噂 2
エドとアイリーン様との逢瀬を目撃してからひと月と少しが経った。
私はいつもと変わらない、充実した日々を送っている。ただ、ここ最近はエドと顔を合わせるのがなんとなく気まずく、ずっと避けてしまっている。放課後の魔力や魔法陣の練習は、用事があると毎回理由を付けてエドとは顔を合わせないようにしていた。
そんな中、私は無事に十五歳の誕生日を迎えた。
朝食の席ではお父様やお母様からお祝いを言われ、お兄様からは大きな馬のぬいぐるみを渡された。
「まあ。大きなぬいぐるみね」
「ベルは最近、乗馬の練習をしているだろう? だから、うまく乗れるようにおまじないだ」
驚く私に対し、お兄様はそう言って屈託なく笑った。
「シャルルからその話を聞いて、今年の誕生日プレゼントは馬がいいかと思ったんだ。どうだろう?」
「馬? わたくしの馬ですか?」
私は驚いてお父様を見返した。去年から乗馬の授業を選択していることは、実はお父様とお母様には秘密にしていた。二人とも心配性だから、落馬すると危ないと止められるかもしれないと思ったのだ。けれど、そんな心配は全くの杞憂だったようだ。
でも、馬をプレゼントしてくれるだなんて、全く予想外だ。想像すらしていなかったわ。
十五歳を迎えた私の身長は既に成人女性と同じくらいまで伸びている。けれど、学園の馬は元々騎士を目指す学生の授業のために用意されたものなので、どれも立派で私には少々体格がよすぎるのだ。
「今度、馬の牧場に見に行こうか。一番気に入った子にするといい」
「ありがとう、お父様、お母様!」
思わずはしゃいでしまう。
自分の馬! なんて素敵な響きなのかしら。
今から楽しみでならないわ。
その日は毎年そうであるように、早く王宮に戻って家族でお祝いをしようと言われていた。
私はお兄様の授業が終わるのを待つため、学園内の図書館で時間を潰していた。グレール学園の図書館はとても大きく、ちょっとした市中の図書館に匹敵するほどだ。一回生から読めるような児童書から、大人が読むような専門書まで幅広く揃えられている。
建ち並ぶ書架の合間を歩きながら、本の背表紙を眺めてゆく。そして、気になる本を見つけては中をパラパラと捲り、また元に戻すという行為を繰り返していた。
「姫様」
たまたま手に取った小説を読んでいたら思いの外、引き込まれてしまった。立ったまま夢中で読んでいると、落ち着いた低い声で呼びかけられた。私は思わず顔を引き攣らせる。だって、そこにはここひと月ほど避けていたエドがいたのだ。
「本を読んでいたのですか?」
「ええ。でも、もう帰るわ」
私は持っていた本をパタンと閉じると、それを元の位置に挿した。エドがここにいるということは、お兄様も今頃馬車に向かっているはずだ。
「最近忙しいのですか?」
「……ええ」
後ろめたいので、少し視線が泳いで返事も小さくなってしまった。
エドが『忙しいのか』と聞いたのは、きっとあんなに熱心に魔法の勉強をしていた私が最近になってめっきり魔法実験室に行かなくなってしまったからだろう。本当は忙しいのではなくて、エドと顔を合わせづらいから行かなかっただけだ。
「姫様」
「なに?」
「十五歳のお誕生日、おめでとうございます」
私は驚いてパッと顔を上げた。だって、エドが今日が私の誕生日だと覚えているなんて思わなかったから。ちなみに昨年は、数日前から自分で「もうすぐ誕生日なの」と繰り返し伝えたから忘れられようもない状態だった。
「──覚えていてくれたの?」
「もちろんです」
エドは私を見つめたまま、表情を綻ばせた。
「──ご迷惑でなければ、姫様に一つ、贈り物をしても?」
「贈り物? でも、わたしくは今年、エドに何もあげていないわ」
エドと私の誕生日はほぼひと月違いだ。ちょうどその時期にアイリーン様との逢瀬を見て気まずくて、今年はプレゼントを渡していなかった。
「そうでしたね。まあ、それはいいですよ。魔法珠をお借りしても?」
「魔法珠?」
私は小首を傾げながらもスカートのポケットから紐に入れた巾着袋に入れた赤い魔法珠を取り出す。魔法実験室で時折私は魔法珠を眺めているので、エドは今もこの魔法珠を常に持ち歩いていることを知っていた。
エドはそれを受け取るとじっと見つめ、ついで金色の何かと一緒に手にぎゅっと握りこみ、呪文を詠唱した。エドの手元が鈍い光を放つ。
「はい、どうぞ」
すぐに差し出されたそれには、金色のチェーンが付いていた。一番下には丸い魔法珠が宝石のように、チェーンと同じ金色の台座に乗ってぶら下がっている。よくよく見ると、台座の上の部分には小さなお花のモチーフが付いていた。
「まあ! 凄いわ」
エドは驚きで口許を押さえる私を見つめ、にこりと微笑んだ。
「魔法珠の台座です。街中でよく売っていますよ」
「魔法珠の台座……」
魔法珠用の台座というだけあり、それはぴったりと私の持っていた魔法珠にフィットしていた。言われてみれば、確かに以前『サンクリアート』で見たものとよく似ている。
多くの魔法使いが婚姻の印に妻に魔法珠を贈るが、その際にはそのまま渡すのではなくてネックレスや指輪、ブレスレットに嵌め込んで渡すのが主流だ。前世のエドは獄中でこれを私に託したので、むき身のままだけれど。
「お気に召していただけるといいのですが。もし気に入らないようでしたら元に戻して、そちらは処分してしまいます」
「え? 駄目よ! これは貰ったのだから、わたくしのものよ」
私は慌てて魔法珠付きのペンダントをエドから離すように隠した。
指先に、今まで慣れ親しんだコロンとした感触と共に、サラサラとしたチェーンを感じる。チラリと見ると、金色のチェーンは赤い魔法珠にとても似合っていた。
「とても可愛らしいわ」
「気に入って頂けてよかった。探して渡しに来た甲斐がありました」
「──探してくれたの?」
「ええ。探索魔法で。今日も魔法実験室にいらっしゃらなかったので」
エドは屈託なく笑う。私がわざとエドを避けていたなんて、全く想像すらしていない様子で。
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