学園舞踏会 1

 舞踏会用の本格的なドレスに袖を通すのは、今世では初めてかもしれない。

 私は鏡の前に立ち、自分の姿を確認した。


 コルセットで細く絞ったウエストから大きく広がったスカートには幾重にもドレープが重なり、緩やかな曲線を描いている。ところどころ、ドレープが絞られた場所に飾られたリボンが十五歳に相応しい可愛らしさを演出していた。

 そして繊細なレースと大きなリボンに彩られた胸元には赤い魔法珠──周りの人にはただのガラス玉だと言っているけれど──が光っている。胸元の赤とドレスのオレンジが同系色なので、控えめに馴染んだそれがかえって素敵に見えた。

 

 このドレスはお兄様のグレール学園卒業前の最後の舞踏会への参加ということもあり、お父様とお母様が用意してくれた一品だ。まだ学生という私の年齢に配慮しながらも、王女に相応しい豪華さがあった。


 私がスカートの裾を摘まみ、かつての世界で何度もやったように背筋を伸ばしてお辞儀をすると、目の前のレディも私の動きに合わせてお辞儀をした。腕を彩る肘から広がったレースのフレアスリーブは特にお気に入りポイントだ。

 

 少し視線を移動させると鏡越しに、今日の準備を手伝ってくれた侍女のエリーと目が合った。


「ねえ、エリー。おかしくないかしら?」

「おかしいものですか! わたくし共が三時間も掛けてご準備したのですよ」


 エリーは腰に両手を当てて呆れたような顔をした。確かに、エリーを始めとする侍女達は今日のこの準備をとても頑張ってくれた。

 私の初めての晴れ舞台とあって、皆、着せ替え人形気分でとても楽しみにしてくれていたようだ。どんな髪形にするかのイラストを実に十枚以上も見せられたことには本当に驚いた。結局私はその中からサイドを三つ編みにして後ろで結い上げるハーフアップスタイルを選んだ。纏められた髪に飾られた赤いバラが髪形に華やかさを添えている。


「ふふっ、そうね。ありがとう」

「ええ、そうですわ。アナベル様は今日、会場で一番お美しいこと間違いありません」


 エリーは満足げに微笑むと、「そろそろお時間では?」と言ってドアの前に立った。


    ◇ ◇ ◇


 舞踏会の華やかさにはすっかり慣れたと思っていたけれど、三年以上も間が開くと思った以上に色々と忘れていたようだ。お兄様にエスコートされながら学園のダンスホールの入場口に立ったとき、光を反射して虹色に煌めくシャンデリアの美しさに、思わずほぅっと息を漏らした。

 王宮のダンスホールの方がよっぽど豪華だったはずなのに、不思議なものだ。


 最も高位である私達の入場は最後なので、ダンスホールには既に多くの着飾った学生達が集まっていた。赤、黄色、ピンク、紫……嗜好を凝らした一品を身に纏い、皆が一様に笑顔だ。

 その中にオリーフィアとクロードの姿を見つけて私は表情を綻ばせる。どうやら無事にクロードはオリーフィアを誘うことができたようだ。


 全員が集まると学園長の開会の合図と共に、皆がダンスホールの中央へと集まってきた。私もお兄様と向き合ってダンスホールに立つ。お兄様には普段からダンスレッスンの相手をしてもらっているので、初舞台にもかかわらず何も緊張せずに踊り切ることができた。


 タランッとオーケストラの演奏が止み、一曲目が終わる。パートナー同士がお辞儀をして離れると、途端に辺りは歓談に移る人々の楽しげな声に包まれた。ふと気付けば、お兄様の周りにはあっという間に多くのご令嬢が集まっている。皆、憧れの王太子殿下と一度でいいから踊ってみたいのだろう。


 お兄様が困り顔でこちらを見つめたので、私はにこっと笑って片手を振る。滅多にない学園生活最初で最後の機会なのだから、彼女達にこれくらいのサービスをしてあげてもいいと思う。

 私の助けが得られないと知り顔を引き攣らせるお兄様を尻目に、私はくるりと体の向きを変えた。


(エドはどこかしら?)


 私は辺りを見渡しながら、歩き始める。セカンドダンスを踊ろうと約束したのに、肝心のエドがいない。ぐるりと辺りを確認したけれど、見える範囲にはいないようだ。


「アナベル殿下、よろしければ──」


 八回生だろうか。きょろきょろとしていると見慣れぬ男子生徒から声を掛けられた。背が高くやせ型のかたで、藍色の上質なフロックコートを着ている。


「殿下。ダンスのお相手を──」


 その脇からも別の男性が声を掛けてきた。

 私がその男性達の前で足を止めたそのとき、背後から「姫様っ!」と焦ったような声がした。振り返ると、女子生徒の塀をなんとかすり抜けてこちらに来ようとしているエドがいた。どうやら、お兄様同様にエドも女子生徒に囲まれてしまって身動きが取れなかったようだ。


 袖や襟に銀糸の刺繡が施された銀糸のフロックコートはエドにとても似合っていた。少し長めの黒髪は後ろに流され、整った顔がすっきりと見える。

 もしもお兄様のことを知らない人がいれば、エドが王子様だと言ったらきっと信じただろう。それほどまでに、今日の彼は眩しく見えた。女子生徒に囲まれるのも頷ける。

 けれど、私が探している間エドはずっと女の子に囲まれていたのかしら、なんて思うとなんだかちょっぴり面白くなくて、私は意地悪を言った。

  

「随分と人気者なのね?」

「意地の悪いことを言わないで下さい」


 エドは困ったように眉をハの字にして肩を竦める。私はその様子がおかしくてくすくすと笑った。


「ごめんなさい。先約があるの」


 後ろを振り返り私に声を掛けてきた男子生徒にそう伝えると、あからさまにガッカリとされてしまった。けれど、相手が公爵家出身かつお兄様の親友であるエドであることから、太刀打ちできないと諦めたようだ。

 

「姫様、お手を」

「ええ、ありがとう」


 エドに差し出された手に自分の手を重ねると、少し上に掲げるようにダンスホールの中央に促される。しっかりと腰をホールドされると、思った以上に近いその距離に戸惑った。


「近いわ……」

「ダンスはこんなものでは?」

「そうなのだけど──」


 エドの言う通り、ダンスのときはこれが普通だ。けれど、体が密着して見上げればすぐにエドの顔があるその距離感に、私は戸惑った。エドが見た目以上に逞しいことが、回された腕とから伝わってくる。

 お兄様のときはなんとも思わなかったのに、妙に気恥ずかしく感じて、自分の胸の音がエドに聞こえてしまうのではないかと思ったほどだ。 


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