一度目の幸せは 2
◇ ◇ ◇
それは、穏やかな日常が続いていたある日のこと。
屋敷のリビングで本を見つめたまま難しい顔をしているエドに気付き、私は不思議に思った。ソファーに座って、真剣な顔で本に見入っている。
「ねえ、エド。何を見ているの?」
後ろからひょっこりと覗き込むと、それはとても古い魔術書のように見えた。
「ああ、姫様。姫様のいう昔の俺は、どんな魔法をかけたのだろうと考えていました」
エドは私が部屋に入ってきたことに気付いていなかったようで、驚いた様子だ。手に持っていた本をパタンと閉じると、にこりと笑う。
もう結婚したのだから、私は〝姫様〟ではない。けれど、エドは妻になった私を、二人きりのときは未だにその呼び方で呼ぶ。一度だけ「もう姫様ではないわ」と言うと、「アナベル様は、いつまでも俺の姫様ですよ」と返されてしまった。
無理に訂正するものでもないので、好きなように呼んでもらっている。それに、エドに「姫様」と呼ばれるのは嫌いじゃない。
「昔のエドが私にかけた魔法?」
「はい。姫様から話を聞いたときは『時間逆行の魔法』をかけたのだと思っていたのですが……」
「違うのかしら?」
「わかりません。ただ、『時間逆行の魔法』は未だに存在しないんです。そもそも、なぜ時間逆行などさせたのか、その理由がわかりません。だから、もしかすると──」
エドは言いよどむように言葉を止める。
一方の私はドキリとした。かつての世界のエドが時間逆行させた理由。それは、そのときの状況がどうにもならないほど絶望的だったからだ。
けれど、それを知らない今のエドからすると、幸せに暮らしていたのに時間を巻き戻すなんて、意味がわからないのだろう。
「よくわからないけど、私はそのお陰で今のエドとこうして暮らせているから、とても幸せよ?」
エドは目を瞬かせると、ふっと表情を和らげる。
「俺もです。姫様」
頬に手が添えられ、唇が重ねられた。
私とエドの結婚生活は、幸せを絵に描いたように穏やかなものだった。
大きな喧嘩もなく共に日常を重ね、例えば、今日は綺麗な花が咲いているのを見つけたといった些細な幸運に感謝を捧げる。結婚してから二年後には小さな命にも恵まれ、その三年後にはさらにもうひとつの命に恵まれた。
そして、エドは私に約束したとおり、最後の最後の瞬間まで私に惜しみない愛情を注いでくれた。
─
───
───────
ナジール国史上二人目の魔法伯、アルマール魔法伯となったエドは私と結婚した後も様々な新しい魔法を作り出した。それは、ナジール国だけでなく、世界中の生活を豊かなものへと一変させた。
その一方、トールが開発した記憶の混濁と精神に働きかける魔法は禁忌魔法に指定され、その研究成果は王宮の奥深くに封印された。一般に利用されると、あまりにも危険だからだ。
数十年を共に過ごしたエドが天に旅立った日、不思議なことが起きた。
エドの体の周囲に、突如として魔法陣が現れたのだ。直径二メートル程の大がかりなもので、私には何の魔法陣だかわからなかった。
既に王宮魔術師として第一線で活躍しはじめていた息子のユーゴも、首を傾げる。
そして、私はあることに気が付いた。
「ねえ、リリア、ユーゴ。お父様のピアスを知らない?」
エドは私を結婚して以来、肌身離さずに私の魔法珠のピアスを身に付けていた。それが、忽然となくなっていたのだ。
「しらないよ」
ユーゴが即座に答える。
「もしかして、あれは天国にお母様の魔法珠を持っていく魔法陣だったのかも」
娘のリリアがそう呟く。
「ああ、あり得るね。父上だし」
息子のユーゴまでうんうんと頷く。
自分で言うのはおこがましいけれど、子ども達にそんなことを言われてしまうほど、エドは愛妻家だったと思う。
「そうなのかしら?」
そう言われると、それが正しいような気もしてくる。
なんともエドらしい魔法だと、子ども達と笑い合った。
エドが亡き後も、子ども達や屋敷に仕える侍女達のお陰で、私はそんなに長い期間は落ち込むこともなく過ごすことができた。
左手の指に嵌まった指輪と、今も私の胸元で輝くペンダントを見つめては楽しかった日々を思い返す穏やかな余生だ。
最近、よく思う。
(今の私のことをあのときのエドが知ったら、喜んでくれるかしら?)
仄暗い牢獄で、私を幸せにしてあげると約束した前世のエド。彼に、「幸せになりました」と報告できないことだけが心残りだ。
(今日は、温かいな……)
なぜだろう。いつもに増して、眠くて堪らない。
屋敷の自室でソファーにもたれ掛かり、私は静かに目を閉じる。
(なんだか、指輪が熱い?)
そんな気がしたけれど、目を開けることができない。
そのまま、私の意識は闇に呑まれていった。
─
───
───────
──ゴゴゴゴゴ……。
地面を揺らすような地響きを感じた。
目を開けて真っ先に目に入ったのは抜けるような青空。
(……何?)
体の節々が痛い。ゆっくりと片手を持ち上げて自分の手を見た私は、驚いた。年を重ねていたはずの手は、真っ白で張りがあり、若さに溢れていた 。
そして、なぜか私はみすぼらしいボロ布を身に纏っていた。
(どういうこと?)
驚愕のあまりがばりと体を起こし周囲を見回した私は、その光景が信じられずに目を見開いた。
(うそ……)
一部が崩れ落ちるサンルータ王国の王宮。逃げ惑う人々。そして、舞い上がる噴煙……。
そこには、忘れもしないあのときの光景が広がっていたのだから。
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