第97話
「背中の布を取りますよ。」
何やら準備していたベリー医師は、道具を使って薬や血で染まっていると思われる布を持ち上げ、
「……これは、一体。」
「おや、さすがのジリナさんでも驚きましたか。」
ベリー医師はどこか、からかうような口調だ。
(ちょっと母さん、よけてよ、見えないじゃない。)
自分の方が盗み聞きして盗み見ている立場なのだが、心の中でセリナは思った。いつもだったら、こんなに強く思うとジリナの勘が働いて気づかれてしまうのだが、今日はジリナが目の前の傷に目を奪われているせいか、気づかれなかった。
(危ない、あぶない。強く思いすぎた。)
セリナは自分でも、危なかったとそっと深呼吸する。
「……ベリー先生。それから、ヴァドサ隊長。これは驚きますよ。どうこう詮索するつもりなんてありません。ですが、これは…、背中が傷だらけではないですか。正確に言ったら傷跡ですけど、見れば分かります。最近治ったばかりだと。大変なけがです。」
「そうですね。半年ほど前のことですから。最近治ったところなんですよ。」
ベリー医師が平然と答える。
(…え!? 最近、治ったって?)
「ちょっと、その布を取ってもらえませんか?」
ベリー医師の指示に従い、何かまだ言いたげなジリナは布を取りに動いた。それで、シークの背中がようやくセリナにも見えた。
「!」
セリナは危うく声を出すところだった。ジリナが言うとおり、背中が傷跡だらけだ。一体、何の傷跡だろう。矢傷の赤黒くなっている三カ所の傷が可愛く思えるほどだ。その傷跡は濃い桃色をしていて、最近治癒したのだと分かる。
何か長いもので叩かれたのだろうか。妙な傷が背中じゅうにある。その上、よく見れば左側の方には何かが突き刺さって引き裂かれたような傷跡があった。
「助かります。」
ベリー医師はジリナから布を受け取った。
「ところで、ジリナさん、この傷跡が何か分かりますか?」
ベリー医師は淡々とジリナに聞く。
「……分かります。」
珍しくジリナが
「これらの傷跡は、鞭打ちの刑の傷跡です。若い頃に見たことがあるので分かります。ですが、親衛隊の隊長が受ける刑ではありません……! 一体誰が、こんなことを。」
ジリナがずいぶん、興奮している。そのこと事態が珍しい。母はよく大声を出すが、興奮しているのとは違う。どこか冷静な部分がある。だが、今は感情の方が先走っているようだ。
「ジリナさん。」
今まで黙っていたシークが口を開いた。
「仰るとおり、私は親衛隊の隊長です。このようなことがお出来になるのは、お一人しかいらっしゃいません。」
「!」
誰のことを指すのか、セリナにも分かった。当然、ジリナもその言葉で分かっていた。
「……国王様ですか? しかし……、前代未聞ではありませんか? 一体、何の罪で? ヴァドサ殿がそんな重罪を犯すようには思えません。」
よほどのことなのだろうか、ジリナが珍しく声も震わせて心底驚いている。
「ジリナさんが思うとおりですよ。この人に言わせたら、陛下が仰るとおり罪があると言ってしまうでしょうけれど、早い話、あの時点で罪を犯した者を罰することができなかったから、代わりに適当な人物としてヴァドサ殿が選ばれて、鞭打たれたと思えばいいでしょう。」
横からベリー医師が説明する。
「……ベリー先生、ちょっとそれは……。」
シークが苦笑している。
「……なるほど。分かりましたよ、なんとなく。あの頃、確か、お隣のノンプディ家のお屋敷には若様の他に八大貴族の半分がいました。ヴァドサ殿を鞭打って、本当に心を痛めるのは、このお二人。若様と、そして、ノンプディ家のご当主。ノンプディ家のご当主がヴァドサ殿に
シークがぎょっとしたように、ジリナを振り返った。
「さすがですね。よくご存じだ。新聞を買っているんですか? 買うとけっこう馬鹿にならないでしょう、代金が。」
ベリー医師の問いにジリナは答える。
「ええ、新聞を商人が来た時に買っているんですが、田舎で情報が遅いでしょう。まとめて半額以下で売っているんですよ。わたしは三社の新聞を買っているんですが、ほとんどただで貰う代わりに、蜂蜜を割安で商人に下ろすんです。商人はそれを街に行って高値で売ります。」
以前、セリナがお使いに行って、商人に拝み倒されて蜂蜜を安くで売ってしまった時、ジリナは怒ってセリナを連れて戻り、商人にいつもよりも高値で蜂蜜を買わせたことがある。
ジリナは商人達に、いつでも商人に転身できると太鼓判を押されていた。
「ああ、なるほど、さすがの手並みですな。それで、ジリナさんの読みの続きを話してください。」
「おそらくノンプディ様は、ヴァドサ殿に本気だったのでしょう。だから、見せしめに鞭打った。それに、若様に対してもこういう警告だったはず。ヴァドサ殿は優しいお方のようですから、慕ってはならないと。親衛隊の隊長と必要以上に親しくするな、という警告だったかと。」
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