異変の始まり

 それは私の成人祝賀会から半年程過ぎたある日のことだった。

 

 午前中の公務を終えて私室に戻ると、机の上には何通かの手紙が置かれていた。今日私のもとに届いた手紙だ。


 それら一通一通に、順番に目を通してゆく。

 国内貴族からの夜会や舞踏会への招待状、グレール学園で一緒だった友人達からのご機嫌伺いの手紙、先日訪問した孤児院からの感謝の手紙……。

 その中にはオリーフィアからのお茶会のお誘いもあって、私は早速返事を書いた。クロードとも仲良くしているようだし、きっとたくさんの惚気話を聞けることだろう。今から楽しみだわ。


 手紙を書き終えた私は、もう一度確認するように今日届いた手紙の差出人を確認した。


「ないなぁ」


 今日こそは届くと思っていたのに。

 私が待っているのは、ニーグレン国にいるキャリーナからの手紙だ。


 成人祝賀会後、私は意識してダニエルやキャリーナとの手紙のやり取りを頻繁に行うようにしていた。前世のような悲劇が二度と起こらないようにするためには、二人との友好関係をしっかりと築いておくことが重要だと思ったのだ。

 それに、私は純粋に、今世の二人のことが友人として大好きだった。

 だから、手紙を書くときも何を書こうかと考えるととても楽しいし、早く返事が届かないかといつもわくわくしながら楽しみに待っている。


 手紙はいつもなら送ってから一週間ほどで返事が届くのに、今回はもう三週間も音信不通なのだ。もしかしたら何かの行き違い(要は、私の使った手紙の転移魔法の失敗ね)で私の送った手紙が届いていないのかもしれないと思い十日ほど前にもう一度手紙を出したのだけど、今日も返事はこなかった。


「キャリーナ、どうしたのかしら……」


 サイドボードの戸棚を開くと、私はこれまでキャリーナとやり取りしてきた手紙を入れてある箱を取り出した。それらは優に数十通はある。


 読み返してみると、同じ年頃の女性にありがちな話題が多い。

 最新のファッションのこと、流行の歌劇や小説のこと、身の回りで見聞きした恋の話……。そして最後は必ず、『お互い学ぶことが多く大変だけれど頑張りましょう』『次に会える日を楽しみにしている』と書き添えられている。


 私はそれらの手紙を順番に読み返していて、最後に手に取ったのは一番最近届いた手紙だった。



『親愛なるアナベル様へ


 変わらずお元気ですか? 私はとっても元気です。

 先日、アナベル様からのお手紙に触発されて久しぶりに遠乗りに出掛けたの。風を切って無心になれるから、とても楽しかったわ。最近気分が滅入ることが多くて落ち込んでいたのだけれど、いい気分転換になりました。


 ところで先日、せっかくアナベル様に頂いた魔法石のペンダントが、壊れてしまったの。付けていたら突然亀裂が入って二つに割れてしまったわ。とても気に入っていたのに、本当に残念でなりません。いつかもう一度ナジール国に行ったら、購入しようと思います。


 そうそう、アナベル様を我が国にご招待する日程なんだけど、三ヶ月後位はどうかしら?

 是非、色んなところにご案内させてね。ダニエル様もご招待しようと思うわ。先日遠乗りに出掛けた場所も、滝のある渓谷があって、とても素敵な場所なのよ。


 それでは、お互い学ぶことが多く大変だけれど、これからも頑張りましょう。また会えるのを楽しみにしているわ。


 あなたの友人 キャリーナより』


 私はふと、そこに書かれた一文に目を留めた。

 そこには、キャリーナがナジール国に来た際に私がお土産にプレゼントした魔法石が二つに割れ、使えなくなったと書かれていた。


(魔法石が割れる……)


 手紙が届いたときには不良品に当たってしまったのかと思って気にも留めず、『もしよかったら、ニーグレン国にお伺いする際に代替品を持って行くわ』と書いたのだが、そもそも魔法石が割れるという現象に違和感を覚えた。

