予期せぬ招待状 3
男性近衛騎士の後ろ姿が見えなくなると、私は視線を斜め前に向けた。リエッタと呼ばれた女性は右手にレースのハンカチを握りしめたまま、じっと男性の消えた方角を見つめている。けれど、すぐに私の視線に気が付いたようで慌てたように頭を垂れた。
「王女殿下、お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。ヘンドリックは普段は決して仕事をいい加減にすることなどなくて──」
「いいのよ。彼は貴女の恋人?」
弁解を始めるリエッタに、私は顔の前で手を振って問題ないことを示した。私が誰かに告げ口して彼が罰せられることを恐れたのだろうけど、そんなことをするつもりはない。
「はい。幼なじみなのですが、この春に婚約して、来年には結婚する予定です」
「そう。おめでとう」
にこりと微笑むと、リエッタは少し照れたように頬を赤らめ、はにかむ。
その様子がとても可愛らしくて、私も相好を崩した。
◇ ◇ ◇
お兄様の執務室を訪ねると、中からは何か話し声が聞こえた。
何を話しているのか正確には聞こえないけれど、何かの打合せ中のようだ。
「お声掛けいたしましょうか?」
扉の前に立つ近衛騎士が私に声を掛ける。
「大丈夫。出直すわ」
もしかしたら重要な話かもしれない。
手紙を渡すのは夕食のときでもいいかと思い、私は後ほど出直すことにした。
踵を返そうと振り返った際にふと視界の端に黒ローブを着た人が入る。あれは、王宮魔術師の制服だろうか。
「そうだわ。エドのところに行ってみようかしら」
王宮魔術師達の研究エリアは執務エリアのすぐとなりの建物の一角にある。ここからならば遠くもないはずだ。
いいことを思いついたと歩き始めること一〇分弱。初めて立ち入る魔術研究所に、私はきょろきょろと辺りを見渡した。石タイルの床と同色の淡いグレーの石製の壁にはいくつもの扉がついている。天井からは丸い魔法灯がぶら下がり、辺りを照らしている。
「エドはどこかしら?」
皆、各自の割り当てられた研究室に籠っているのか、廊下にはひとっこ一人いない。
困り果てた私は、取り敢えず呼んでみることにした。
「エド!」
シーンとした廊下に、私の声が響く。暫くすると、ガタガタと音がして一つのドアが開く。
そこから顔を出したのがエドだったので、私は表情を綻ばせた。こんなにすぐに会えるなんて、運がよかったわ。
一方のエドは全く想定外のことが起きたとでも言いたげに、私を見つめてぽかんとしている。
「エド、どうしたの? 酷い顔よ?」
「ひ、姫様? なんでここに!?」
「近くまで来たから、エドに会いに来たの。お兄様を訪ねたら取り込み中だったから」
エドは片手でドアノブを押さえたまま、さっと辺りに視線を走らせる。そして、誰もいないことを確認すると私に研究室の中に入るようにと促した。
初めて入るエドの研究室は、グレール学園の魔法実験室に似ていた。ただ、魔法実験室よりはずっと小さく、魔法陣はせいぜい一つしか敷けない広さだけれども。部屋の端にあるテーブルにはフラスコやビーカー、秤や様々な魔法薬の材料が置かれていた。
「姫様がここに来るなんて、初めてですね」
「うん。なんだかエドに会いたくなったの」
実は、先ほどの恋人達の逢瀬を見て触発されたというのもある。
私とエドは、両想いだ。それは間違いない。けれど、彼らのように外で気兼ねなく逢瀬を重ねることはできない。せいぜい、王宮の中の庭園を節度ある距離を保って歩くことぐらいだ。
なぜなら、私はこの国で一人しかいない王女であり、エドは爵位を継げない公爵家の次男でただの王宮魔術師でしかないから。
王宮魔術師はとても立派な職務であり、なれば『魔術師』の称号と準貴族の位置づけが与えられる。しかし、これは魔法騎士や近衛騎士を含む『騎士』の称号と同様に一代限りのものだ。到底、王女である私の婚約者などになれるはずもない。
「姫様? 何かあったのですか?」
エドは急に会いたくなったと言い出した私を不思議に思ったようで、戸惑ったように瞬きする。
「──わたくし、エドとデートがしてみたいわ」
ぽろりと本音が漏れる。
こちらを見つめていたエドは眉根を少しだけ寄せた。
「姫様……」
私はすぐにはっとした。エドを困らせるつもりはなかったのだ。
「ごめんなさい、エド。困らせるつもりはなかったの。ただ、庭園で逢瀬を重ねている恋人達を見たら、羨ましくなったの」
「俺も姫様を堂々とエスコートして見せびらかしたいですね」
「まあ!」
「本気ですよ?」
エドは口の端を上げると、部屋の隅にあるテーブルへ視線を移動させる。
「大魔術師ロングギールは非常に有能な魔術師でしたが、彼にも達成できなかった魔術がいくつかあります。その一つが幻術です」
「幻術?」
「そう。これを見ていて」
エドはテーブルまで歩み寄ると、そこに置かれた紙を押さえるための文鎮を手に取る。そして、それを右手に持って私に差し出した。
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