自宅謹慎 2


「あ、お兄様。お帰りなさいませ」

「ただいま。今は何を?」


 私は反射的にエドの方に視線を向ける。エドは少し首を傾げ「姫様が読書中だったので、何を読んでいるのかお聞きしていました」と答える。

 魔法珠のことは秘密にしてくれるらしい。おそらく、いまここであの日のことを蒸し返すのは得策ではないという判断からだろう。


「本? なんの本を読んでいたんだい?」


 お兄様は興味深げにサイドテーブルの上の本を見つめた。


「以前食事のときにお話した、サンルータ王国に関する本よ」

 

 片手で表紙を見せるように、その本を持ち上げた。オレンジ色の羊皮紙カバーがかかったその本は、ずっしりと重い。そのとき、ふと先ほど読んだ文章が気になった。


「お兄様。この本に、サンルータ王国に魔術研究所が設立されたって書いてあったのだけど……」

「ああ、そうらしいね。なんでも、昨年成人された第一王子のダニエル殿下の強い希望らしいよ」

「ダニエル殿下の? どうしてそんなものを設立したのか、理由は知っている?」

「いや、そこまでは知らないよ。サンルータ王国でも、もっと魔法を発展させたかったんじゃない? 我が国みたいにね」


 お兄様はすこし誇らしげに胸を張る。確かにサンルータ王国は我がナジール国に比べると、遥かに魔術の技術で劣っている。


「そうなのかしら?」


 私は納得いかず、考え込む。

 サンルータ王国に魔術研究所。記憶を辿るけれど、やっぱりそんな話は聞いたことがない。ダニエルはなぜ、そんなものを設立したのだろう?


「そういえば、ダニエル殿下の戴冠式が来年あたりにあるはずだとジュディオン侯爵が言っていたな。ナジール国にも招待状が来るはずだ」

「ふうん」


 サンルータ王国の話を始めたので、お兄様がついでとばかりに話を始めた。

 第一王子が自動的に次期国王となるナジール国とは異なり、サンルータ王国では戴冠式を経て初めて王太子と認められる。その戴冠式が、来年あたりに行われるだろうと言っているのだ。


 私がかつての婚約者であるダニエルと出会ったのは、今から一年半後の十六歳の誕生日のことだった。そのときにはダニエルは既にサンルータ王国の王太子だったから、時期的にも合う。


 私達はその後、三人で小一時間ほど紅茶と焼き菓子を摘まみつつお喋りをしてすごしたのだった。


   ◇ ◇ ◇


 その日の晩、ベッドに仰向けに寝転んだ私は手元に戻ってきた赤い珠を天蓋にかざすように片手で摘まんで見上げた。

 ライトダウンされた薄暗い部屋で、僅かについた明かりを反射して光る真っ赤に染まった魔法珠。傷などもなく、以前と変わらぬ様子だ。


 あの日、 あのごろつき達に襲われたときに私はこれを身に付けていなかった。それなのに、しっかりと防御魔法が発動された。

 つまり、エドのくれた魔法珠はたとえ私がそれを身に付けていなくても防護の加護を与え続けるということだ。


 通常の魔法珠であれば加護は身に付けていなければ発動しない。

 自室謹慎の間に本などを調べて見た結果、それはこの魔法珠に込められた魔力と私にかけられた防護魔法がそれだけ強力だということを意味しているようだとわかった。


「エド、あなたはわたくしにどんな魔法をかけたの?」


 護衛騎士だったエドに呼び掛けたら突如現れた今のエド。ただ、本人も状況をよくわかっていないようだった。

 それに、昼間読んだサンルータ王国の魔術研究所の設立の話……。


 この世界は、かつて私が生きた世界と違うことがたくさんある。

 だけどわかっていることが一つ。間違いなく、あの世界のエドが私にかけたのはどの魔術書にも載っていないような、未知の魔法だ。


 赤い珠をじっと見つめる。


「そういえば、エドは何を言おうとしていたのかしら?」


 今日の昼間、お兄様が訪ねてきたときにエドは私に何かを言おうと口を開きかけていた。あのとき、お兄様が来て言葉を止めてしまったけれど、一体何を言いかけていたのだろう?


 誰も答えることのない問いかけは薄暗い部屋に溶けて消える。小さく『消灯』と呟くと、部屋の明かりがふっと消えた。


 ─

 ───

 ───────


 初めて会ったときの印象は、『凛々しく、精悍な男性』だった。

 

「アナベル王女、お誕生日おめでとう。このよき日に立ち会えたことを、嬉しく思う。貴女の最初のダンスのお相手を務める栄誉を頂けないだろうか?」


 そう言って私に微笑みかけ、手を差し出したダニエル。さらりとした茶色い髪を一つにまとめ、こちらを見つめるアイスブルーの瞳は少し鋭い。けれど、それがかえって男らしく感じられた。


「ええ。喜んで」


 それは十六歳の誕生日。初めての社交界デビューの日のことだった。

 当時十九歳でサンルータ王国の王太子だったダニエルは、私の成人を祝う使節団の代表としてナジール国を訪れていた。


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