他人の魔法珠 1

 

 学園の授業を受けながらも早く授業が終わってくれないかと、時間ばかりが気になる。あの時計、長針の進みが悪くなる魔法がかかっているのではないかしら、と本気で疑ったほどよ。

 ポケットに手を入れるのは、朝から何度目だろう。毎日のように触れるので、いつの間にかこのつるりとした感触がすっかりと手になじむようになった。

 その丸い魔法珠を握りしめてポケットから手を抜き、そっとてのひらを開く。そこには真っ赤に染まる魔法珠があった。


 異変に気付いたのは、朝の準備中だった。私はこの世界に転生してから、いつも肌身離さずにエドのくれた魔法珠を身に付けている。

 今日もいつものように魔法珠をポケットにしまおうとして、私は手を止めた。


「え? 色が……元に戻っている?」


 昨日は明らかにピンク色になっていた魔法珠は、いつの間に戻ったのかいつもと変わらぬ深紅色をしていた。見ていないから推測でしかないけれど、寝ている間に元に戻ったのだろうか。

 魔法珠の色の濃さはそこに込められている魔力の量に比例すると言われている。そして、その魔法珠を作った人が生きてさえいれば、魔力が減っても自然に補充される。つまり、魔法珠を作った人が死んでいれば魔力は補充されないことを意味する。


 戦争前に未婚の魔法使いが恋人や家族に魔法珠を残す理由は、実はこれが大きい。もちろんそれを持っている相手に加護を与えたいという純粋な思いもあるけれど、魔法珠を持っていれば減った魔力が補充されるかどうかでそれを作った人が無事かどうか、少なくとも生きているかどうかを判別できるのだ。


「なんで?」


 私は呆然とその赤い珠を見つめた。これを私にくれたエドは死んだはずだ。だから、魔力が補充されるはずはない。それなのに、魔法珠は赤くなった。


 混乱しながらも理由を色々と考え、導き出した結論は〝この魔法珠は、この世界を生きるエドから魔力を貯めているのではないか〟ということだった。

 前世のエドと今世のエドは、意識の上では全くの別人だ。けれど、同時に同じ人物でもある。ああ、説明がとても難しいのだけど、とにかく、魔力の質などは同じなので、魔法珠に魔力が移るのではないかと思ったのだ。


 最後の授業が終わると、私は挨拶もそこそこに席を立ちあがると足早に魔法実験室へと向かった。バンッと勢いよくドアを開ける。そこは薄暗くシーンと静まり返っており、拍子抜けした。

 よくよく考えれば学年が一つ上のエドは私よりも授業時間が多い。こんなに焦って来ても意味はなかったわ。


 仕方なくその場でエドを待つことにした私は、部屋の中をぷらぷらと歩きながら辺りを見渡した。

 中央に魔法陣を描くための広い空間、壁際の本棚にはぎっしりと魔術書が詰まっている。作業用机にはポーションなどに使う薬草や干した生き物などが瓶に入れられておいてある。窓際には、いつの日にかエドが私に悪戯するのに使用したヒキガエルが入ったケースなども陳列されていた。


「あ、これ……」


 本棚の前で見覚えのある表紙を見つけ、ふと足を止める。背表紙に『詳解 応用魔法学』と書かれたそれは、エドが読んでいるのをここ最近何度か見かけたことがある。

 手に取ってみると、羊皮紙で出来た表紙には著者名として伝説の大魔術師『ロングギール』の名があった。中をぱらぱらと捲ると、それは魔法陣について書かれた魔術書のようだ。


 ロングギールが現れるまで、この世界には魔法陣が存在しなかった。だから、魔法を使えるのはごくごく限られた人間しかいなかった。それを少しの魔力を放出することさえできれば誰にでもある一定の魔法を使えるようにした彼は、まさに歴史に残る大魔術師だろう。


 それにしても──。


 また一枚ページをめくる。


 エドは魔法陣や新しい魔術の開発に興味があるのだろうか。

 かつて私の護衛騎士を務めたエドは魔法騎士だったからか、そういったことよりも攻撃魔法や防御魔法に長けているように見えた。けれど、この世界のエドはどちらかと言うと魔術研究に興味があるようだ。


 ぼんやりと眺めていると、カタン、と背後で音がした。振り返ると開いたドアの向こう側にエドがおり、私に気が付くと柔らかく目を細めた。


「姫様、今日も来ていらしたのですね」

「ええ、もちろん」


 私は笑顔で頷く。


「魔力を解放する訓練をしなければならないし、エドに聞きたいこともあったの」

「俺に聞きたいこと? なんでしょう?」


 エドは魔法実験室のドアを後ろ手に閉じると、こちらに歩み寄ってきて私の前に立ち止まる。

 以前に顔を出した方がいいと伝えて以来、エドは前髪を短くした。すっきりとした顔周りで整った顔立ちと目元がよく見える。エドは赤い瞳で私を見つめ、少しだけ首を傾げた。


「前に、魔法珠のことを聞いたでしょう? 魔法珠は同時に一つしか存在しないはずだけれど、魔力が極めて似ている場合は他人の作った魔法珠に魔力が補充されることもあるのかしら?」

「他人の魔法珠?」


 エドの眉間に僅かに皺が寄る。

 きっと、突拍子もないことを言い出したと思われたに違いない。私も突然こんなこと言われたら、きっとそう思うわ。


 私はポケットを探ると、いつも持ち歩いている、かつて私の護衛騎士だったエドから受け取った魔法珠を取り出した。それを、訝しげな表情をするエドに手渡す。


 それを受け取ったエドは無言のまま魔法珠を見つめ、沈黙が部屋を包みこんだ。

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