第36話

「……フォーリに迷惑をかける。」

「フォーリは若様の護衛です。そのようなことは気になさらなくていいのです。もし、フォーリが今のお言葉を聞いたら、フォーリは生きていられません。」

 若様はうつむいたまま震えていた。拳をぎゅっと握り、シークとベイルを勢いよく振り返った。

「…他の人には分からない! 私は姉上が戦地に行った時と同じ年になった! 本来なら私が行くべき場所に姉上が赴き、私は公に剣を握ることすら許されない! 私は何の役にも立たないし、役に立とうとしてはいけない! この気持ちが、この気持ちが分かるもんか!」

 珍しく若様が荒れて、かんしゃくを起こして怒鳴った。入ってすぐの衝立の影に隠れていたセリナは、若様の怒鳴り声を聞いて鳥肌が立った。なんにも取り繕っていない、若様の本当の気持ちと態度にびっくりする。いつも一緒にいるフォーリに対してでさえ、若様がこんなことを言うとは思えなかった。

 なぜか親衛隊の二人…矢面に立っているのは隊長のシークの方だったが、彼らに対してこんなに感情をき出しにしていることにおどろいていた。若様を見かける時、いつも穏やかだ。大声を上げている所すら見たことがなかったのに、今は肩で息をしながら怒鳴りつけている。

「二人は剣を握って、これからも強くなれる。人の役にも立てる。私なんかの護衛をやめれば、もっと出世できるはずなんだから、そうすればいい! こんな出来損ないの王子の護衛なんてしてないで、さっさと不便な所から出て行けばいいんだ! そしたら、親衛隊が水くみなんて雑用もしなくて済む! でも、私はただ毎日、いつ殺されるのか、叔父上の気持ち一つの決定がいつ来るのか、毎日毎日、人形のようにそれだけを待たされる生活なんだ!」

 若様の言葉は剣のように鋭かった。本当のことだったから。衝立の隙間から見ると、シークとベイルの二人の顔が強ばって、辛そうに若様を見つめている。

 大人でも傷つくんだ、その時、人なら当たり前のことなのに、セリナは初めて実感した。二人が明らかに若様の言葉で傷ついたのが分かった。若様が言ったことの中に、言ってはいけない言葉があったのはセリナにも分かった。

「それなのに、姉上には弟が殺されたくなかったら、戦に勝てといわれる…! きっと、私が死んでも、姉上にはそれを隠して戦わせるおつもりだ!」

 シークとベイルの顔色がさっと変わった。血の気が失せて、どこか泣きそうな表情に見えた。

「若様、私達の前でそれ以上、言ってはなりません…!」

「どうか、気をお鎮め下さい、お願いします!」

 二人が必死になっているのは、王様を批判する言葉だからだろう。きっと若様の立場が悪くなるに違いない。しかも、母のジリナによると、親衛隊は王様が王族に“貸与”している形になっているので、王に全てを報告する義務があると言っていた。

 必死の二人に対して、若様は鼻でふんと笑った。今までそんな態度を取っているのを見たことがない。人を鼻で笑うなんて、若様らしくない。いつもの彼らしくなかった。若様のことをよく知らないくせに、セリナはそんな思いがわき上がっていた。

 だって、セリナがブローチを拾おうとした時、命の方が大切だと言っていましめてくれたのだ。あの時の彼とは違う。

「そうだな、二人は私の見張りだから、私が叔父上を批判するようなことを言ったら、すぐに処罰しなくてはならないのだろう。殺したかったら殺せばいい。」

 若様はいつになく冷たい声で言い放った。まるで別人だ。昨日の若様とまるで違う。セリナが知っている若様は、王子なのに威張りくさってなかった。それなのに、今の若様は嫌な王子みたいな態度だ。

「…殺したくないから、お願いするのです。」

 隊長であるシークの固い石ころでも飲み込んだような声に、少し若様は沈黙した。

「私とここにいるベイルを始め部下達は、若様をお守りしたく願っております。真逆のことはしたくありません。」

 そう言ってシークは静かに若様を見つめた。若様はその視線に少したじろいだ様子で、目をそらしている。

「私には年の離れた妹がいます。二つしか年齢が違いません。どうして、若様を手にかけられましょうか。」

「……どうして? どうして、殺したくないの? 妹と年齢が近いからって、それだけ?」

 ふいに若様は幼い口調に戻って尋ねた。妹と年齢が近い。それだけでも十分な理由だろうに、さらに若様は彼にもっと理由を求めている。つい今し方の冷たい声とは違い、セリナは戸惑った。まるで、ねた子供が親にかまって欲しいみたいだ。

 セリナはそこで、ふと若様の記憶を垣間見た時のことを思い出した。シークと初めて対面した時の場面があった。フォーリの影からドキドキしながら盗み見ていたのだ。いい人だったらいいなという期待と、恐い人だったらどうしようという不安の入り交じった気持ちが伝わってきた。

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