第42話

 セリナは相づちを打ちながら、野宿した山がそのサリカタ山脈なのではないかと気がついた。

「もしかして、野宿した山がそのサリカタ山脈なんですか?」

「うん。刺客が追いかけてくるから、そこに逃げたんだ。まだ、ヴァドサ隊長達が来る前のことだったから、危なかったんだ。フォーリが熊をやっつけて、山のふもとに住んでる猟師に売ったんだ。肉は少し食べたけど。そしたら、熊って肉や毛皮だけでなく、内蔵の一部も薬になるから貴重なんだって。」

(く、熊肉……。食べたんだ……。)

 セリナは内心、引きつりつつおどろいた。あんまり食べようとは思わない。王子様なのに猟師みたいな暮らしである。

「ど、どうやって熊を麓まで運んだんですか? 結構、大きかったんじゃ?」

 セリナは肉の味より、大きさの方に話題を向けた。

「そりで引いたんだ。フォーリが引いて、私は後ろから押した。まだ、残雪があったからね。」

「まだ、山に雪があったってことですか?」

 この辺では雪が降っても間もなく溶けて消えてしまう。ずっと積もっているということの方が不思議だった。

「うん。フォーリが言うには、冬眠から目覚めたばかりの熊だったんだろうって。」

「そりがあって良かったですね。」

「フォーリが簡単なそりを作ったんだよ。のこぎりで板を作れなかったから、わざと細めの木を切り倒して、枝を落として長さを合わせて縄でつないだんだ。」

 なんて器用な人だろう。この人といれば、どんな所でも生きていけそうだ。

「野宿って二ヶ月くらいしたと言ってましたよね? その雪が残る高い山にですか?」

「うん。フォーリもいたから風邪を引かなくて済んだし。少しだけしもやけはできたけど、ひどくはならなかった。あ、それから森の子族にも助けて貰ったよ。」

 森の子族とは大昔から森に暮らしている民のことだ。

 若様は黙って調理の仕上げを確認し、皿の準備などを始めたフォーリを振り返った。セリナはその隙に扉を閉める。雪は綺麗だが、かなり底冷えして寒いし冷える。

「ねえ、フォーリ、結局、どれくらい山にいたのかなあ?」

「五ヶ月です。秋も深まり雪が降り始めたので下山しました。」

 フォーリは作業の手を休めることなく、すぐに明確な答えが返ってくる。

「大変だったですね。」

 セリナは両手にはぁっと息を吹きかけて温めながら相づちを打つ。

「…うん、でも、私は楽しかった。」

 若様はセリナを振り返ってにっこりした。

「だって、命の危険を感じなくてすんだから。体はきついこともあったけど、心は苦しくなかったんだ。」

 命の危険を感じなかったことについて、どう答えればいいのだろうと思う。命を狙われたことがないセリナには、きっと若様の気持ちは分からない。

「…苦しかったんですね。」

 とりあえず、そう答えた。

「本当は……今でも苦しいことはあるよ。でも、最近はそうでもない。ここに来てから友達ができたし。」

「……友達?」

 思わず首を傾げたが、セリナは嬉しいような嬉しくないような予感がした。

「君だよ。だって、君はもう友達でしょ?」

「わたしなんかが友達でいいんですか?」

 セリナが思わず尋ねると、若様は意外そうに目をしばたたかせた。

「どういう意味?」

 若様は小首をかしげてきょとんとしている。本気で意味が分からないのだ。若様は王子だと思っているセリナにしてみれば、その疑問の方が疑問だった。

「え、ほら、だって、わたし、ただの農家の娘ですよ? 田舎の村娘の一人に過ぎません。田舎っていうか、さらにど田舎っていうか。それに、サリカタ王国の民からしても、わたし達はパルゼ王国からの移民が暮らしているって思われていますよ。完全なサリカタ王国の民じゃないっていうか。二流国民みたいな感じじゃないですか。」

 セリナの言い訳の間に、若様の表情が曇っていく。

「……二流国民って? それに、どうして田舎の村娘だって自分で馬鹿にしているの? なぜ、君は自分のことを卑下するの?」

 そうだった。若様は意外な所で鋭い。セリナは自分でも無意識のうちに、田舎の村娘であることを卑下していたし、移民の村に住んでいるという劣等感も持っていた。その上、村の中ではセリナは最も下層の拾われっ子なのだ。それらが無意識のうちに全面的に出てしまっていた。

「だって、身分が違いますよ?」

「身分が違ったら友達にはなれないの? そんなのおかしいよ。大体、サリカタ王国の王族は森の子族とも兄弟なんだ。言ってる意味分かる? 森の子族は正確に言ったら、この国の戸籍を持ってない。だから、国民じゃないと言いだしたら、そうとも言えるかもしれない。でも、この国に昔から住んでていて兄弟族だから、大切にされてる。身分が違うって言うなら全然違うよ。だけど、元は兄弟族だから友達だ。向こうもそのように扱ってくれるし、私達もそのように扱う。」

 セリナも若様の言いたいことが分かった。つまり……セリナは森の子族と同じ扱いなのだ。彼らと同じように友達……でいようと。リカンナに指摘されて、恋心を自覚したセリナには正直、少し辛かった。

「分かりました。でも、現実には身分の差ってありますよ?」

 セリナは恋の辛さは押し込めて、念のためそう答える。

「それは知ってるよ。でも、ここにいる時まで厳格にしなくていいんじゃないかな。」

 若様は真摯しんしにセリナを見つめた。彼の顔を見ていると、どっちが本当の若様なんだろうと思う。普段のおっとりして世間ずれしていて幼い所もある若様と、こんな風に鋭さを持った考え方をしてみせる若様と、どっちが本当の若様なんだろうと思う。

 こういう所は想像以上に大人だ。セリナが考えたこともないような考え方をする。そして、理性的でもある。でも、意外な所で何も知らなかったりもして、そこにもびっくりしてしまう。

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