未知の魔法(2)
さあっと海からの風が吹き上げ、髪が靡く。私は乱れた髪を整えるように片手を添える。
目の前に広がるのはどこまでも続く、青い海。
先日ここで起きた惨劇などまるでなかったかのように、その景色は平和そのものだ。
「アナベル様。そろそろお時間です」
後ろに控えていた護衛騎士のヘンドリックが声をかけてくる。
「わかったわ」
私は振り返って頷くと、もう一度青い大海原を見つめる。そして、小さく首を振ると庭園のガゼボを後にした。
「荷物は既に馬車に積み込んでおります。ニーグレン国の皆様がお見送りのために控えの間に集まっております。ご挨拶を」
ヘンドリックは私に、王宮の控えの間に行くようにと促した。
今日、私は生まれ育ったナジール国に帰国する。
たった数日間離れただけなのに、魔方陣で国境沿いまで移動したのが遠い昔のような気がしてしまい、不思議なものだ。
あの事件の後、アロルド殿下はエレナの訴えていたことの真偽を確かめるためにすぐに調査を手配した。
その結果わかったことは、事の真相は真実と嘘が入り交じっていたということだ。
突然変異の魔法使いが出現したと知ったとき、ニーグレン国はすぐにエレナを引き取るための使者を派遣した。ニーグレン国にはほとんど魔法を使える人間がいないので、突然変異の魔法使いは国にとって、とても貴重な財産なのだ。
最初こそ『可愛い娘を国に渡すことなどできない』と言っていた両親達に、ニーグレン国側は高価な絹や金銀財宝など、徐々に取引条件の提示を上げていった。それに味を占めたエレナの一族は、なかなか了承の姿勢を見せず、挙げ句の果てには『一族に国の要職者のポストを用意すること』という条件を提示しニーグレン国側の手を焼かせていた。
これは、グレール学園に在学している頃にクロードから聞いた通りのことだ。
そしてこの傲慢な態度は、当時交渉の指揮を任されていたニーグレン国側の責任者を大いに怒らせた。
それで、『これ以上国の言うことを聞かないのであれば、反逆者と見なす』として半ば無理矢理にエレナを王宮に連れて帰ったのだ。
一方、エレナの一族はアロルド殿下の言ったとおり相当の財産と豊かな土地を与えられ、新たな地に移り住んだ。
人間には二種類いる。
不相応な財産を手にしたとき、自らを律してそれを元手に幸せを手にできる者と、羽目を外して破滅へと突き進む者だ。
残念ながら、エレナの一族は後者だった。
贅沢をして湯水のようにお金を使えば、それが無くなるのは一瞬だ。それでどうしたかというと、エレナを返せと王宮に直談判しに来て、不法侵入で取り押さえられた。
せっかく手にした豊かな土地もいつの間にか借金の形に売りに出されており、その後の足取りは不明だ。
──私はただ、幸せになりたかった。
エレナの最後の言葉が脳裏に甦る。
あれはきっと、彼女の本心だったのだろう。
私が聞いた彼女の生い立ちは、とても不遇なものだった。
土地の痩せた辺境の地、貧しい一族の子供として生まれたエレナは、生まれたときから常に貧困と闘っている状態だった。
そして彼女の肝心の名前は……『ヒリイ』。これは、彼女の住んでいた地域では『非人』『化け物』を表わす蔑称だ。つまり、人ならざる者のようなおかしな術を無意識に使うエレナは一族の中で化け物として差別の対象になっていただけでなく、彼女には名前と呼べるような名前すらなかった。
だからきっと、彼女は初めてニーグレン国の人達が来たとき、嬉しかっただろう。
これまで蔑まされ差別的に扱われていたのに、皆が手のひらを返したように自分を大切にしだす。例えそれが、国から多くの金銀財宝や立場を引き出す駒だったとしても、それでも構わないと思えるほどに彼女は孤独だったのだ。
「ねえ、ヘンドリック。彼女は、天国に行けたと思う?」
「私にはわかりません。ただ、生前にきちんと神に祈りを捧げたのであれば、行けたのではないかと」
ヘンドリックは私の問いに、大真面目に答える。
私はヘンドリックを見返し、ふっと口元を緩める。
この生真面目なところが、なんともヘンドリックらしい。
彼女が最後に使った魔法は、遂になんなのかがわからなかった。
世界最高峰の魔術研究機関に所属する優秀な魔術師であるエドもトールも見たことがないと言ったので、本当に未知の魔法だ。
エレナの死後、徹底的に調べられたキャリーナの私室からはいくつかの魔術書が発見された。
その中には私の十六歳の成人祝賀会の際に紛失騒ぎがあった、あの禁書の写しもあった。
エレナはナジール国に来たとき、エドの幻術を始めとするたくさんの魔法を目にした。そして、それを
ただ、禁書に関しては盗んで間もなくしてナジール国側が調査を開始したので、まずいと感じて原本は返却したのだろう。自分の手元には、コピーを残して。
何度も読み込んだ形跡があるそれには、様々な書き込みがされていたという。
「彼女は、魔術の天才ですね。本当に、惜しいことです」
発見された魔術書を捲りながら、エドがポツリと零した言葉が印象深い。
もしも、エレナの存在をもっと早い段階でニーグレン国が認識して迎えに行っていたら?
例えば、最高峰の魔術を扱う我が国できちんと教育していたら?
誰かが彼女の心の内に気付いていたら?
すでに終わったことなので取り返しはつかないが、そんなことを思わずにはいられない。
もしも時間が巻き戻るならば、と。
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