まあ、色々だな」


 ダニエルは曖昧に言葉を濁す。

 その表情を見て、私には言いづらいこと、もしかすると、以前クロードが教えてくれた政略結婚の話かもしれないなと思った。


「ダニエル様はキャリーナ様と婚約されるのですか?」


 単刀直入の質問に、ダニエルのアイスブルーの瞳が大きく見開かれる。


「知っているのか?」

「どこの国も、情報戦には力を入れております。サンルータ王国だってそうでしょう?」


 小首を傾げる私を見つめ、ダニエルはくくっと肩を揺らす。


「確かにそうだ」


 ダニエルはそこで言葉を切ると、私を見つめる。


「だが、俺は今の時点ではキャリーナ姫と婚約するつもりはない」

「なぜですか?」

「以前、アナベル姫に求婚の予約をしたつもりなのだが」


 すぐに、成人祝賀会のときに『二年後に出直す』と言われたことだと気が付いた。

 私は肩を竦める。


「キャリーナ様も素敵なお方ですわ」

「ああ、そうだな」


 遠くに視線を投げたダニエルは急に黙り込み、そして真剣な表情で私を見返す。


「アナベル姫。昨日会ったキャリーナ姫は、本当に俺達が知るキャリーナ姫だろうか?」

 

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