解呪(1)
「なるほど。よく覚えておこう」
ダニエルは身につけている魔導具のひとつ、右手の中指に嵌めている指輪を左手の指先で撫でる。そして、また考え込むようにその魔法石をじっと見つめる。
「もし、俺が……」
「はい?」
エドが怪訝な表情で聞き返す。
「もし俺がアナベル姫を害そうとしたら、エドワール殿が止めてくれ」
ダニエルはエドを真っ直ぐに見つめる。
エドはその真意をわかりかねるように眉を寄せたが、ダニエルの真剣な表情に身を正し、「かしこまりました」と頷いた。
◇ ◇ ◇
翌朝は、爽やかな晴れ間が広がる絶好な外出日和だった。
滞在しているニーグレン国の王宮の部屋から見える青い海は、太陽の光を反射してキラキラと煌めいている。その上空を、海鳥たちが飛んでいるのが遠目に見えた。
「エリーは今日は、ニーグレン国の城下をゆっくりと楽しんできて」
「はい。でも、本当によろしいのでしょうか?」
「もちろんよ。私はアロルド殿下のおもてなしを受けるから大丈夫!」
「それならよろしいのですけれど」
エリーは心配そうに眉を寄せる。
今日はエレナにかかっている魔法の解呪を行う。エドと私、それに、もう一人連れてきた宮廷魔術師であるトールと三人で挑む予定だ。
今朝早くアロルド殿下から届いた手紙によると、キャリーナは朝食を摂った後すぐにダニエル達と一緒に出かけるようだ。体調不良で寝たきりということになっているエレナを連れていくことはできないだろうから、キャリーナが出かけているその間が私達に与えられた解呪の時間となる。
その間、ずっと私達はエレナの部屋に籠っていることになるので、きっと従者達に不審に思われる。そのため、気を利かせたアロルド殿下が侍女のエリーには個別に観光案内を用意して下さったのだ。
エリー達を見送った後、ほとんど待つこともなくエドとトールが部屋を訪ねてくる。アロルド殿下が手配してくれた従者と共に、私はキャリーナの部屋へと向かった。
「入口には信頼の置ける騎士を手配してあるし、アナベル姫の護衛騎士も立たせておいて構わない。万が一キャリーナが早く帰ってきてしまった場合はすぐに知らせる」
「かしこまりました。色々と手配して下さりありがとうございます」
部屋の入口でアロルド殿下にお礼を言うと、護衛騎士のヘンドリックに入口の監視を任せてを私達は部屋の中へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
嫌な空気だ。
前回ここを訪れたときも感じたけれど、部屋全体を覆うのは、鬱々とした雰囲気だった。エドの言う『逃げられないように、部屋全体に掛けられた魔法』のせいかもしれない。
「エレナさん、ごきげんよう」
私はエレナを怖がらせないように、声を掛ける。奥から返事は返ってこなかった。
「エレナさん? いらっしゃらないの?」
不思議に思って奥へと足を進める。広い部屋の中央部には天蓋付きの大きなベッドが置かれているが、それとは別に、壁際にもひとり用ベッドが置かれていた。そこに眠る人の影を見つけ、わたしは足を忍ばせて近付く。
「眠っているのかしら?」
エドが私の横をすり抜けエレナへと近づき、様子を窺うようにその横にしゃがみ込む。そして、エレナの額にそっと手を沿わせた。
「ぐっすりと眠られていますね」
こちらを振り返ったエドが小さく首を振る。私はエレナの肩に手を置き、少し力を込めて揺さぶってみた。けれど、全く起きる気配がない。
「困ったわね。覚醒魔法をかけようかしら?」
「ただでさえたくさんの魔法が重ねてかけられている状態を解呪しなければならないので、これ以上上書きで魔法をかけるのは勧められません」
手を伸ばしかけた私を、エドがやんわりと制止する。
「眠っていても、解呪はできるもの?」
まさかぐっすりと眠っているなんて、想定外だったわ。困惑した私は、エドに問いかける。
「可能は可能です」
「では、そうしましょう」
起きるのを待っていては、ただでさえない時間がますます減ってしまう。
エドが時間を確認するために時計を見る。時刻は午前十時を指していた。
「一日出かけると仰っていましたが、不測の事態を想定して午後の三時くらいまでには終わらせたいですね。俺はエレナ嬢を解呪するから、トールは部屋にかかった魔法の分析を。姫様は、簡単な解呪であればトールを手伝って下さい」
「わかりました」
「わかったわ」
私とトールは頷くと、早速手分けして仕事に取りかかった。
どれくらい時間が経っただろう。
途中でアロルド殿下が手配してくれた軽食を食べた以外、ほぼ休みなしに作業している。
ひとつ魔法が解けるたびに、パチンッと魔力が弾ける音がしてふわりと空気が揺れる。
エドがエレナに付きっきりになっている間、私はトールと共に部屋の中の解呪を行った。すぐに終わると思っていたのに、これが想像以上に時間がかかる。
「次、防音魔法です」
「さっき、防音魔法の解呪をしなかったかしら?」
「二重と言うことですね」
「……」
一体これで何個目の解呪だろう。
ひとりでこれだけの量の魔法をかけ、更に維持し続けるなんて……と畏怖の念が湧いてくる。
魔法が特に発展した国の王族に生まれただけあって、私の魔力量は宮廷魔術師並に豊富だ。そんな私でも、これら全ての魔法を維持し続ける魔力を供給するのは色々と大変だろうと予想がつく。
「あ、次が最後かもしれません……」
「本当?」
トールがホッとしたように息を吐いたので、私も表情を明るくする。
お互いに口にはしないけれど、もしかしたら手分けしているにも拘わらず終わらないのではないかと不安になっていたのだ。
「エド。こちらは終わりそうだけど、そちらはどう?」
私は壁際のベッドに横たわるエレナに付きっきりのエドに声をかけた。
エレナは未だに目を覚まさない。まるで、眠りの魔法でも掛けられてしまったかのようだ。
「こんなに長時間眠り続けるなんて、睡眠魔法がかかっているのでしょうか?」
トールも同じことを思ったようで、訝しげな表情でエレナの寝顔を見つめる。
「いや。俺もそう思ったんだが、睡眠魔法は感じない」
エドは顔を上げて首を振ると、またすぐにエレナを見つめる。
「睡眠魔法は感じないのですが、触れたことのない魔法を感じます。これ、なんだろう……。重なり合った魔法を解けばはっきりと見えて明らかになると思っていましたが、わからないままです。後はその魔法と姿の幻術を解けばお終いなんですが……」
エドの表情からは、迷いの色が感じ取れた。未知の魔法に対し、どのように対処すべきかを考えあぐねているようだ。
「なら、こちらを終わらせたら私も手伝いますよ」
「ああ、頼む」
トールが最後の魔法を解呪する。
パチンと魔力が弾け、部屋の空気が僅かに揺れた。
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