第39話

 あの日の若様の事件はこういう事だったらしい。

 若様が狩りの最中に行方不明になった事件があったあの日、村にいつもと違う商人がやってきた。たまにやって来る商人で、この辺の行商に何ヶ月か一回の頻度ひんどでやって来る。その商人が戦姫様が戦死したといううわさを聞いたと言ったらしい。

 次の日、それを聞いた村娘達が話していたところ、兵士の幾人かが耳にして口に出して話した。それを若様が小耳に挟み、ああいう事態になったらしい。

 折りが悪く、若様は前日に誰かに拉致された後、崖から転落して死にかかった。その上、悪夢にもうなされた直後で精神状態が不安定だった。

 セリナでもそんなことが続いた後で、姉が死んだという噂を聞いたら、おかしくなってしまうだろうと思う。たぶん……。セリナは姉達があまり好きではないので、断言は出来ないが嫌な気分にはなる。仲の良かった姉弟なら尚更だ。

(なんか、悪意を感じるわね。)

 田舎の村娘のセリナでさえ、そう感じる。誰がそんなことをしているのだろう。何者かがこの村に潜んでいるのか。

(でも、村の人は違うと思う。喧嘩はするし、男にも女にも手を出すのは早いけど、基本的にのんきな田舎者だもの。ややこしいやり方で、真綿で首を絞めるようなやり方はしないし、できないわ。面倒だもの。色々考えるのが面倒くさいもの。)

 その面倒なことをセリナは考えた。だとすれば、答えは一つしかない。兵士達の中に誰か回し者がいるのだ。ただ、これには一つ問題がある。若様が拉致されたと考えられる時、兵士は全員一緒にいたのだ。

(もしかして、誰かを雇ったの。)

 セリナは自分で考えておきながら、恐ろしくなった。若様を拉致して突き落とせるような悪い奴というか、そんな度胸のある奴が村にいるだろうか。

(……あ、でも、若様は突き落とされたとは言わなかった。)

 セリナは直接、若様から聞いたわけではないのだ。あの時、何があったかを。だとすれば、もしかしたら崖の上に連れて行けと言われ、連れて行っただけかもしれない。

(そうよ、きっとそうだ。若様を気絶させて兵士が担ぐ。途中まで行って、途中から交代して崖の上にでも座らせておけば、目を覚ました後、立ち上がろうとして足を滑らせて落ちたのかもしれない。)

 半ば当たっている推論をセリナは立てた。だから、一番怪しいのはやはり兵士だ。あの中の誰かが疑いをそらしながらすきを狙っているのだ。たぶん、隊長のシークは違うだろう。副隊長のベイルも違うっぽい。二人は若様の言ったことで傷ついたような表情を見せていた。それに隊長や副隊長は、きっと何かあったら一番に疑われるはずだ。

 必死になって考えたものの、結局誰が犯人なのか見当がつかなかったので、セリナは考えるのをやめた。分からないことを延々と考えるのは時間の無駄だ。

 そもそも自分の無い頭で考えても、言い答えは出せないだろう。犯人が分からないのなら、やることは今までと同じように注意することだけだ。リカンナも誰かが若様を狙っていて若様が危ないことは知っているので、若様に危険が及ばないよう、一緒に目を光らせていられる間はそうすることに決めた。

 セリナはさっそくリカンナにそのことを提案したが、リカンナはあまり乗り気ではなかった。

「…どうしたのよ、リカンナ。」

「だって……。あんたの方こそ分かってるの?」

 リカンナに逆に聞き返されてセリナは戸惑った。

「…あんた、ここん所、おかしいよ。」

 セリナはリカンナが何を言いたいのか分からなくて、見つめ返した。

「どういう意味よ?」

「だって、あんた、若様が好きなの?」

「え?」

 思ってもみないこと……いや、分かっていたが目をそらしていたことを指摘されて、セリナは狼狽ろうばいした。だって、相手は恋してはいけない相手だし、自分より年下だし、世間知らずだし。いろいろと理由を挙げて目をそらしていたのだ。

 でも、まさかリカンナに気づかれているとは思わなかった。

「……えーと、何のことを言ってるのよ。」

 とぼけようとした途端、リカンナがセリナをにらみつけた。

「あんた、あたしが気づかないとでも思ってるの? ごまかそうとしても無駄よ!」

 ピシャリと言われて、セリナはあきらめた。

「ごめん、そうだよ。でも、気づかないフリをしてたの。だって、そういう相手でしょ。だめじゃない。」

「あんだけ、興味ないとか言ってたくせにー。結局、好きなわけー?」

 からかい混じりに非難されて、セリナは首を縮めた。

「だから、ごめんってば。だって、まさかあんなに可愛いと思ってなかったし、全然気が狂っているわけでもないし。ちょっと世間ずれしているだけで、育ちがいいからだって分かるし。」

 セリナの素直な白状にリカンナはうなずいた。

「分かるよ。あたしも同じ。あんなに可愛いなんて反則だよねー。」

 そう言ってから、リカンナは真面目な顔に戻った。

「でもね、だからこそ心配なのよ。なんていうの、直接手を下すわけじゃないけど、じわじわといたぶる感じ? なんか嫌な感じじゃない。だから、見張ったりしてたら余計にひどくなったりしない? あたし達が疑ってるって分かったら、あたし達も嫌がらせを受けることになるんじゃないの? ただの嫌がらせ程度ならいいよ。だけど、若様は実際に危ない目にあったんだし――。」

「分かった、いいよ、もう。」

 まだ、続きそうなリカンナの言い訳をセリナは遮った。今までリカンナがこんなに言い訳ばっかり言っていることもなかったし、セリナもリカンナに対して、こんなに腹が立ったこともなかった。今は腹の底から怒りがわき上がってくる。若様は死んでしまうかもしれないのだ。うだうだ言っているひまはない。

「危ない目に遭いたくないっていうなら、強制はしない。わたし一人で探す。」

 ふんと横を向いたセリナの様子に、リカンナが不安そうに目を丸くする。

「探すって誰を?」

 セリナは勢いよくリカンナを振り返った。

「犯人に決まってるでしょ。とにかく、気をつけなきゃいけないもの。危ないって分かってるのに、放っておけるの?」

「そのために護衛がついてるんでしょ? あんたこそ、何ができるっていうのよ…!」

「この間は、その護衛も出し抜かれたのよ! ただ、犯人らしき人はいないか、気をつけて目を光らせるだけじゃない。目はできるだけ多い方がいいもの。」

 頑として聞かないセリナに、リカンナがため息をついた。

「……分かった。ここであんたと言い争っても仕方ないし。それだけでいいなら、あたしも気をつけるよ。ただ、危ない時は首を突っ込まないからね。」

 折れてくれた親友を目の前にして、セリナは破顔して抱きついた。

「リカンナ……。ありがとう、危ない時は逃げていいから。やっぱり、あんたは言い友達ね。」

「やっぱりってどういう意味よ?」

 リカンナが首をかしげる。セリナはふふっと笑った。

「この間、フォーリさんが言ってくれたんだ。いい友達を持ってるって。あんたのこと、そう言ってくれたんだよ。」

 さっきまで怒っていたくせに嬉しそうに笑うセリナに対して、あきらめたようにリカンナは苦笑した。

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