第37話

 ああ、そうなんだ、とセリナは納得した。若様はシークに対して甘えている。フォーリはお兄さんという感じだ。二人並んでいると兄弟にしか見えない。フォーリには言えないことをシークに対して言うのも、きっと甘えているからだ。親には無条件に自分を認めて貰いたいから。

 家で拾われっ子という立場のセリナにも、若様の気持ちは分かる気がした。自分は特別だと言って欲しいのだ。妹と年齢が近いからという理由だけじゃなくて、無条件に認めて欲しいのだ。

 でも、それは時に家族間でもむずかしいことがあって……。村の家族でも同じ親なのに扱いが違うとか、そんな不満はたくさんある。長男次男との違いとか、本家分家の違いとか、セリナの家でもそうだ。拾われっ子のセリナは基本的に立場は弱い。家での発言権はないに等しい。

 セリナは無性に悲しくなった。血の繋がっていない赤の他人にそれを求めるのは難しい。いい人か悪い人とか、そういう問題ではないことくらい、セリナでも知っていた。村でもそういう話はあるから。個人的にはいい人なのに、家族にきびしい人はいる。

「…ねえ、答えてよ。どうして、殺したくないの? 妹と年が近いって知ってる、前にも言ってた! 答えてよ!」

 黙ってしまったシークに対して若様が声を荒げた。きっと、何て言えばいいのか考えているのだろう。セリナだって困る。そう言われたら、セリナだって何て答えたらいいのか分からない。妹と年齢が近いから親近感を覚える、それだけの理由だってあるだろう。というか、セリナだったらそれしか思い付かない。

「私達も若様のご気性を存じております。とても優しいお方です。常に周りの仕える人の様子に目を配り、気を使われています。私達も存じております。知っています。ですから、たとえ任務でも全うしたくない任務もあるのです。」

 若様は呟くように言った。

「……優しい?」

 少しして乾いた声で笑い出した。それだけで、若様がシークの答えが気に入らなかったのだと分かる。

(じゃあ、なんて言えばよかったのよ!)

 心の中でセリナは少しいらついた。

「叔父上だって、昔は優しかった。」

 若様の温度のない声にセリナはぎょっとした。冷たいという感じすらない声だ。母のジリナに聞いた話を思い出す。叔父の王が若様に罪をなすりつけて幽閉していたという事実。

 その一言には、人は変わるし何より優しかったのに、どうしてそんなことをしたのかという気持ちが凝縮されていた。

「二人は殺したくないかもしれないけれど、私は死んだ方がましだ。その方が、みんな楽になる。私は自分で死ぬから、二人は責任を感じなくていいよ。」

 シーク達だけでなくセリナも息を呑んだ。何か分からないけれど、焦燥感のようなものがわき上がってくる。思わず隠れていた衝立の影から出てしまう。

「私が死ねば、少なくとも姉上は解放される。もう、姉上に迷惑をかけないですむ。姉上に戦わせなくてすむんだ…! 役に立たない人形でいなくてすむ!」

 セリナは若様の手に、護身用の短刀が握られていることに気がつかなかった。

 とにかく、胸が痛かった。胸が痛いのに、無性に腹が立った。昼間、フォーリと話をしなければ、こんなに腹は立たなかったかもしれない。でも、セリナも戦姫様がどんな思いで戦っているか、少しは理解したつもりだ。

 それにフォーリの気持ちも分かったと思う。そして、シークとベイルの辛そうな表情から見ても、そんなことになって欲しくないのは明らかだ。シークに対して甘えているくせに、脅すようなことを言って困らせている。駄々のこね方が普通の子供じゃない。

 だから、今の若様の言葉は許せなかった。みんなの気持ちを無視した言動に対して腹が立った。それに、危機感があった。見過ごしたら、この人は本当に死んでしまうかもしれない、という危機感だ。

 もう、ゆっくり考えているひまはなかった。衝動的にセリナはその場から飛び出すと、シーク達が止める間もなく、若様の頬を平手打ちした。

 若様が目を丸くしてセリナを見つめた。突然、現れたセリナに平手打ちされたのだから当然だろう。でも、セリナは無視してまくし立てた。

「馬鹿じゃない…! 姉が、弟に、死んで貰いたいわけ、ないじゃないの!」

 あまりの怒りに声が震え、言葉が途切れ途切れにしか出て来ない。セリナの人生上、こんな怒り方は初めてだった。怒りと同時に胸も痛い。甥にこんな言葉を言わせる叔父はひどい。死んだ方がましだなんて言わせるなんて。王様はとてもひどい人だ。

 若様が一呼吸分、息を呑んだ。その時、セリナは初めて若様が短刀を握っていることに気がついた。だから、シークとベイルもうかつに近づけなかったのだ。セリナはそれを若様の手からもぎ取ると、離れた床に投げ捨てる。上手いこと、それがシークの前に落ちたので、彼が急いで拾ったのが視界の隅に映った。あまりにも感情が高ぶっていたせいか、今は若様の過去は何も見えなかった。

「こんな物を握ったりして! なんで、お姉さんが、頑張るのか分からないの! 必死になって勝って、自分と弟の命を守っているのに、勝手に死なれたら、たまったもんじゃない! 頑張ったことが、全部無駄になるじゃない!」

 セリナは目を丸くしたままの若様に怒鳴りつけた。

「わたしだって妹がいて、喧嘩もするけど、死んで欲しいなんて思ったこと、一度もないよ! なんで分からないのよ!」

 すると、若様は唇を震わせて言い返した。

「……セリナは、セリナは分からないんだよ! 私のことを何にも知らないくせに! 役に立たないことがどんなに辛いことか! もう、姉上に迷惑をかけたくないんだ! もう、もう姉上に迷惑をかけたくない! 命がけで戦場に出て貰いたくない! それに、セリナには関係ないんだから、出てってよ!」

 セリナは頭にカチンときた。関係ない、と言われて無性に腹が立ったのだ。

「うるさい、黙れ! 何が関係ないよ! もう、関係あるのよ! なくてもあるのよ!」

 セリナは若様が王子だということを忘れてにらみつけ、よく分からない言い分で黙らせた。

「何が迷惑をかけたくない、よ! それは、分かるけどね、でも、本当に馬鹿ね、あんたは! 迷惑だって思わないから、弟を守りたいんでしょうが!」

「分かってないのは、セリナだよ! 姉上の役に立ちたいんだ! それには方法は一つしかない!」

 けっこう若様って頑固者なんだ、と思う。セリナの額に青筋が浮かんだ。一歳下だと判明したので、完全に弟の気分だ。

「あのねえ、あんた、本当に馬鹿よ! 弟が死んで喜ぶ姉がどこにいる! 馬鹿なことを言ってると、もう一回、叩くわよ!」

 セリナの形相にひるんだ若様に近づくと胸ぐらをつかんだ。

「分かんないの! 生きてるだけでいいの! それで、いいんだってっば!」

 若様が息を呑んだ。黒い双眸そうぼうが揺らぐ。

「生きてる…だけで?」

「そうよ!」

 鼻息も荒くセリナは答える。

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