第43話
セリナが何か言葉を返す前に、ジリナが毒味役の二人を連れてきた。母の前でおしゃべりをしている訳にもいかず、セリナは黙って使った皿なんかを洗い始めた。重曹や石鹸は支給されているので、それで綺麗に洗う。ひどい油汚れには酢も使っている。
ジリナが戻っていき、若様が毒味役のテルクとラオの二人と話し始めた。二人はあれ以来、可哀想な王子様の前では、決して毒味が嫌だという素振りを見せない。若様は二人に川釣りのコツについて聞いている。しかし、残念ながら二人とも釣りは苦手だと答えていた。
一国の王子が自分で食料を
それにしても、フォーリは働き者だ。疲れないのだろうか。
「なんだ、何か用か?」
思わずフォーリを見つめていたため、セリナは慌てて首を振った。
「い、いえ、なんでもありません。ただ、そんなに休み無しに働いて疲れないのかなって思っただけです。」
「疲れる? 私がか?」
意外そうにフォーリに聞き返されて、セリナは力強く頷いた。
「そうです。だって、わたしが見ている限り、ずっと働いているので。きっと、すっごい疲れるだろうなーって思ったので。」
すると、フォーリは微妙に眉根を寄せてきっぱりと答えた。
「いいや、なんともない。心配無用だ。それよりもその皿を早く洗え。」
「は、はい。」
どうやらフォーリの気に触ったと感じ、セリナはそそくさと作業を再開する。すると、フォーリは使い終わった木べらを持ってくると、セリナの耳元で
「若様の前でそういうことを言うな。気になさるだろうが。」
はっきり言って、フォーリに近づかれると非常に恐い。しかし、注意された内容に、はっとして無神経なことを言ってしまった恥ずかしさで、耳まで真っ赤になった。
「す、すみません。」
「ちゃんと洗え。この間、洗い残しがあった。」
フォーリの指摘に思わずむっとする。
(く、細かい奴め。)
フォーリの後ろ姿を
「何か言ったか? 私を睨んでいる暇があったら、手を動かせ。」
思わず頬の筋肉が引きつった。
(後ろにも目があるわけ! ほんっと嫌味な奴ね!)
セリナは深呼吸をすると、作業を再開した。すると、後ろから声が聞こえてくる。
「だめです、若様。今は黙って知らないふりをしているのが一番です。」
「今のは喧嘩でも何でもありませんから、仲裁する必要はありません。口を挟むと余計にややこしくなりますよ。」
「そうなの。でも、大丈夫なのかな。」
「大丈夫です。知らないふりも時には重要なことです。」
ひそひそと余計な小声が後ろから聞こえてきて、余計に腹が立った。後ろを睨みつけたい
(ここは我慢よ、セリナ、我慢、我慢。)
自分に言い聞かせて深呼吸をして心を落ち着かせる。仕方なく、ふんっと鼻息も荒くセリナはごしごしと皿を洗う。
「力を入れすぎて食器に傷をつけるんじゃないぞ。」
思わず何よ、と怒鳴りつけたくなる衝動を抑える。
(あああ! 腹が立つ! 小姑かなんか、あんたは!)
セリナが腹を立てながら食器に目を落とすと、すでに傷がついていた。しかも、ごまかすには大きすぎる傷だ。
(! 嘘でしょ! えーん、どうしてよ! こういう時に限って……!)
指でこすってみても、当然、消えるわけがない。それでもあきらめきれずにこすってみる。泣きそうになってこすりながら、どう言い訳するか考えてみた。
(えーと、もう、すでについていました、とか。若様のせいにしちゃうとか。)
我ながら若様のせいにするとは卑怯だと思うが、背に腹は代えられない。セリナが言い訳をどうするか必死になって考えていると、上から声が降ってきた。
「やはり傷を付けたか。あの勢いだとつくと思った。それで、どう言い訳するつもりだ? まさか、若様のせいにするつもりじゃないだろうな?」
心臓がドキィッとするどころの話では無かった。
「ひぇぇぁぁぁっ!」
突然声がした
あっと思った時には遅かった。皿は見事にフォーリの顔面に当たり落ちて割れた。フォーリの鼻からすーっと一筋、鼻血が垂れる。
誰も何とも言えない、妙な空気と緊張感にその場が満ちた。どうしようと焦って固まるセリナ、ルムガ大陸一の武術を持つという、ニピ族のフォーリの顔面に皿が命中した事実に、目を丸くしながら今後どうなるのか緊張を隠せない毒味役のラオとテルクの二人、純粋にフォーリの鼻血にびっくりしている若様。
そのフォーリは両手に持っていた皿を置くと、黙って指で鼻血を拭う。
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