後悔
永遠のように長く感じたときは、多分、ほんの数秒程度だろう。打って変わって辺りはシーンと静まり返っていた。恐る恐る目を開けると、周囲は暗闇に包まれていた。
「姫様、大丈夫ですか?」
すぐ頭上から声がして、顔を上げると至近距離にエドの顔があった。赤い瞳で心配そうに、私の顔を覗きこむ。
「大丈夫……。あの人達は?」
「気絶しています。もう大丈夫ですよ。怖かったですね。すぐに助けを呼びます」
上向きにしたエドの手のひらに光が集まり、紙切れが現れる。エドはそれにさらさらと何かを書くと、呪文を唱えた。紙切れが一瞬で消え去る。
エドはそれが済むと、私の体を抱きなおして労わるように私の背を撫でる。そこでようやく、私は自分の体が恐怖で震えているのに気が付いた。伸ばした指先は小刻みに震え、言うことを効かない。
「エド、なんでここに?」
「なぜでしょう? 俺にもよくわからないのです。自宅で魔術の本をおさらいしていたのですが、なぜか呼ばれたような気がして、強い焦燥感に駆られて転移魔法でここに来たら、ちょうど姫様が襲われているところでした。……間に合ってよかった」
エドはホッと息を吐く。
「でも、魔方陣なしで転移したせいで、戦うのに十分な魔力が残っていませんでした。迂闊でした」
「血が出ているわ。それに、腫れているわ……」
「俺は大丈夫ですよ。大したことはありません」
唇が切れているのか、エドの口許にはべっとりと血が付いていた。それに、左頬には痛々しい痣ができ、薄暗い中でも土に汚れているのがわかる。
「理由なく市民を傷つけると、いくら貴族でも厳しく批判されてしまいます。正当防衛を主張するためにはこれくらい殴られないと言い訳がつかないです」
エドは悪戯っ子のように笑うけど、私は震えを止めることができなかった。
「ごめんなさい……、ごめんなさい」
「姫様? 俺は大丈夫ですよ?」
何度も謝罪の言葉を繰り返してぽろぽろと涙を零す私を見つめ、エドは困ったように眉尻を下げる。
「俺はシャルル殿下から、姫様のナイトを仰せつかっていますから」
「でも、わたくしのせいでエドが危険な目にあったわ。一歩間違えば、死んでいたかもしれないわ!」
「あれくらいでは死にませんよ。最近は鍛えていますし、軽く防御魔法を使うくらいの魔力は残っていたので最初の一発目以外は殆ど効いていません。それよりも、姫様がご無事でよかった」
優しく微笑む姿が、護衛騎士だったかつてのエドと重なる。あのときもそうだった。私を守ろうとして、平気で自分を犠牲にしようとするのだ。
「よくないわ……。全然よくない! わたくしの愚かな行為で、エドを危険に晒したわ。皆にも迷惑をかけた。わたくしは……、わたくしは──」
嗚咽が混じり、それ以上は言葉にならなかった。
なぜ、すぐに近衛騎士を呼んで事情を話し、一緒に探させなかったのだろう。あの魔法珠はとても大切なものだ。けれど、それはあくまで私にとって大切なものであって、それを理由に今を生きる人を傷つけていいわけがない。
「お願い。もっと、自分を大事にして。エドを失うかと思ったの」
「姫様……」
「エドのことが、とても大切なの。だから、お願い」
もう、泣き過ぎてよくわからない状態になっていた。
顔はぐちゃぐちゃだし、頭は痛いし。
暫くすると薄暗い通りに複数の騎士と馬車がとまる。馬車からはお兄様が険しい表情をして現れた。
ちょっと馬車に忘れ物を取りに行くだけだと言ったはずの私が王宮から姿を消し、危うく人攫いに身売りされそうになったのだ。怒るのも当然だろう。
──パシン!
乾いた音と共に、頬に痛みが走る。
お兄様が、私をひっぱたいたのだ。
「ベル。自分のしたことをよく考えろ」
「ごめ……ん……なさい……」
いつも私に甘いお兄様が、こんなにも怒っている姿を見るのは初めてだった。
お兄様は険しい表情のまま、エドへと視線を移動する。
「エド、報せてくれて助かった。詳しい話は後で聞こう。帰りの馬車を用意させた」
「畏まりました。姫様に何もなくてよかったです」
エドは立ち上がり、お兄様に頭を下げる。
お兄様に手を引かれ、私は用意された馬車に乗り込む。エドはこちらを見上げると、もう一度頭を下げた。
王宮に戻ってからも、私はお父様とお母様にそれはそれはこっぴどく叱られた。一歩間違えば王女誘拐事件として、国家を揺るがす大騒ぎに繋がっていたかもしれないのだ。
どこで話を聞きつけたのか、オリーフィアの実家であるアングラート公爵は夜にも関わらず、泣きじゃくるオリーフィアと顔面蒼白のオルセーを連れて「娘が殿下をお誘いしたせいでこんなことに……」と王宮まで謝罪に来た。
私が馬車に行く途中に会った近衛騎士は任務における失態を犯したとして死をもって償うと言い出し、私を乗せた御者は責任を取るために御者の職を辞すると言い出した。
全てお父様が丸く収めていたが、私は自分がしでかしたことの重大さを改めて思い知らされたのだった。
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