第38話

 それ以外になにがあるだろう。少し落ち着いたセリナは、若様の胸ぐらから手を離した。左手を腰に当て、右手でびしっと若様を指さし更に止めとばかりに続けた。

「大体ねぇ、勝手に死なれたらわたしだって嫌よ! 昨日、あんなに必死になって助けたのに、命賭けたのに損するじゃないの! 本当に心配したんだからね! 昨日のあの状態でいなくなるって言ったら、拉致しかないじゃない! そんなことくらい、わたしとリカンナだって分かってる!」

 今度は黙りこくってセリナを見つめる若様に、更に追い打ちをかける。

「何者かが若様を拉致して、あの崖に突き落としたか何かしか考えられないから、崖のとこにいたら、完全に誰か悪い奴がいるって、わたし達だって分かってる! それなのに、あんな嘘ついちゃって! 心配かけまいとしたんでしょうけど、分かってんだから! せっかく助けたのに、勝手に死なないでよ! それに、フォーリさんやこの人達だって、かわいそうだよ! 昨日だって必死になって探してたんだよ!」

 昨日のことを思い出したら止まらなくなった。一気にまくしたてた。

 すると、呆然とセリナを見つめていた若様の両目に涙が盛り上がった。それを見たセリナは、今頃になってはっとした。

 後ろから親衛隊のシーク達ににらまれている気がする。

「…あ、えーと、その若様。えーと。」

 怒りが冷め、頭に上っていた血が下がると、自分の犯した失態にセリナは慌てた。

「セリナ、ちょっといいか。」

 後ろからシークがとんとんとセリナの肩を叩く。怒られる、と思わずびくっと身すくませた時、若様が声を上げた。

「…ま、待って!」

 ぼろぼろと涙を流していた若様が嗚咽おえつを堪えつつ引き止めた。

「…わ、私はセリナに……言われたことが嫌じゃなくて……その、違うんだ。セリナは叱ってくれた。姉上みたいに叱ってくれた。それが…うれしくて……。」

 泣きながら必死にかばおうとしてくれる。その姿に思わずセリナは胸がじんとした。

「若様、私はセリナを罪に問おうとしたわけではありません。」

 シークの一言でセリナは腰が抜けそうなほど安心した。叩いたり怒鳴ったりした後だけに、心強い言葉だ。

「…そうなの。よかった……。」

 そう言って鼻をすすった。鼻をすすっていても若様は可愛らしかった。思わず手ぬぐいを渡してあげる。手の甲で涙を拭っていた若様は、ありがと、と言いながら涙を拭いて鼻水をかんだ。

 あんまり可愛らしいので頭をでた。シークに何も言われなかったので、もうしばらく撫でる。若様が何? とセリナを若干見上げた。顔立ちが整っている上に十五歳には思えないほど童顔なので、頬ずりしたくなる衝動をなんとか堪えた。きっと、二人きりだったら頬ずりしてしまっただろう。

「あ、そうだ、これを。昨日、お忘れでしたよ。せっかく拾ったのに。」

 セリナはようやく最初の目的を思い出し、ブローチをポケットから取り出して手渡した。

「…これを届けに来てくれたの?」

 まだ、鼻声で若様は聞き返した。

「はい。…ごめんなさい、痛くなかったですか? 今さらですけど。」

 当初の目的を思い出したセリナは、若様を平手打ちしたことも思い出し、一応、遅すぎるが謝罪した。

 若様がきょとんと首をかしげる。子猫か子うさぎが小首を傾げているような可愛らしさで不思議そうに口を開いた。

「痛いって? 昨日、崖から滑り落ちた時にぶつけたおしりと股の近くは痛いけど、他は痛くないよ。」

 一拍の間、微妙な間が開く。シーク達もなんて言ったらいいのか困っている。セリナが一番困る。忘れているなら今さら思い出さなくていい。セリナが『それなら、いいです』と言おうとした直前、これまた絶妙な間で若様が閃いたように口を開いた。

「…あ、叩いたこと? それなら、気にしなくていいよ。」

 若様が話のずれに気がつき、嬉しそうににっこりして言ってくれる。

「何、若様を叩いた?」

 真後ろからフォーリの声がひびいた。セリナはその声に飛び上がる。変な声を上げなかっただけましだろう。つりそうなくらい顔が引きつっているのが自分でも分かる。やってきても全く人の気配がない。シーク達もぎょっとしているから、相当な忍び足だ。

 セリナは心臓の辺りをさすりながら、冷や汗をかいた。

「うん、でも、痛くなかったよ。」

 できるなら若様のお口をふさぎたいですわ、ええ、本当に! 心の中でセリナは叫んでいた。

「ほら、これを渡しに来てくれたんだ。」

 つい今し方まで死んだ方がましだと言っていたのが嘘のように、若様は嬉しそうにブローチをフォーリに見せた。

 うん、知っています、だって、フォーリがわたしにそうしろと言ったんですもの…、口には出せずにセリナは心の中だけで若様に言う。

「そうですか、良かったですね。」

 さすが、フォーリは素知らぬ顔で若様に平然と返している。

「セリナ、ありがとう。」

 若様がにこにことセリナに礼を言ってくれた。

「え、ええ。」

 不意打ちに、セリナは少し緊張して答えた。

「これは今まで私にとって、何でもないただの物だったけど、これからは特別だよ。だって、君が命がけで拾ってくれたんだから。これを見るたびに思い出すから、特別になったよ。」

 無邪気に、光にまばゆく反射する水滴のように透き通った笑顔で、若様は言った。黒い瞳がまっすぐにセリナを見つめている。目が合った途端、セリナは真っ赤になった。

 意図して言っているわけではないと、セリナは分かっているつもりだ。だが、それではまるで口説かれているみたいだ。

(ひどい、無邪気にそんなこと言うなんて…!)

 セリナはいても立ってもいられなくなり、もうこれ以上赤面した顔も見られたくないので、くるりと回れ右をして勝手に部屋を急いで出た。本当なら一言、挨拶があってしかるべきだと分かっているが、引き止められなかったのをいいことに、さっさと退室した。

「…? セリナ、どうしちゃったの? 顔が赤く――。」

 セリナが部屋を出る前に若様の言葉が途切れた所をみると、たぶん、フォーリに口を塞がれたのだろう。何も分かってない所が可愛いけれど、少しだけ憎くもあったセリナだった。


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