騙し合い
「先ほど、部屋に彼女が来た際に咄嗟に遮像魔法をかけたので、彼女はエレナがキャリーナ姫の姿に戻ったかどうか、確証はないはずです」
偽物のキャリーナから本物のキャリーナを隠すように遮像の魔法をかけたエドが、アロルド殿下に囁く。アロルド殿下はエドに視線を向けることなく、小さく頷くとにこりと微笑んでソファーから立ち上がった。
「キャリーナ、早かったな。一緒に出かけたダニエル殿は?」
「もちろん、一緒ですわ」
キャリーナはくるりと後ろを振り返る。そこには、無表情のダニエルが立っていた。
──ダニエル様、いつの間に戻ってきたのかしら?
私はダニエルの姿を見て眉を寄せる。
私があの部屋を飛び出したとき、部屋の中にも外にもダニエルはいなかった。ということは、恐らくあの後に転移魔法でキャリーナが連れてきたのだ。
「ダニエル殿、楽しめたかな?」
「ええ、とても」
ダニエルはにこりと微笑み「このような歓迎に感謝します」と告げた。
「ところで、随分と早かったな?」
「ええ。一通りめぼしい場所は見ましたし、エレナを一人残して自分だけ楽しんでいるなんて、申し訳ない気がしてしまって」
ねえ、ダニエル様? と偽物のキャリーナはダニエルの腕に手を回す。ダニエルは彼女と目が合うと、同意するように微笑んだ。
「ところでお兄様、部屋にエレナがいないの。知らないかしら?」
私達が連れ出したことを知っているはずなのに、エレナは首を傾げてアロルド殿下に尋ねる。まるで、アロルド殿下を試すような行動だ。
「エレナなら、急に体調が悪くなったとのことで連れ出した。こちらにいるアナベル姫達がたまたま気が付いて対応してくれたのだ。一刻を争っていたようで、キャリーナに告げる前にしてしまって悪かったね」
「そう。それで、彼女はどこに?」
「ゆっくりと休ませている。後で案内しよう」
「…………」
キャリーナは表情から笑みを消すと、アロルド殿下の背後の私達を睨み付ける。けれど、アロルド殿下に話しかけられてすぐに取り繕うようにその表情は元に戻った。
「ところで、キャリーナ。馬車が戻った知らせがなかったが、ここにはどうやって戻ってきたんだい?」
「気分を変えたくて、辻馬車を拾ったの」
キャリーナは平然とした様子でうそぶくと、ダニエルを見上げる。
「ええ。辻馬車に乗りました」
ダニエルはそう言って頷くと、長い袖を少し引き上げた。
──あれ?
私はダニエルの袖口に目を懲らす。
ダニエルは防御術をかけるための魔法石が嵌まったブレスレットを複数身に付けている。そのうちの
アロルド殿下もそれに気付いたようでチラリとそちらを見たが、すぐにキャリーナへと視線を戻す。
「そうだったんだね。今回は途中でお土産を買ってきてくれなかったのかい?」
「お土産?」
「いつも、ドライフルーツのぶどうを買ってきてくれるだろう?」
「ああ、そうだったわね。今回は寄る暇がなかったのよ」
キャリーナは謝罪する。
「いや、大丈夫だ。そういう日もあるだろう」
アロルド殿下は微笑んで気にするなと手を振ると、ゆっくりと部屋の中を移動する。そして、壁に飾られた装飾付きの剣を握ると、素早い動きでそれを偽物のキャリーナに突き付けた。
「お前は何者だ?」
偽物のキャリーナの口からヒュッと息が漏れ、こぼれ落ちそうなほどに目を見開く。
「お兄様、何を……」
「お前に〝お兄様〟と呼ばれる筋合いはない。本当のキャリーナ──私の妹に何をした?」
「言っている意味がわかりません」
「あいにく私は干しぶどうが苦手でね。お前が本当のキャリーナなら、先ほどのような返事は絶対にしない」
剣を突き付けられたままの偽物のキャリーナは狼狽えたようにダニエルにしがみつく。
「お兄様、冗談が過ぎますわ」
「冗談ではない」
「少し、聞き間違えただけだわ」
「少し、ねえ」
アロルド殿下はフッと鼻で笑う。
「誤解だわ! ダニエル様もそう思うでしょう?」
必死の様子で問いかけるキャリーナに、ダニエルは優しい眼差しを向ける。その表情を見て、キャリーナの表情にホッとしたような安堵の色が浮かぶ。
ダニエルは自分の胸に、彼女をしっかりと抱き寄せた。
「アロルド殿下、今です!」
ダニエルの声に、アロルド殿下はハッとする。拘束用の革ベルトで彼女を捕らえようとした瞬間、バシーン!と大きな音が辺りに響いた。
偽物のキャリーナを中心として激しい突風が吹き、空気中の水蒸気で作られた氷矢が辺りに飛び散った。
「姫様、危ない!」
エドが叫ぶのと同時に、私達を包むように防御壁が周囲に出来上がり、氷矢はここまで到達せずに砕け散る。私は耳を塞ぎ、ぎゅっと目をつぶった。
時間にしたら数秒だろう。
すぐに周囲に静謐が訪れ、部屋を見渡した私は呆然とした。
「いないわ……」
偽物のキャリーナの姿は、部屋のどこにもなかった。
「どこに消えた!」
アロルド殿下が剣を握ったまま叫ぶ。先ほどの突風と氷矢のせいで、部屋の床には至る所にものが散らばり、所々には水たまりができている。
「姫様、怪我はありませんか?」
「大丈夫。それよりも、ダニエルをっ」
ダニエルはエドの作った防御壁の外、偽物のキャリーナのすぐ近くにいたので爆風に吹き飛ばされて壁際に座ったような状態で倒れていた。エドが慌てて治癒をする。
「くそっ! 拘束して確実に仕留めようと思ったのに、失敗した」
エドに治癒されたダニエルは悔しげに吐き捨てる。
その様子を眺めながら、私は今の状況を頭の中で整理して、ことがよくない方向に進んでいるのを感じた。
偽物のキャリーナは転移魔法でどこかに逃げた。
問題は、彼女は転移魔法だけでなく、幻術を使える。今度は全く違う別の人間に成り代わって私達の目の前に現れることだってできるのだ。
──南の魔女は姿を変える。故に対処が難しい……。
その言葉の意味を感じ、私は体を震わせた。
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