第10話

 一方でセリナと若者達の困惑の表情を観察していたフォーリは、なんとなく状況が分かった。

「誰に呼びかけていたのですか?」

 フォーリの確認に若様はセリナを手で示した。

「この人だよ。だって、“べっぴんさん”って美しい女性に対して使う呼びかけでしょう?」

 思わず、セリナをはじめ若者達は吹き出した。腹を抱えて笑い出す。

「え? 違う?」

 若様は少し恥ずかしそうに頬を紅潮させて、困惑した表情を浮かべた。

「違う、違う。あんただよ。」

「男の格好してる女なんだろ。」

「本当は女なんじゃなぇの。」

 村の若者達はめいめい言い出した。

「大体、セリナには手を出せねぇ。」

「そうよねえ、わたしの母さん、鬼のように恐いからね。」

「そうそう。あそこ切られたらたまんねぇ。」

「しかも、その後、犬に食わせたしな。」

「そうよね、勇気のある奴なんかいないわよね、あそこ切られて犬に食わせられるんだからね。」

 のんきな村の若者達は、さっきセリナが触ってしまった虎の尻尾を踏みつけて、ぐりぐり回している状態だとは想像もしていなかった。今、命の危険が迫っているとは想像もしていない。

 話が分かったフォーリは眉根を寄せた。兵士達の間に緊張が走りつつも、セリナ達の話に顔を引きつらせている。そこに場違いな質問がされた。

「ねえ、フォーリ、あそこって何のこと? その代名詞は隠喩いんゆか何かなの?」

 まるで、勉強の分からない所を質問するかのように、若様が無邪気に尋ねた。本当に育ちが違うんだと、その場にいたほとんどの人間は目を丸くした。大体、若者達は隠喩の意味の方が分からない。ただ一人、フォーリの表情だけが変わらなかった。

「若様、それにつきましては後でお教え致します。それよりも、今は少し後ろにお下がり下さい。」

 フォーリは若様を後ろに下がらせて兵士の一人に預けると、若者達の前に立った。周りの兵士の緊張が一気に高まる。

 何事かと理解する前に、空気が変わった。

「つまり、話をまとめると、お前達は若様に欲情し、ちょっかいを出そうとしたということだな?」

 先ほどまでとフォーリの声の調子が違う。地からうような声で非常に冷たく、恐ろしかった。言葉と同時に放たれる殺気にセリナは息を止めた。恐い。本能がここから逃げろと言っているが、体が動かず、代わりに勝手に震えだした。思わずロバの鞍にしがみついた。逃げようと思うのに体が動かない。

「どうなんだ?」

 静かだが有無を言わさぬ断固とした声に、若者達はひっと息を呑んで震えだした。二人は腰を抜かし、一人は失禁した。

「誰も否定しないということは、事実だということだな?」

 フォーリが帯から扇子を抜いて広げた。パンッという聞いたことのない音がひびく。

「事実だと認めたということで、いいんだな、お前達。」

 フォーリが一歩踏み出した。兵士達がはっと息を呑んでフォーリを凝視ぎょうしする。全員が今、扇子を広げたフォーリに注目していた。

「やめろ、フォーリ…!」

 誰かが制止した。若様の声だとすぐに分からなかった。さっきまでのほんわかした雰囲気とまるで違う、りんとした声だ。

「私は勘違いをしていたが、手を出されたわけではない。」

「ですが、若様。」

 若様はフォーリの横まで来た。

「フォーリ。私は大丈夫だ。それにこれ以上、脅す必要はない。」

 フォーリの扇子を握る右手を、若様は上から押さえるように握った。

「若様、私は脅したわけではありません。」

「分かってる。フォーリが本気だったことは。本気でこの人達を殺すつもりだったから、止めに入った。そうでなければ、止める必要はない。」

 さっきまでは、年齢の割に幼い話し方をしていたのに、今は年齢の割に大人びた話し方をしている。

 フォーリは若様の視線を受けて息を吐き、分かりました、と手を動かした。パシッパシッという気持ちのいい音を立てながら扇子が畳まれて、帯にシュッと差し込まれる。全ての動きに無駄がない。

 フォーリから放たれる殺気が消え、セリナも若者達も大きく息を吐いた。生まれて初めて殺気を受け、それが殺気だと誰も知らなかった。若者の数人が地面に吐いている。

 セリナは殺気が自分に向けられたものではないと分かっていたが、かろうじて吐くのを我慢した。それでもふらついて後ろに倒れかかる。一番近くにいた、ふらつく原因のフォーリが支えてくれた。

「ご…ご、ごめんなさい。」

 セリナは半泣きで謝ると、鞍にしがみついた。

「ねえ、大丈夫?」

 また、さっきのふんわりした雰囲気に戻った若様が聞いてきた。

「え、ええ、大丈夫です。」

 若様はなぜかセリナをじっと見つめた。

「ねえ、君。名前はなんていうの? 君はやっぱり、べっぴんさんだって私は思うんだけど。」

 セリナは何を言い出すんだろうと、若様を凝視した。今、言っていい話じゃないと思う、決して…! セリナはフォーリを気にしながら心の中で叫んでいた。だが、若様はにこやかに続けた。

「だって、私が見た村人の中で、君が一番、綺麗だよ。」

 セリナは目を丸くして若様を見つめた。生まれて初めて言われた言葉だった。彼が意図して、セリナの心をつかもうとしているわけではないと分かる。素直に言っているだけだと分かるから、余計に心を掴まれた。まっすぐにセリナに目を向けて、はっきりと告げる。

「君も屋敷で働いたらいいよ。時間があるときでいいから、君と話をしたいんだ。」

 隣で吐いていた若者達も、ことの成り行きに目を丸くしてる。

「それじゃ、また今度。待ってるからね。」

 フォーリは兵士にセリナの名前を聞くように指示をして、若様と一緒に去って行った。

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