 安物の魔法石ならいざ知らず、キャリーナに渡したのは良質な魔法石を生産することで有名なナジール国でも特に高品質なものばかりを扱う、王室御用達の魔法石店の物だ。

 あそこの魔法石が突然割れるなんて、一度も聞いたことがない。


「なんでかしら? エドに聞いてみようかな……」


 私はその手紙を手に、魔術研究所に行くことにした。


 私の居住している建物から魔術研究所に向かう途中には、周囲の開けた回廊がある。柱と柱の間の大きく開いた部分からは手入れの行き届いた庭園が見えた。

 もうバラが咲いているのだろうか。濃い緑の中に鮮やかな赤が見え、私はそちらに目を向ける。木々の合間を恋人達が散歩している姿が見えた。


「あらっ」


 見覚えのある人影に、思わず頬が綻ぶ。そこには、ずっと前に秘密の逢瀬をしている姿を見たカップル──ヘンドリックとリエッタがいた。

 私がグレール学園を卒業して成人王族入りしたのとときを同じくして、ヘンドリックは私付きの近衛騎士になった。着任の挨拶をされたときは、とても驚いたものだ。今日は夕方からの勤務のはずだから、その前に婚約者と束の間のデートを楽しんでいるのだろう。


    ◇ ◇ ◇


 私が訪問したとき、エドは魔術研究所の自分の研究室で何か薬品を混ぜていた。

 机の上には同じような薬品瓶がたくさん並んでおり、それらの瓶の前にはメモが置かれている。チラリと見ると薬草の名前や数字が書かれていたので、調合を少しずつ変えながら何かの実験をしているようだ。


「何をしているの?」

「見ての通り、実験です。魔力を魔方陣に封じ込めたいのですが、なかなか上手くいかない。魔法石は魔力をそこに封じ込めるものなので、それを原料に使えば上手くいくと思ったのですが……」


 並んだ瓶を見つめて眉を寄せたまま難しい顔をしているエドの横顔を見て、研究が思うように進んでいないのだと悟った。エドがやっている研究は魔力を持たない人が使える魔方陣の研究だ。魔法伯を取るためには、その研究をあと一年半で完成させる必要がある。

 私はぎゅっと手に力を込める。


「ねえ、エド。よかったら、気分転換にお散歩に行かない?」

「気分転換?」

「ええ。綺麗なバラが咲いていたのよ。私、赤いバラは好きなの。エドの瞳と同じ色だから」


 私はなるべく明るく、エドに笑いかけた。

 エドは少し驚いたように目を瞠ると、口元を綻ばせる。


「はい、喜んで」


 赤いバラが好きなのは本当だし、エドとデートができたら嬉しい。それに、研究に行き詰まっているエドに気分転換して貰いたかった。



 

 王宮の庭園には何人もの優秀な庭師がいるので、いつも最高の状態に整えられている。

 私は美しく咲いた赤いバラに顔を寄せると、表情を綻ばせた。すうっと息を吸い込むと、甘さのある上品な香りが鼻孔をくすぐる。


「見て、エド。とっても綺麗よ」

「そうですね」


 エドは目を細めて私を見つめる。


「バラに顔を寄せて微笑む姫様はとてもお綺麗です」


 私はエドの言葉に目をしばたたかせる。赤い瞳が優しく自分だけを見つめていて、心臓がトクンと跳ねた。 


「……ありがとう」


 バラじゃなくて自分が褒められるなんて思ってもみなかった。私は赤くなった頬をエドから隠すように俯き、お礼を言う。


「肌がバラ色に染まった姫様も可愛らしいです」


 追い打ちをかけるようにエドが耳元に顔を寄せる。吐息が耳に当たり、私はビクンと肩を跳ねさせた。


「エド……」


 あなたも今日も素敵よ。そんな台詞は音になる前にかき消える。

 私はふとエドの背後に広がる回廊を、見覚えのある人影が横切ってゆくのを見つけた。秋の実りを思わせる金麦色の髪を揺らしながら歩く、グレーの文官姿の若い男性。私の視線の先を追いかけるように、エドも背後を振り返る。


「クロード!」


 書類を脇に抱えて足早に歩いていたクロードは、私の呼びかけに気付いて、ハッとしたように足を止める。


「そんなに急いで、どこに行くの?」


 私の問いかけに、クロードは慌ててこちらに駆け寄ってきた。興奮しているのか、少し頬が紅潮している。


「ベル! 今入った情報なんだけど、ニーグレン国が、サンルータ王国に政略結婚を打診したらしい」


 それは、想像だにしていなかった情報だった。



   

 

 

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