第一部 第二章 南の魔女編

予期せぬ招待状 1

 それは私が八回生になってから数ヶ月ほどが過ぎたある日のことだった。私はお兄様から言われた一言に耳を疑った。


「サンルータ王国に? わたくしも?」


 それは、隣国サンルータ王国から、第一王子──ダニエルの戴冠式への招待があったというものだった。


 ナジール国では第一王子が生まれながらに王太子だが、サンルータ王国は成人後に戴冠式を経て初めて王太子として認められる。この戴冠式には前世でもお兄様が招待されて参列のためにかの国を訪問していたのを覚えている。しかし、私は招待されなかった。


 それなのに、なぜか今回はその祝賀会に私も是非一緒にと招待がきているらしいのだ。今年辺り、戴冠式があるのではないかとは聞いていたものの、招待されるなんて想定外だ。


「わたくしの方は、間違いだと思うわ」

「間違いのわけがないだろう。ここに招待状がある」


 お兄様は呆れたように息を吐くと、一通の封筒を差し出した。見るからに上質な紙を使用しているそれには、宛名に『アナベル=ナリア=ゴーテンハイム』と私のフルネームが書いてある。間違いなく私宛のようだ。


「わたしのものと一緒に返信するから、返事を書けたら渡してくれるか」


 お兄様は当然私が行くものとして話を続ける。まあ、確かに隣国から正式な招待状を貰っておきながら行かないという選択肢はほぼないのだけれど。


「他には誰が参列予定?」

「代表は外交大臣のジュディオン侯爵が務める。あと同行するのは王宮魔術師代表のアクティーニ殿と護衛の近衛騎士団だよ」

「そう……」

「…………。ベル、どうかした? 行きたくない?」


 浮かない表情の私を見つめ、お兄様が心配そうに眉を寄せる。


「……ううん、なんでもないの。突然のことで、驚いてしまっただけ」

「確かに、ベルが公式な外交の場に出るのは初めてだね。わたしも行くから、そこまで心細くはないと思うよ」

「うん、そうね。ありがとう、お兄様」


 本音を言うなら、行きたくないわ。

 サンルータ王国の第一王子とは、即ち私のかつての婚約者であるダニエル=バーレクのことだ。私をあの牢屋に閉じ込めた張本人であるダニエルの戴冠をお祝いに行く? 正直、心からお祝いできる自信なんて、全くない。むしろ、恐怖で足が竦みそうだ。


 けれど、逃げていても仕方がない。

 私は未来を変えてエドと幸せになると誓ったのだ。


 弱音を吐きそうになる自分を叱咤すると、暗い顔を取り繕い、私は笑顔を見せる。その表情を見て、お兄様はホッとしたように息を吐いた。


「では、わたしはそろそろ行くよ。今日はこの後、執務が早く終わったらドウルに剣の練習の相手をしてもらおうと思ってね。それに、まだまだわからないことだらけで勉強することがぎっしりだ」

「勉強熱心なのね」

「ああ。それで国がよくなるならば、いくらでもやるさ」


 お兄様はにこりと笑って頷く。


 ドウル様はグレール学園卒業後、お兄様の近衛騎士になった。時々、剣の相手をしてもらっているようだ。


 お兄様は何もせずともこの国の将来の王になることが約束されている。けれど、お兄様はそれに胡座をかくことなく日々努力している。

 何においてもこうして一生懸命に取り組む姿勢を見せるのは、お兄様のいいところだと思う。勤勉で誠実な姿勢は将来王として臣下の信頼を得るのに大いに役立つだろう。


 私がそれを伝えると、お兄様は驚いたように目をみはり、照れたようにはにかんだ。お兄様は立派な王太子とはいえ、まだ十七歳になったばかりだ。その表情はあどけなさを感じさせ、私も釣られるように微笑む。


「頑張ってくださいませ」

「ああ。ありがとう」


 お兄様が部屋を立ち去るのを見送ってから、私はテーブルに置かれた封筒を手に取った。

 裏側を見ると、サンルータ王国の王室の紋章が赤い封蠟にくっきりと刻印されていた。


「なぜ、こんなものが届いたのかしら?」


 封蠟の刻印を見つめながら、気分が重くなるのを感じる。


 上質なそれをペーパーナイフで切って、中身を取り出す。二つ折りになった便箋の中を見た私は、ぴたりと動きを止めた。


 手紙の内容はお兄様の言うとおり、サンルータ王国の第一王子、ダニエル=バーレクの成人祝いと戴冠式の招待だった。

 私が目を奪われたのは、そこではなく、招待状の端に走り書きのように記された直筆のメッセージだ。専門の文書係が書いた達筆な文字とは異なり、少し右に傾く癖がある。


『アナベル姫に会えることを心待ちにしている。宮殿に華やかにダリアを飾り付け、歓迎しよう』


 ダリア。それは私が大好きな花だ。


 前世において、ダニエルと出会ったのは婚約が決まったパーティーが最初だった。私が十六歳になり成人したときに、当時十九歳でまだ王太子だった彼はサンルータ王国の使節団の代表とナジール国を訪れたのだ。そして、そのときに正式な婚約の申し入れをしてきた。


 前世において、ナジール国に滞在中はもちろんのこと、サンルータ王国に戻ってからもダニエルは定期的に手紙と共にダリアの花を贈ってくれた。そして、この癖のある文字は前世で見た彼のものととてもよく似ている。


(お兄様かお父様が、私がダリアを好きだって、ダニエルに伝えたのかしら?)


 こんなプライベートな情報が伝わっているなんて。もしかすると私が知らないだけで、サンルータ王国とナジール国の間では既に私達の婚約に関する話が出始めている可能性すら感じる。


(今世では、彼と婚約なんて絶対にごめんだわ)


 思わず手に力が籠り、持っていた招待状がぐしゃりと歪む。


 あんな悲惨な未来は二度とごめんだ。それに、私はエドを待つと約束したのだ。

 だから、ダニエルとは絶対に婚約するわけにはいかない。折れ曲がってしまった招待状を見返すと、祝賀会は今から二ヶ月後の日程が書かれていた。


(今度は絶対に、道を間違えないわ)


 招待状に書かれた文字を見つめながら、私は自分にそう言い聞かせた。


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