第44話

「フォーリ、大丈夫? はい、これ。」

 一番最初に驚愕きょうがくから立ち直ったのは若様で、服の内ポケットから懐紙を取り出して渡した。

「ありがとうございます、若様。」

「な、なんでけなかったんですか……!? まさか、当たるなんて、ごめんなさい!」

 ようやく声を出せたセリナが謝ると、紙をちぎって鼻を押さえたフォーリが振り返った。

「避ければ、この吊り戸棚の角に皿が当たって割れ、若様のお食事に破片が入る。」

 静かに淡々と返された答えにセリナは呆然とした。まさか、一瞬のうちにそこまで考えて、わざと当たったとは思わなかったのだ。

「フォーリ、だからって手で覆うこともしないなんて! 私の食事より、フォーリが怪我する方が嫌だよ!」

 若様がフォーリに詰め寄った。心配そうにしながらも、ちょっと怒って目を見開いている。フォーリは困ったように若様に笑いかけた。若様にだけは常に優しい。

「申し訳ありません、若様。でも、大丈夫です。鼻血が流れただけですし、手がはなせなかっただけですから。」

 そんな状況を固まったまま眺めていたセリナだったが、突然はっとして動き出した。こんな所を母のジリナに見られたら大変である。早く証拠隠滅しょうこいんめつしなくては……。慌ててほうきとちりとりを持ってきて破片を集め始めた。フォーリを始め一同はそんなセリナの様子をうかがう。

 その時、廊下を歩く静かな足音をフォーリは感じ取った。慌てているセリナは気づいていない。そして、セリナが異様に慌てている理由も察した。継母のジリナにきつく叱られるからだ。やがて、フォーリが思った通り、ジリナが姿を現した。じっと部屋の中を眺めて、状況を察したようにため息をついた。

「あーあ、皿を割ったのかい、セリナ?」

 必死になって皿の破片を箒でかき集めていたセリナは、ジリナの声でぎくりと身が固まって中腰のまま箒を握りしめた。

「なんか、騒ぐ声がしてね。ちょっと目を離すとこれだ、まったく。どうしてくれるんだい? もしかして、これはうちで弁償しろと、フォーリさん?」

 セリナはまだ中腰のままだ。話を振られたフォーリはセリナを見やり、それから兵士二人を見やった。そして、二人にのたまう。

「いや、ドンカとヒルメ、お前達、二人が割ったことにしろ。」

 誰もが一瞬、意味を図りかねて顔を見合わせる。ただ一人、ジリナは顔色も変えずに黙って立っている。そして、意味を理解した途端、ラオとテルクが異議を申し立てた。

「え、ちょ、ちょっと待って下さい! なんで私達が割ったことになるんですか!?」

「そうですよ、割ったのはその子なのに……!」

 だが、異議を申し立てられたフォーリは淡々と返した。

「理由は簡単だ。農家の家計では、この皿の弁償などできない。だから、国王軍の兵士で、しかも親衛隊である二人が割ったことにすれば、領主のベブフフ家も文句を言わないからだ。仮に言ってきたとしても国王陛下の部隊だ。いかようにも言い訳ができる。後で、ヴァドサには言っておいてやる。」

 言っておいてやるも何も、言って貰わなくては困るラオとテルクであった。隊長が怒れば怖いのである。自分達が説明しなくていい分、ほっとしていた二人だった。

「あぁ、なるほど、さすがですね。」

 ジリナの声がひびき渡った。

「助かりました。ありがとうございます。」

 そう言って頭を下げると、ジロリとセリナをにらみつける。

「こら、あんたはいつまでそんな姿勢でいるんだい!」

「ひっ!」

 ジリナに発破をかけられて、セリナは箒をぱたんと取り落としたが、ようやく中腰から解放されて姿勢が伸びる。さすがに腰が痛くなっていた。

「ちゃんとお礼を言っておくんだよ。」

 腰をさすっているセリナに言うと、背中を向けて独り言のように、しかし、セリナにもはっきり聞こえるように言いながら立ち去った。

「舶来物の高価な皿だから、そんな物の弁償なんて、三世代ってもできないからね。」

 “三世代経ってもできないからね”繰り返し頭の中でジリナの声がひびき渡り、セリナの顔から血の気が失せて真っ青になった。

(……!!)

 雷でも頭の上に落ちたかというような衝撃しょうげきで座り込み、立ち上がることが出来ない。

(三世代経ってもできないって……! なんてことよ! なんで、そんな高級な皿を調理の下準備の肉団子をこねたり、麺生地こねたりパン生地こねたりする用に使ってんのよ! もっと安い、乱雑に扱っていい皿があるはずでしょ! 皿が無くてもこね鉢とか!!)

 セリナだって完全に自分が悪いと分かっていたのだが、今度は無性に腹が立ってきて心の中で悪態をついた。

「なぜなら、ここには高級な皿しかないし、何より大きさがちょうど良かったからだ。」

 心の中で言ったはずの言葉にフォーリの返事が返ってきて、セリナはガバッと半泣きで顔を上げた。心臓が止まりそうなほどおどろきすぎて、言葉が出ない。

「だから、これからはもっとよく注意して扱え。」

 鼻につっぺしたフォーリに言われ、普段だったらきっと、こっそり笑うだろうが今は絶対に笑えなかった。笑ったら今日で一生涯を終えるような気がしてならない。

(…つまり、殺される!)

 おびえているセリナに若様が首をかしげて話しかける。

「セリナ、さっきの言葉、全部口に出てたよ? もしかして、心の中で言ったつもりだったの?」

 若様に指摘され、セリナはとうとう膝に顔をうずめて泣き出した。

「…セリナ、泣くことなの?」

 若様の声は不思議そうだ。

「だって、わたし、きっとクビになるし……! 自分で自分が嫌になるっていうか…!」

 すると、若様が笑い出した。

「…ふん、なんですか、笑ったりして! わたしは笑い事じゃ無いのに!」

「ごめんね、でも、フォーリはクビって言ってないよ。」

「……へ?」

 鼻につっぺしたフォーリに何か言われたが、全然頭に入っていなかった。思わず顔を上げた。

「ほ、ほんとですか?」

 フォーリを見る勇気がなくてラオとテルクを見上げると、二人は神妙な顔でうなずいた。

「顔を上げたり、うつむいたり忙しいね。」

 若様が言っているが無視する。

「もっと注意して皿を扱うように、と言ったんだ。」

 テルクが言い、ラオがうんうんと頷く。セリナはそれを見て脱力し、やっぱり膝に顔を埋めて泣き出した。

「やっぱり、泣くの?」

 若様の声がおどろきに満ちる。何か新しい物を発見したかのように言わないで欲しい。

「だって! 後で母さんにこっぴど叱られるもん!」

 それを聞いた途端、若様だけでなくフォーリや兵士の二人も含めて全員が吹き出して笑い出した。

「ひどい! 母さんの怖さを知らないから、笑えるんだから!」

 セリナの声はむなしく響いた。その後、しばらく笑い声が続いたのだった。

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