第96話

「そうですか、分かりました。」

 シークが何か言いかけたが、それに被せるようにしてジリナが口を開いた。

「お食事を運びます。それはそうと、折り合いが悪いんですね、ご領主様とは。」

「…ええ、まあ、いろいろとありまして。」

 ベリー医師は脈診や何かをしている様子だったが、盆の上の薬をシークに渡した。

「ありがとうございます。」

 シークは薬の入った器を受け取ると、意を決したように見つめてから一気に飲み干した。拳を口元に当てて物凄ものすごく顔をしかめている。セリナもその気持ちはよく分かった。ベリー医師の薬はよく効くが猛烈もうれつにまずい。

「口直しの水はいりますか?」

 ジリナが小机の上の水差しの水を注ごうとした。

「いえ、だめです。今、水を飲むと胃の中で薄まってしまう。」

「蜂蜜やなんかもだめなんですか?」

「ええ。効能が変わったら嫌なので。」

「……ですが、気の毒なほどまずそうですよ?」

 なんでも『自分でやりな』と言うジリナが珍しく親切なことを言っている。セリナを助けてくれた恩人だからだろうか。確かにセリナの方が薬を運んだりした方がよさそうだ。セリナを助けるためにけがをしたのだから。

「大丈夫です。慣れています。」

 シークがどこか涙声でジリナに言った。

「慣れてる割には辛そうですな。まあ、私の薬がまずいのは分かっています。自分でも味見したら舌が痺れそうでした。よくこんなもの、全部飲んでるなって感心しますよ。ははは。」

(え!? なんですって!)

 セリナは思わず身を乗り出しかけた。

「先生、自分でもまずいんですか?」

 シークが思わず聞き返している。そりゃあ、そうでしょうね。自分でもまずいと思うものを人に飲ませているのだから。セリナもシークに大いに賛同した。

「そりゃ、まずいに決まってるでしょう。これがおいしいと思ったら、味覚が変です。調べないといけないですよ。」

 ベリー医師は、妙に当然だと胸を張って答えている。

(なんか…違う気がする。)

「…はは、まあ、そうですね。」

 シークも苦笑するしかない。

「はい、じゃあ、次は傷の治療です。布団に座ったまま背中をこっちに向けて、寝間着を脱いでください。」

 シークはこちらに背中を向けて寝間着の帯を解き始めた。だが、ふと途中で動きを止め、寝ているために緩く結んでいて乱れている髪を結び直し、手前にひょいと垂らした。いつもの馬のしっぽの髪型でないのが見慣れない上に、その動きが妙に色っぽかった。

 パルゼ出身者達の村では、男性が髪を伸ばす習慣はないので、男の人の長い髪も最初は見慣れなかった。

 そもそも、村人以外の大人の男性の上半身の裸なんて見たことがない。村人の上半身裸なんて何とも思わない。しかし、親衛隊員達はちょっと違う。今だって、びしっといつも着ている制服を脱いでいて目新しかった。

 それに、以前、モなんとかが、シークが隣の美人領主に言い寄られた上に権力でモノにされて、そういう関係になったとかならなかったとか聞かされていたので、急に心臓がドキドキしてきた。

(ちょ、ちょっと待って! まだ、心の準備が…!)

 だが、セリナが心の準備をする前に、シークは寝間着をすとんと脱いだ。寝間着が布団の上にぱさっと落ち……、包帯が現れた。

「……。」

 セリナはこっそり息を吐いた。包帯を見た途端、セリナの目が覚めて気持ちも冷めた。

(当たり前よね、けがの治療で脱いでいるんだから。わたしったら、何を考えているのよ。)

 さすがに恥ずかしい。一人でも恥ずかしかった。

「ジリナさん、包帯を巻き取っていってください。」

 ベリー医師はジリナに言いつけると、どうやら先に持ってきていたらしい薬箱を開けて傷薬を取り出した。さっきもコトコト音を立てていたのは、薬箱を開け閉めしていたからのようだ。ジリナの向きが包帯を巻き取るために少し横向きになる。普段なら見つかると警戒するが、ジリナがどんな顔をしているのか、見てやろうとセリナはじっと観察を続けた。

「こんなことまで、申し訳ありません。」

 その時、シークが謝罪すると、ジリナは見たことがないほどにこやかに首を振った。

「いいえ、いいんですよ、これくらい。なんてことありません。」

 セリナは思わず身を震わせた。全身に鳥肌が立った。ぞぞぞっとして、無意識のうちに両腕をなでさする。ジリナが妙に優しく猫なで声を出している。

(……も、もしかして、隊長さんって、母さんの好みなの!?)

 そこまで考えてセリナは、はっとした。シェリア・ノンプディといい、ジリナといい、シークより年上の女性だ。もしかしたら、彼は年上の女性に好まれる傾向にあるのかもしれない。地味なのがいいのかもしれない。

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