事故
「……え?」
誰かの叫ぶ声がして咄嗟に振り返る。
訓練場にいる学生達が一斉にこちら振り向くのがわかった。
視界の端にキラリと光るものが映る。呆然と見上げると、剣の刃先がクルクルと回転しながら太陽の光を浴びて迫ってくるのが見えた。誰かの模擬剣が折れてはじけ飛んだのだ。
「姫様!」
私に気付いたエドが叫び、その深紅の瞳を大きく見開く。
「ベルッ!」
お兄様も焦ったような様子で私の名を叫んでこちらに手を伸ばすような仕草をする。
私は光るものを眺めながら、体を硬直させて目を見開いた。
勢いよく回転するそれは、まっすぐにこちらへと近づいてくる。
(
すぐにそう悟った。
逃げなければならないのに、咄嗟のことで体が硬直して動かない。
訓練中の学生は防具を身に着けているし、剣術大会などの観覧席を使う際はそのエリア全体に防護魔法が掛けられる。
けれど、今日は生徒達の自主的な練習と私達の勝手な見学なので、そうではない。
練習用の剣の刃は潰しているとはいえ、あの回転速度と勢いだ。飛んできたものに当たれば、大怪我するのは避けられない。
私は思わず、きつく目を閉じた。
次の瞬間、耳元でバチーンと何かがぶつかる様な激しい音がして、続いてカランカランと金属が転がるような音がする。
「ベル!」
恐る恐る目を開けると、真っ青になったお兄様が、こちらに走り寄ってきた。
「大丈夫か? 怪我は!?」
「大丈夫よ。どこもぶつけてないわ」
お兄様は心配そうに私の両手と体を手で確かめるように触れ、どこも血が出ていないと知ると、ホッと安堵したように息を吐く。その後ろでは、剣先が折れて飛ばしてしまった男子学生と、その相手をしていたドウル様が真っ青な顔をして立ち尽くしていた。
「──これ、防御魔法ですね」
お兄様と一緒に私の元へと駆け付けたエドが、私と折れた剣の刃先を見比べながら眉を寄せて呟く。
「防御魔法? そうか、クロードがあの瞬間に防御魔法を掛けてくれたんだな? 助かった。ありがとう」
「え? 防御魔法?」
クロードはキョトンとした表情で二人を見返し、次いで自分の両手を眺める。どうやら自覚がないようだ。
「クロード、凄いわ!」
オリーフィアは驚いたように叫ぶ。
クロードは「えっと、僕なのかなぁ?」となんとも要領を得ない様子だ。けれど、防御魔法は危険に晒されると無意識に発動することもあるので、自覚がなくてもさほど不思議はない。
「なんだ。無意識に発動したのか?」
お兄様は半ば呆れたように呟いたが、「なんにしても助かった」と、もう一度クロード様に労いの言葉を掛けた。
剣先を飛ばした男子学生とその相手をしていたドウル様はしきりに謝ってきたけれど、剣が折れてしまったのは想定外だし、勝手に見物していた私達にも非がある。何も怪我もなかったので、責任を問うたりするつもりはない。
「今の……」
先程から黙り込んだまま、折れた剣先を見つめていたエドが、考え込むように呟く。
「なんだエド? どうかしたのか?」
「ああ、……いえ。なんでもありません」
歯切れの悪い返事をしたエドにお兄様は首を傾げたけれど、すぐに気を取り直したように持っていた模擬用の剣を鞘にしまった。
「今日はもう終わりにしよう。怖かっただろう? ベル、帰ろうか」
「はい」
私は頷くと、お兄様に付き添われて馬車置き場へと向かった。
◇ ◇ ◇
王宮に戻ると、今日も侍女のエリーが笑顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。今日も楽しかったですか?」
「ええ。──ただ、放課後にお兄様の剣の訓練を見学に行ったら、折れて弾け飛んだ剣先がこちらに飛んできて当たりそうになったの。でも、隣にいたクロードが無意識に防御魔法を掛けてくれたから、当たらずに助かったわ」
「まあ、そんなことが? お怪我がなくてよかったですわ」
クローゼットの中を見ていたエリーは、少し眉根を寄せながらもほっと胸を撫で下ろすように息を吐く。エリーの言うとおり、当たらなくて本当によかった。
治癒魔法ですぐに治せるとは言っても、もし命中すれば一時的に大怪我を負うことになるのは変わらないのだ。もしかしたら、傷だって残るかもしれない。
「今回は大事でなかったけれど、気を付けて下さいませ。さあ、お召し替えしてくださいませ」
「ええ。わかったわ」
シンプルなドレスを目の前に差し出されて、私は制服を脱ぎ始める。そのとき、いつものように、常に持ち歩いている魔法珠を制服のポケットから取り出した。
「……え?」
それを見た瞬間、思わず声が漏れる。
「アナベル様? どうかされましたか?」
「あっ。ううん、なんでもないのよ」
「そうですか?」
慌てて両手を胸の前で振る私を見つめ、エリーは不思議そうに首を傾げる。しかし、深くは追及せずに私の脱いだ制服のケープなどを皺にならないように片付け始めた。
エリーの注意が反れたのを機にもう一度魔法珠を取り出して眺める。
「なんで……?」
私は信じられない思いで、それを見つめた。
手のひらにあるコロンとした魔法珠は、今朝は間違いなく真っ赤だった。それなのに、今は濃いピンク色──つまり、明らかに薄くなっていたのだ。
魔法珠が薄くなる。
それは、中に込められた魔力が放出されたということを意味していた。
前世のエドがこれを私に託したとき、彼は私を守るために防護魔法を掛けていた。
「もしかして、今日の……」
ひとつの可能性に思い当たり、私は呆然とした。
今日の剣が飛んできたときに一瞬で防御壁が張られたのも、これのお陰だとすればすんなりと腑に落ちる。どおりでクロードは自覚がないわけだ。本当に何も魔法を使っていないのだから、自覚などあるわけがない。
──彼はこんな形で、今も私を守ってくれているのだ。
そのことを知り、目頭が熱くなるのを感じた。
「ありがとう、エド……」
私はピンク色になったその魔法珠をギュッと握りしめる。
拳を額に当てて目を閉じると、もう一度「ありがとう」と呟いた。
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