ダニエル王子

 鏡の前で陰鬱な表情を浮かべた少女を見て、思わず深いため息を吐く。今日ため息をつくのは、これで何回目かしら。


「アナベル様、お気に召されませんでしたか?」


 準備を手伝ってくれたエリーが心配そうに私の顔色を窺う。


「ううん、とても素敵だわ。ありがとう。慣れない地で少し疲れてしまっただけ」


 私は慌てて表情を取り繕るとエリーに笑いかける。


 事実、エリーの準備は完璧だった。

 選んでくれたドレスはラベンダー色のシフォンが幾重にも重なったもので、胸元と袖には繊細なレースがあしらわれている。華やかさと可愛いらしさを共存させた、一国の王女に相応しい一品だ。

 ハーフアップにされた髪は、肩に垂らされた部分にコテを使ってふんわりとカールがつけてあり、軽やかな印象を受ける。そして、右サイドにはドレスと同じラベンダー色の石が嵌まった髪飾りが添えられていた。


「長旅でしたものね。………そろそろシャルル殿下がお迎えにいらっしゃるお時間ですわ。お加減が悪いとご連絡しますか?」

「大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」


 私は小さく片手を振るとエリーから顔を背け、目を閉じて深呼吸する。


 私の気分が落ち込んでいるのは、体調が悪いからではない。今から開催される晩餐会に参加したくないからだ。

 二日ほど前にダニエルの立太子に伴う戴冠式に参加するためにサンルータ国に到着した私は、現在サンルータ国が用意してくれた王宮内の来賓用客室で過ごしている。あまり外を出歩かないようにしていたのでダニエルともキャリーナ王女とも顔を合わせることなく過ごしていたけれど、今日は王室主催の晩さん会が開催されるので参加しないわけにはいかないのだ。


(大丈夫よ、この世界はあの世界とは違うわ。)


 自分にそう言い聞かせて、震えそうになる指をぎゅっと握りこむ。そっと首もとに手を当てて、コロンとした珠に触れた。その触り慣れた感触に、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じる。ふと目線をずらせば、窓の外に夕焼けに染まる空が見えた。


(エドも空を見上げてわたくしを思い出してくれているかしら?)


 不安になったときこそ彼に会いたいのに、物理的な距離が私達を阻む。エドは転移魔法を使えるけれど、国を跨ぐようなこの距離を移動するのは大規模な魔法陣がなければさすがに無理だろう。


 トン、トン、トンとドアをノックする音が響く。


「お兄様だわ」


 時計を確認した私はエリーに出発の意を込めて目配せすると、ドアに向かって「どうぞ」と声を掛けた。その掛け声に反応するように、入り口がカチャリと開かれる。

 鏡越しにそちらに目を向けた私は、驚きのあまり目を見開いた。


 後ろで一つに纏められた艶やかな焦げ茶色の髪、澄んだ冬の空のようなアイスブルーの瞳。高い鼻梁と薄い唇、そしてきりっとした眉。忘れるはずがない。彼は──。


「……ダニエル殿下」

「私を認識してくれているのか。それは嬉しいことだ」


 嬉しそうに表情を綻ばせたダニエルは、驚きのあまり動けずにいる私の間の前へと歩み寄った。


「サンルータ国へようこそ、アナベル姫。わたしはこの国の第一王子のダニエル=バーレクだ。会えたことを嬉しく思う」


 ダニエルは呆然としたまま動けない私の片手を取ると、その甲に軽く口づけた。


「な……ん、で……?」


 なぜここにダニエルがいるのか、理解できない。目を大きく見開いたまま自分を見つめる私を見て、ダニエルはにこりと微笑んだ。


「シャルル殿にエスコート役を交換してもらったんだ。シャルル殿はキャリーナ王女を向かえに行った」

「……そうですか」


 それ以外に言うべき言葉が見つからない。お兄様、代わるなら代わると事前に一言ほしかったわ。

 ダニエルは視線を彷徨わせる私の表情を観察するように静かに見下ろしていたが、ゆっくりと口を開いた。


「もう、準備はできている?」

「……ええ」


 先ほどからダニエルに握られたままの片手を力く引かれるのを感じた。体がダニエルの方へとよろける。

 

「初めまして、アナベル姫」


 顔が近づいたダニエルにそう言われ、私は自分が名乗ることすらしていないことに今更ながら気が付いた。一国の王子を前に、とんでもなく失礼な態度だ。


 それにこの距離。婚約者でもないのに近すぎる。

 慌てて私は距離を取った。


「初めまして、ダニエル殿下。ナジール国の第一王女、アナベル=ナリア=ゴーデンハイムでございます。このような歓迎を頂き、痛み入ります。感動で言葉も出ずに失礼いたしました」

 

 頭を垂れると、ドレスの裾を摘まんでお辞儀をする。

 すぐに頭上から「よい」と声が聞こえた。


「シャルル殿から、この訪問がアナベル姫にとっての初めての外遊だと聞いた。疲れているだろう? 部屋の居心地はどうだ?」

「とても快適でございます」

「それはよかった。足りないものがあるときは、すぐにサンルータ国の侍女に申し伝えるとよい。今日の晩餐ではアナベル姫も楽しんでもらえるといいのだが」


 ダニエルはそう言いながら、アイスブルーの目を細める。もう一度差し出された手に自分の手を重ねると、優しく誘うようにエスコートされた。


「あ、ダリア……」

 

 廊下を歩いていると、至る所にダリアの花が飾られていることに気が付いた。私の小さな呟きはしっかりとダニエルの耳に届いたようで、ダニエルもその大輪へと視線を向ける。


「この花が好きなのだろう? 少しでも居心地がよくなるように、アナベル姫が滞在する付近には特にたくさん飾らせた」


 私は目をしばたたかせる。確かに手紙にはダリアを飾り付けると書いてあったけれど、本当にしてくれていたなんて。私が少しでもリラックスできるように、心を砕いてくれているのが痛いほどわかった。


 こんな素敵な気づかいは、何も知らない頃であれば只々嬉しかっただろう。

 けれど、あんな残酷な未来を知っている私からすると、その優しさがかえって気味悪く感じた。益々、自分とダニエルの婚約話が出ている可能性が高い気がしてくる。


 それに、豹変した後の彼との差が激しすぎて、混乱してくる。


(一体、どれが本当のダニエルなの?)


 探るようにその凛々しい横顔を見上げると、私の視線に気づいたダニエルがこちら向く。目が合うと、にこりと優しく微笑まれた。

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