解呪(2)

「解けました。──あれ?」


 最後の解呪をし終えたトールが、おやっと言いたげな怪訝な表情を浮かべた。


「まだ僅かに何か残っているのを感じますね。上手く解けなかったのでしょうか」


 首を傾げながらも、トールはもう一度呪文を唱える。


『解呪』

 

 それと同時に、これまで部屋全体を覆っていた重苦しい空気がスッと軽くなるのを感じた。


「今度こそ大丈夫そうですね」

「よかった」


 私はエドとエレナの方を振り返る。


「エド、そっちはどう?」


 眉を寄せたまま険しい表情をするエドの視線の先には、一人の女性が横たわっていた。白い肌に赤い髪。閉じられた瞳を縁取る長い睫毛は目元に影を作っている。

 私はその女性を見て、息を呑んだ。


「キャリーナ……」


 今さっき、エドの解呪により本来の姿を取り戻したエレナは、確かにキャリーナだった。ただ、以前よりも少し痩せているし、今も眠り続けている。


「エド、手伝いますよ」


 トールはすぐにエドの元に歩み寄ると、キャリーナの顔を覗き込む。


「本当にキャリーナ王女だったのですね」


 トールはやるせなさの滲む表情でゆるゆると首を振ったが、すぐに気を取り直したようにかかっている魔法を確認するためにその額に手をかざした。


「最後の魔法がよくわからない。トール、わかるか?」


 トールに場所を譲るように横に移動したエドは、じっとトールの横顔を見守る。

 私もトールの斜め後ろへと歩み寄った。キャリーナは相変わらず穏やかな寝息を立てていた。


「え?」


 エレナの額に手をかざしたまま絶句するトールに、私もエドもすぐに様子がおかしいと気が付いた。


「トール、どうしたの?」


 そのときだ。エレナの漆黒の睫毛が僅かに揺れる。意識が戻りそうになっているのだ。


「ん……」

「キャリーナ!」


 私は思わずキャリーナに詰め寄った。

 どこかぼんやりしたように宙をさ迷っていたキャリーナの視線が、私の顔を捉える。

 キャリーナは不思議そうに目を瞬いた。


「キャリーナ! 私よ。ベルよ。わかる?」

「……。えっと、誰?」

「え……?」


 予想外の反応に言葉を失う私を気にする様子もなく、キャリーナは部屋の中をきょろきょろと見渡した。


「なんでこんなところに寝てたのかしら? んー、頭がぼんやりする」


 キャリーナは片手を口元に当ててあくびをすると、両腕を広げて伸びをする。まるで子供のような仕草と口調に、呆然とした。

 ただ一人、トールだけは険しい表情のままだ。


「アナベル様。キャリーナ様ですが、もしかすると──」


 トールが話し始めてすぐに、背後から鈍い光が差した。


「──何をしていらっしゃるの?」


 ナイフのような鋭い声に、スーッと空気が冷えるような寒気を感じた。さび付いた蝶番のようにぎこちなく首を回して振り返る。


「ナジール国では部屋の主が不在中に、許可なく立ち入るのが礼儀なのかしら?」

「あなた……」

「魔術師まで引き連れて、どういうおつもり?」


 氷のように冷たい視線でこちらをにらみ据えるキャリーナの姿を借りた人物の姿を見つけ、私達は体を硬直させる。


(なんでここに?)


 そう聞きたかったけれど、驚きのあまりその言葉を発することはできなかった。


 部屋の外、入口にはヘンドリックを見張りに立たせている。ヘンドリックは生真面目を絵に描いたような護衛騎士だ。私に許可なくその場を離れるなど、考えられない。

 それに、アロルド殿下の信頼の置ける騎士達もいるはずだった。彼らの制止なしにあのドアを開けることなどできるはずがない。


 そこまで考えて、ハッとした。


(まさか……)


 ドアは開けていないのだ。

 この部屋には何重もの防御魔法かかかっていた。

 トールが最後に解呪しようとしていたのは転移魔法を無効化するシールドだった。てっきり部屋からの逃亡を防止するために掛けたのだと思っていたけれど、それを解いたと言うことは、逆に言えば魔法を使える者はここに転移魔法で来られるようになったということだ。


(迂闊だったわ……)


 先ほどトールが、まだ何か残っていると不思議がっていた魔法はなんらかの感知魔法をだったのだろう。

 部屋に異常が起こったことに気付いたこの偽物のキャリーナは転移魔法でここに戻ってきたのだ。


 エレナが片手でふわりと宙に円を描いたとき、急激な恐怖心が湧いた。

 彼女の姿は一見すると、キャリーナにしか見えない。

 しかし、その冷たい瞳はまるでかつての世界で私を見下ろした彼女を彷彿とさせて、ここに留まるのは危険だと私の中の本能が訴えかけている。


「エド、トール! ここを出るわよ。エド、彼女をお願い!」


 キャリーナの姿をしたエレナを突き飛ばすように部屋の入口に突進すると、廊下へと飛び出る。外で見張りをしていた騎士達は突然飛び出してきた私に驚いたように目を丸くする。


「アロルド殿下のところへ案内して。今すぐよ」

「え?」


 そのままアロルド殿下付きの騎士の一人に訴えかけると、彼はたじろぐように後ずさりした。


「早く!」

 

 一緒にいたエドとトールのことを気にかけることはできなかったが、彼らならキャリーナを含めて転移魔法で移動できるはずだ。今は信じるほかない。

 コクリと頷いた騎士が走り出し、私はとにかくその後ろを追いかけた。



    ◇ ◇ ◇



 アロルド殿下は信じられないと言いたげな様子だ。


「では、これまでのことは全てキャリーナに扮する別人がやっていたと」

「見ての通りでございます」

「しかし、例えば今ここにいる彼女こそ幻術がかけられた別人ということも考えられる。我々ニーグレン国の魔術師ではそれを見分けることができない」

「それは……。わたくし達を信じて頂くほかありません」


 私はアロルド殿下を真っ直ぐに見つめる。


 説明する私達の脇に座るキャリーナは、こちらの様子をを不思議そうに眺めていた。

 子供のような態度は相変わらずだった。先ほどはアロルド殿下に対し、「お兄さんは髪の色がわたくしと一緒ね」と笑いかけていた。

 

「キャリーナはなぜこのようになっている?」

「恐らく、私がキャリーナ姫だと思って偽物に昨日お見せした記憶を混同させる魔法がかけられたのではないかと」


 トールが恐縮したように、説明する。


「治せないのか?」

「元々が不完全な魔術ですので……。なんとも言えません」


 アロルド殿下はキャリーナをちらりと見つめると、額に手を当てて項垂れた。


「お兄さん、体調悪いの? りんごを食べなきゃ──」


 心配そうにアロルド殿下を見上げるキャリーナがそう言いかけたとき、アロルド殿下はハッとしたように顔を上げる。にわかに廊下が騒がしくなり、近衛騎士達の声と、それを怒鳴りつけるような女性の声。

 アロルド殿下は表情を険しくし、ドアのほうを見つめる。


「来たようだ」


 バシンと音がして、ドアが開く。


「お兄様、いいかしら?」


 そこにはにこりと微笑み、けれどちっとも目は笑っていない偽物のキャリーナがいた。

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