第83話

 何も分かっていないシルネは、おろおろして父親に助けを求めた。


「謝って礼を言うんだよ。」


 思わず村長が助け船を出すと、ジリナはそれもじろりとにらんだ。自分で考えて行動させたかった。いつも誰かの助けがあるとは限らない。自分一人の時だって、あるかもしれないのだ。


「………そ、その…。……ご、ごめん。」


 そう言うと、シルネは一歩下がる。村長の顔色がますます悪くなった。自分の娘を甘やかしすぎたことを今さらながら後悔する。


「何か言ったか? 何も聞こえなかった。」


 フォーリが鉄壁の無表情で言う。


「ヴァドサ、聞こえたか?」

「いいや。聞こえなかったな。」


 シークにも聞こえなかったと言われ、シルネは唇を尖らせた。父である村長は聞こえなかったことにしてくれた温情に気づいたが、シルネは気づきもしない。そんなシルネをエルナがこづいた。そっと、もう一回言えと合図を送る。だって、と口の中で呟いたシルネだったが、仕方なくもう一回謝ることにした。


「……えっと、だから、ごめん。」


 フォーリもシークも何も言わなかったが、ジリナが雷を落とした。


「この馬鹿娘! 目上の人に対して、敬語を使わない馬鹿があるか! ごめんなさい、だろうが! たかだか田舎村の村長の娘が、一番偉いなんて思ってるんじゃないよ!」


「だって、おばさん、ひどい! あたしはずっと村の中で何でも許してもらえたもん! ここだって村の中じゃない! なんでダメなのよ! 父さんだって言ってた! 村の中にいる限り、王子さまだって何もできないって! 本当に王子さまかどうかだって怪しいって言ってたじゃない! 王子さまだっていう証拠がどこにあるっていうのよ!」


「シルネ!! 黙れ! 馬鹿なことを言うんじゃない! 申し訳ありません!」


 慌てた村長がシルネに怒鳴ってからフォーリに頭を下げるが、シルネはますます叫んだ。


「何よ、父さんだって、自分が村の中で一番偉いんだって言ってたくせに! 本物の王子様だったら、なんでこんな田舎にいるのよ! 偽物だからでしょ! 本物だったら王宮にいるはずじゃない! おかしいわよ!」


 シルネ以外は全員、彼女の言い分に呆然としていた。村長だって本当に偽物だとは思っていなかった。


 最初は疑っていたが、そもそも本当に偽物ならば領主から役人が派遣などされないだろうし、親衛隊もやってこないだろう。近場の街のヒーズにいる甥も、本当にセルゲス公が来ていると言い、共に来た親衛隊も本物だと言っていた。だから、本物だと判断していたのだ。ヒーズの国王軍で下働きをしている甥は、一族の中で一番の出世頭で一族内の信頼もあつかった。


「この小娘……。」


 フォーリの全身から黒いきりが出ているのではないかと錯覚するほど、全身から殺気が吹き出した。


「貴様、若様が偽物だと愚弄する気か! 情けをかけてやったのに、無駄だったな!!」


 猛獣のごとく咆哮ほうこうを上げ、素早く鉄扇を抜いて振り上げた手をシークが止めた。


「まあまあ、フォーリ、落ち着け。」


 そう言いながらフォーリの肩をぽんぽんと叩く。


「私は馬ではない! 馬鹿にするな! 馬をなだめるように宥めるな!」


 相当頭にきているらしく、フォーリの口数が多かった。


「もちろん、お前は馬じゃない。お前は誇り高きニピ族だ。だから、こうして宥めてる。」


 フォーリの腕をがっちり抑えながら、シークは答える。


「私はお前の部下ではない!」

「ああ、もちろん、分かってる。分かってるから、な、腕を下ろせ。お前の鉄扇は、こんな田舎の子を殺すためにあるわけじゃない。そうだろう?」


 ぐっ、とフォーリが答えに詰まる。シークはフォーリを宥めながら笑い出した。


「貴様、馬鹿にしているのか!」


 フォーリは溢れる殺気をシークにぶつける。だが、シークは気にした様子もなく答えた。


「まさか、違う。そうではなくて思いだしてな。フォーリ、世の中には、自分が住んでいた街の名前を知らない奴だっているんだぞ?」

「……。」


「街だと言えば、それで通用する所に住んでいたからな。自分の故郷に帰る道も分からなかったり、訓練を受けている街の名前が首府のサプリュだと分かっていなかった。この子はまだ子供だ。これから、広い世界を知っていく。だから、この鉄扇を下ろせ。」


 フォーリはギンッとシークを睨む。


「子供? 十五、六にもなってこの程度も分からないのか? 言い訳は通用せんぞ!」


「そうだな、フォーリ。大方の子は十五、六にもなれば分別があるものだ。だが、ちやほやされれば分別を持てないまま育ってしまう。

 軍に入隊してくる新兵でも、特に田舎の村や街で一番だと思っていたような奴に限って、ふんぞりかえっている。井の中の蛙大海を知らずっていうやつだ。だから、軍ではそういう奴の性根をたたき直すために、圧倒的な強さを示して、その鼻っ柱を折る。

 ここでは我々よりも適任者がいる。ジリナさんに任せよう。」


「……。」


 フォーリが大きなため息をついて、ようやく腕を下ろした。ジリナも村長もエルナも、一見目立たないシークが、どうして隊長なのか見えた気がした。


「小娘。今日はヴァドサに助けられたな。だが、覚えておけ。貴様が今度何かしたら、今度こそ殺すからな。それと、ヴァドサに言われたことを理解しているんだろうな? もし、貴様が男だったら軍隊式で根性をたたき直されたということだ。」


 フォーリはそれだけ言うと、もう一度、村長親子を睨み据えてから部屋を出て行った。


「シルネ。お前はさっき、若様――セルゲス公が王子である証拠はあるのかと聞いたな。」


 シークがフォーリが行った後に口を開いた。


「……。」


 シルネは何か言おうとしたものの、結局、口を閉ざした。さっきは負け惜しみもあって、勢いで言った部分もある。


「殿下が王子でなければ、誰も殺しに来ない。お前も最初の頃に、毒味役の女性が亡くなったことは覚えているだろう。もし、殿下が偽物ならば、毒味役の女性は今も生きていたはずだ。」

「……。」


 さすがのシルネも何も言えなかった。王子でなければ誰も殺しに来ない。そんな答えが出て来るとは思わなかったからだった。


「後はジリナさん、よろしく頼みます。それと、村長、あなたを部下に送らせます。」

「…へ? あ、いえ、いりません、一人で帰れますから、大丈夫です。ご心配なく。」


 慌てて村長は断りを入れる。


「そうではありません。念のため、あなたの家を調べさせてください。そのために部下を同行させます。嫌かもしれませんが、娘の命を助けるためと思ってお願いします。」


 丁寧に、しかし、きっぱりと言われて村長は頷いた。


「は、はい。分かりました。」


 こうして村長は家路についたのだった。

 もちろん、今後どんなに村人に聞かれても『落石事故』だったと言い続けたのは、言うまでもない。

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