二度目の人生の始まり 2

(何がどうなっているの!?)


 訳がわからない。私は確かにサンルータ王国の牢獄にいたはずなのだ。

 全ての窓のカーテンを整えたエリーはこちらまで歩み寄ると、「あらまあ、凄い汗ですわ」と驚いた顔をした。


「喉がお渇きでしょう? すぐにお水を持って参ります」

「あ、ありがとう」

「それにしても、すごい悲鳴でしたわね」

「ごめんなさい。……ちょっと、怖い夢を見たのよ」


 混乱を隠すように笑顔を取り繕った私を、エリーは目を丸くして見つめる。その表情を見て、途端に不安になった。なにかまずいことを言ったかしら?


「……どうしたの?」

「いいえ。アナベル様はだいぶお姉さんになりましたけれど、まだこんなに可愛らしいと」

「? エリー?」

「ふふっ、お気を悪くなさらないで下さいませ。褒めているのですわ。わたくし達の敬愛する王女殿下は、誰よりも立派な淑女でありながら、誰よりも可愛らしいと」


 私は目をまたたいた。十八歳にもなる女性に対して『可愛らしい』ってどうなのかしら? 思わず目を眇めてエリーを見上げてしまった。


「──本当に?」


 疑わしいものだとジトっと見つめると、エリーはにこりと笑い「もちろんですわ」と言った。


「その汗では、さっさと着替えてしまった方がいいかもしれませんね。今日のお召し物はこちらでよろしいですか?」


 エリーはクローゼットに歩み寄ると、そこから水色のドレスを取り出し、それを私の前に差し出す。


「え?」


 それを見た瞬間、驚きと共に懐かしさが込み上げてきた。


 胸の部分とスカートに大きな白いリボンがついたそのドレスは、ずっと昔にお父様が何枚かプレゼントしてくれたうちの一着だ。

 あれは確か……十二歳の誕生日だった。とてもお気に入りのドレスで、裾が擦り切れてみっともないと周りの人達から止められるくらいまでよく着ていたのを覚えている。


「どうしたの? そんなに昔のものを取りだして」

「昔? まだ頂いてひと月しか経っていませんわ」


 エリーはきょとんとして首を傾げ、こちらを見つめる。


「え……?」


 私は驚いてそのドレスをもう一度見つめる。やっぱりそれは、記憶の中に残る十二歳の誕生日に貰ったドレスに間違いない。けれど、エリーが持っているドレスは、確かに真新しかった。使い古したせいで日焼けして色が落ち、裾が擦り切れてしまった記憶の中のドレスとは違っている。


 私は無意識に自分の両手を広げ、まじまじと眺めた。

 視界に映るのは、少しふっくらとした、まだ子供の手。


(! どういうこと?)


 すでに色々なことがわからないけれど、これはあまりにも想定外だ。状況が呑み込めずに呆然としていると、眉を寄せたエリーが覗き込んできた。


「アナベル様? もしかして体調が悪いのですか?」

「ううん、違うの! ──わたくし、それを着られるかしら?」

「え? もちろん、着られますわ」


 エリーは私に立つように促すと、汗で湿ったネグリジェを素早く脱がせてそのドレスを着せた。袖に腕を通すと、サイズは驚くほどにぴったりだった。

 私の部屋の片隅には、古くから伝わる大きな円盤鏡が嵌められたドレッサーがある。それが目に入り、私は鏡で自分の姿を確認した。

 映っていたのは物心付いたときから毎日のように見ている、金の髪、淡いグリーンの瞳、白い肌の女。ただ、決定的に違うことがある。──体が小さいし、顔つきが幼いのだ。


(……どうして?)


 こんなことが起こるはずがない。私は嫁ぎ先のサンルータ王国で投獄され、魔力開放したもののとき既に遅く、力尽きたはずなのだ。

 鏡を見つめたまま表情を強ばらせ、動けずにいる私を見つめ、エリーはまた怪訝な顔をした。


「アナベル様? 今日は本当に、どうされたのですか?」


 私はすぐにハッとして、表情を取り繕う。


「なんでもないわ。ものすごくおかしな夢を見てしまって、ちょっと動揺したのよ。──あの、お父様とお母様とお兄様はどうなさっているかしら?」

「どうって……、いつも通りですわ。そろそろ準備を始めないと、朝食会場で皆様をお待たせしてしまいます。──わたくし、お顔を清めるお水とタオルを持って参りますわ」


 エリーは私の脱いだネグリジェを手に、笑顔で退室する。その後ろ姿を見つめながら、私は笑みが漏れるのを堪えきれなかった。


「ふふふっ」


 夢だわ。

 全部、全部、夢だったのだわ。


 あんな恐ろしい夢を見るなんて、どうかしている。ナジール国は無事、お父様もお兄様も無事。みーんな、無事。


 ご機嫌でくるりと体の向きを変えた私は、ベッドの白いシーツに赤いシミがついているのに気が付いた。


「嫌だわ。月のものかしら? ──怪我?」


 よくよく考えれば、十二歳になったばかりの私には、まだ月のものはきていなかった。どこか怪我でもしたかしらとそちらに歩み寄った私は、その赤いシミの正体に気付いて体を硬直させた。

 そこには、小さな丸い珠が落ちていたのだ。血のように赤く、美しい珠。エドが最期に十八歳の私に託した、魔法珠だ。


「嘘……」


 ころんとしたそれを拾い上げ、私は呆然と立ち尽くす。魔法珠はまだたっぷりと魔力が籠っており、深紅に染まっている。


 なぜここに、こんなものがあるの? だって、あれは──。


「──夢じゃないの?」


 小さく呟いたその声は、誰が答えることもなく広い部屋に掻き消えた。


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