噂 1
会話の内容までは聞き取れないけれど、エドが何かを話すとアイリーン様は笑顔でそれに答えていた。
最初は少し困ったような表情をしていたエドがアイリーン様の返事を聞いてパッと表情を明るくしたのがわかった。そして、隣に停まるラブラシュリ公爵家の家紋が入った馬車の御者に何かを言うと、ラブラシュリ公爵家の馬車はエドを乗せずに走り去ってゆく。
(馬車を帰してしまって、エドはどうするつもりかしら?)
不思議に思って見守っていると、エドはアイリーン様に促されてモンシェリー侯爵家の馬車へと乗り込んだ。
「なに、あれ?」
エドが女子学生と話す姿は何度も見たことがあるけれど、あんなにも親しそうにしている姿を見るのは初めてだった。
走り去ってゆく馬車を見つめて、呆然と立ち尽くす。
エドの目の前に立っていた、アイリーン様の様子が脳裏に浮かぶ。
エドを見上げて表情を綻ばせ、楽しそうに笑う。少し傾いた日の光を浴びて、下ろした金髪が美しく煌めいていた。金髪だけでなく、彼女は顔の造作や立ち振る舞いもとても美しい。後輩にも優しく、模範的な淑女だ。
エドは女子生徒と話すとき、いつも一定の距離を保っていた。先ほどのホッとしたように、そして嬉しそうに笑うエドの表情が、二人の関係がとても親しいものであることを示している気がした。
(私が学園に通っていない間に、親しくなったってこと?)
混乱して状況が理解できず、私は片手を頭に当てて立ち尽くす。
「ベル、待たせたかな? こんなところに立っていないで、中で待っていればよかったのに」
不意に後ろから声を掛けられ、びくっとして振り返るとそこには笑顔のお兄様がいた。隣にはドウル様も一緒だ。
「あっ……。わたくしも今着いたところなの」
「そうだったのか。では、ちょうどよかった」
お兄様はその場でドウル様に別れを告げると、私の元まで歩み寄る。
「──今日は、エドワール様はご一緒ではないの?」
「エドは用事があるって言って先に急いで帰ったよ」
「用事……」
用事があるからと急いで帰ったというのにアイリーン様の馬車に乗り込むとは、どういうことなのだろう。つまり、その用事がアイリーン様との逢瀬のためということ?
「ベル? なんだか元気がないけど、大丈夫?」
「そんなことないわ。元気よ」
「そう? ならいいのだけど。──乗馬は上手くできるようになった?」
「ええ。もうすっかりと自分一人で操れるようになったわ。やろうと思えば遠乗りもできると思うわよ」
「凄いじゃないか」
「うん」
グレール学園では、男子生徒は必須、女子生徒は選択制で『乗馬』を習うことができる。
前世での私は一人で馬に乗ることができなかった。いつも馬車を使っていたからそれで問題なかったし、必要に迫られれば護衛の近衛騎士の誰かが相乗りさせてくれたのだ。
でも、二度目の人生は以前にできなかったことをたくさんしてみたいと思った私は、敢えて六回生の後期からずっと『乗馬』の授業を選択していた。十三歳の誕生日の日に、前世のエドが『乗馬をやってみたいと思わないか』と言う夢を見たからというのもある。
お尻が痛くなるし、全身が筋肉痛になるし、本当に散々だけれど、自分が操る馬で風を切るのはとても気持ちがいい。今ではすっかり馬の扱いにも慣れたので、よく通学途中の馬車の中でお兄様にその話をしていたのだ。
(あの二人はどういう関係なのかしら?)
いつもなら学校であったことを夢中で話してしまうのに、また先ほどの光景が脳裏に蘇って話に集中できない。
エドが誰と何をして過ごそうと、私が口出しすべきことではない。そうはわかっているのに、なぜか胸につかえるものを感じる。
けれど、この気持ちがなんなのかをはっきりと知ってはいけない気がして、私は慌てて首を振った。
◇ ◇ ◇
その噂を聞いたのはその数日後だった。
「エドワール様とアイリーン様が?」
「ええ。『サンクリアート』で魔法珠を留めるネックレスを選んでいたって。とても和気あいあいとして仲睦まじい様子だったとか」
クラスメイトの女子の一人が、城下にあるサンクリアートでエドとアイリーン様を見かけたというのだ。サンクリアートとは、以前私が城下に行った際に入り口前で魔法珠を落としたあの高級宝飾店だ。
「でね、これはまだ秘密なのだけど──」
クラスメイトは内緒話をするように口許に一本指を当てて、顔を近づける。
「夜会に出席したお姉様が噂を耳にしたのだけど、ラブラシュリ公爵家とモンシェリー侯爵家で婚約の話が出ていて、ほぼ確定らしいって──」
それを聞いた途端、その場で顔を寄せ合っていた女子生徒達が「きゃあ!」と黄色い歓声を上げる。
ラブラシュリ公爵家とはエドの実家で、モンシェリー侯爵家とはアイリーン様のご実家だ。つまりその噂は、『エドとアイリーン様が婚約するらしい』と言っているのと同義だった。
「魔法珠を留めるネックレスを選んでいたなら、もう間違いないわね」
「本当ね、絵になる二人だわ」
クラスメイトの女子たちが笑顔で盛り上がり始める。
(嘘でしょ?)
私はその会話を、別の世界の出来事のように呆然と聞いていた。
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